清らか?

英語圏の方は、漢字をこうして学ぶんですね。

「清らか」という言葉を、思考で捉えている人が多いようです。思考で捉えると、特に「清める」という動詞形にした時、粛清や民族浄化といった、怖いイメージが、呼び覚まされるのではないでしょうか?

「水清ければ魚棲まず」という故事もあり、なんとなく汚さや穢れを受け容れることが現実的な着地点だと思っている方も、多いかもしれません。

でも、これは頭で捉えているから、そういう展開になるだけなのです。

みなさんは「清らか」(「清める」でも何でも)という言葉を身体で感じてみたことはありますか?ここで言っている「身体で感じる」は言葉のイメージから、思考を働かせ、その思考で気持ち・感情をつくっていくことではありません。また、言葉をみて思い出される気持ちや感情から、身体が反応することは、「身体で感じる」とは違います。

多くの人が頭で「清らか」を捉えた時、涼しさ・風・湿度が高くない辺りを感じていらっしゃると思います。では身体で「清らか」を感じてみると、身体はどう動いているでしょうか?観察してみて下さい。キュッと縮まる感じなのか、ふわっとゆるむ感じなのか、身体が熱をつくり始める感じなのか、身体が冷えていく感じなのか…等々。

頭で捉えていると、神社=清らか。オーガニック製品=清らか、の様に、自分の中に対訳辞典みたいなものが、出来上がっていきます。対訳辞典ありきでものを見るようになり、本当にはそのものを見なくなります。見ている気がしているだけで本当は見ていないので、それに振り回されていきます。この状態を「思い込んでいる」と呼びます。

そして、対訳辞典に合わないケースがでてくると、辞書を書き換えるのではなく、身体感覚を歪めたり、心の感覚(気持ち・感情)の方を歪めていくのです。対訳辞典に沿っていれば、考えなくてすむので楽だからです。

わたしの身体感覚では、「清らか」(「清める」でも何でも)とは、いつもいのち全体を遍く称えるものです。とてもかわいいものです。ハートでかわいらしさを感じるだけでなく、身体全体がゆったりとひらく感覚を伴います。そして、絶対にいのちを傷つけません。

みなさんの思っていた「清らか」(「清める」でも何でも)との違い、いかがだったでしょうか?

初出:2013/12/21 【 清 ら か に 】
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