両国は大火が生んだ町

そう、雑巾掛けは、本当に大事なんです。

わたしにつながるご先祖様には、加賀藩の方が結構いらっしゃるんですが、加賀藩の年間支出が120億にも及んでいたと知って、仰天しました。さらに、江戸が三年に一度は、大火により壊滅的な被害を受け、高さ50mにもなろう火災旋風が起きた事実や、下水道の木の蓋が火の導線となった事実や、それらを踏まえ、火事の後も三日で元の生活に戻れるような危機管理の仕組みを準備していた事実に、感嘆しました。

江戸の人口(100万人)は、武家と町人で半々の構成だったそうです。明暦の大火の後、武家屋敷を赤坂・市ヶ谷・小石川などに、神社仏閣は浅草・芝に、町人は本所深川に移すという、まちづくりの大改革が行われ、大相撲の起源は、明暦の大火の犠牲者を追悼する回向院(両国)の興行だったそうです。両国は大火が生んだ町の一つだそうです。

以上、ネタ元は、東京で早送りしながら一気にみた「NHKスペシャル大江戸」でした。中高と外堀沿いの学校に通っていたので、外堀についても色々知れて、スッキリしました!

初出: 2018/07/09【 清 ら か に 】
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