凛として見える?

一瞬、凛として見える人には、単に精巧に作り込んでいる人が、多く存在します。内から立つ力として、新芽のように凛としているわけではなく、デザインを細かく決め、戦略的に凛としているのです。

内から生命力が立っている場合は、ただ目一杯生きようとしているだけで、凛として見せたいとは思っていません。故にその内実は、新芽と同様にどこまでも柔らかです。

凛として見えるよう、精巧に作り込んだ場合は、凛として見せたいという想いが構成要素の多くを占めます。新芽の爽やかさや柔らかさはなく、フェイクグリーンのような硬さと成長のない不自然さが、時を経て際立ってきます。

凛として見える人の中には、人にアイスピックをさすような言動を平気で行える人もいます。とことん自分中心で、奥ゆかしいつもりで、臭い欲を隠してごまかしているだけです。そのアイスピックを強さと感じて、頼る狂った人も多くいます。

改めて、新芽を頼りに、我が身を振り返ってみてください。「人からのこういうフィードバックは気に入っている」と言っているうちは、真に生きることより、望むように生きていると見せかけることに、エネルギーを使っています。見せかける必要があるところに、あなたが生き直す、出直す理由が存在します。

初出:: 2017年3月12日

畏怖の念から動けない?

「畏れ多くて近づけない。動けなくなる」という方が、時々いらっしゃいます。良さそうに聞こえるだろうと思います。

でも、畏怖の念から動けなくなる裏には、ごっそり欲望があります「畏れ多くて近づけない。動けなくなる。だって近づけるように、自分を変えようとは思わないから」が、本音です。

新陳代謝が象徴するように、私たち人間にとって自然なのは、変わり続ける態度です。何かに押されるように、変化を強制されるのではなく、自分の意志で自分のなりたい姿に変わっていく態度が、人間の自然な姿です。

その自然な有り様を否定し、不変という不自然さを生きようとするから「畏れ多くて近づけない。動けなくなる。だから、近づける自分に自分を変えていこう」という人間として自然な発想が、出て来なくなるのです。

そして「良さそうに聞こえるからいいや」と思考を閉じてしまえるのが、他律的な態度であるのは、言うまでもありません。

初出: 2018年9月9日

悪いプロセスがうむ、すごくいい結果

今起きているあれこれを、悪いプロセスだと捉えている方も多いと思います。そして、悪いプロセスだから、悪い結果が生まれると予想するからこそ、ブルーになっている方が多いようです。

望まない妊娠に至る行為や望まれなかった中で押し切った結婚など、単純化して言うと悪いプロセスだったと、みなさんが分類したいことが、世の中には存在します。

そして、自分が生まれてきた過程が、悪いプロセスだったと知った子供は、望まれなかった子のようにプロセスと自分を重ねて捉え、単純化して言うと悪いプロセスが生んだ悪い結果が自分だと、思います。また、親など周りが「あなたを殺そうと思っていた(中絶を考えた)」と言ったり「あなたなんて生まなければよかった」と、その子にそういう場合も、非常に多くあります。

この時、このいわば詐術にはまる子供とそうでない子供がいます。そうでない子供は、自分のことを悪いプロセスがうんだ、すごくいい結果だと理解できるのです。そう信じるのではありません。自分がすごくいい結果だと理解し、実際にそれを証明するような人生を送るのです。

理解力をそうして磨いた子供は、信じることでより詐術にはまるのではなく、ひいたところからすべてを見通し理解するからこそ、こうした詐術にもとらわれなくなります。

プロセスが良かったから、結果が良くなるわけではありません。その例が「雨降って、地固まる」という慣用表現によく表れています。プロセスと結果の関連性は、うーんとひいたところからでないと見えないことがあり、親子間のみにフォーカスするような近視眼的な視野からでは、プロセスと結果に何の関連性も見いだせないことがあります。その例が「鳶が鷹を生む」「ひょうたんからこま」といった慣用表現によく表れているでしょう。

繰り返しますが、自分はすごくいい結果だと信じ、その幻想に酔うのではありません。現実から離れ、妄想するのではないのです。うんと引いた視点から全体を理解した結果として、プロセスと結果の関連性もありのままにみます。そうやって現実を見たからこそ、力を得ることができて、その果てにみなさんは実際にすごくいい結果になっていくのです。

初出:2021年1月1日

いのちがいのちとして在れますように。

明けましておめでとうございます。旧年中はお一人お一人に大変お世話になりましたこと、深く御礼申し上げます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

いのちがいのちとして在れるからこそ、トラウマが存在しえない平らかで和やかな人間社会の出現と、いのちがいのちとして在れるために、概念としてではなく実際に体感として、清い地球が取り戻されていくことを、切に願っています。

心とは脳ではなく、心臓とイコールでもありません。心ではなく心が宿る身体全体の方に、注目してください。その上で、身体全体が喜ぶ時間をうんとたくさん持ってみましょう。いい一年が始まっていくでしょう。お一人お一人のご多幸、心よりお祈り申し上げます。

初出:2019年1月1日

苦しみに素直になる。

時々おかしいWordpressですが、まだ代替案を見つけられていないので、もう少しだけお待ち頂けると幸いです。

さて、苦しみに素直になれると、その時点でまるで幼子のように、助けを得ることができます。苦しみに素直になれると、その苦しみを表すことが恥だという感覚が、実は自分のものでなかったとわかって、重荷が消えます。

そう、苦しみに素直になれない時、そこには他人からの感覚が潜んでいます。そして、苦しみに素直になれないまま、何とかうまくやっている間は、自分の感覚で生きていないんです。だから、定期的にその苦しみが襲来して、恥や罪悪感を感じます。

その恥や罪悪感こそ、あなたのものではないのに、情けないと思い惨めさを味わい、火に焼かれるようになるんです。それが繰り返されるのは、あなたが恥ずべき存在だからでも、あなたが罪深いからでもなく、単にそれがあなたのものではないからです。

苦しみに素直になれると、他人の感覚がぱっと離れていきます。そうすると、あの繰り返す惨めさや炙られる感じは、あなたの世界では二度と味わえないものになってしまうんです。

ベジタリアンの真似ごと

最近は、地球に優しいこととして、ベジタリアンの真似事をしています。もっとも、放っておくと、私は野菜しか食べなくなってしまいます。小さい時から好き嫌いゼロで、野菜以外であっても、食べられないものはありませんでした。

ただ、災害が急に起きても動ける体作りを思うと、少し無理してため息をつきながらでも、タンパク質を取ったときの方が、目的にかなうんです。今は地球の汚染が、10年前と比べてもとんでもなく深刻で、また植物由来の食事がかなり身近なものになってきたこともあり、手の届くところにある選択肢がかなり増えました。

実は、必ずしもベジタリアンの真似をすると地球に優しいと言い切れない部分もありますが(例:輸送費)、今はまずいろいろ試そうと実験期間にしています。今の生活様式を大きく揺るがすようなもの(例:入手困難なもの)は、やっぱり続かないし、いろいろ知っておくと、気づかない内に自分の生活様式が変わっていた時「そういえば、あの選択肢がある」と思い出せる喜びがあります。未来の喜びを今知らず知らずつくっているんです。

そして、今においても喜びが増えます。例えば小麦粉と豆のパスタは美味しくなくても、玄米と豆のパスタはおいしいなら、パスタを選ぶときの喜びが増えますよね。豆腐ハンバーグ作りにカルダモンなどのスパイスを入れるアイデアは、ベジタリアンのレシピで知りました。インドを連想する数々のスパイスが、こんなにひじきや豆腐と合うなんて、思わず喜びが込み上げたんです。そうやって、喜びが増えてしまうとき、また気持ちよさも拡がっていくようなんです。

 

洗濯まわりの変化

少し前までは、外干し中心で10枚干しが必要でした。夏などは、ベランダにいっぱい洗濯物がはためけば、日差しも遮れるし、ちょうどよかったんです。今年の初めに10枚干しが壊れた時、ちゃんと買い替えました。

でも、この激しい気象変動で洗濯の仕方やペースも変わり、また外の匂いが柔軟剤等で健康を害するものとなってきた(つまり価値観の問題ではない)ため、そもそも十枚干しはいらない可能性が見えてきたんです。

暑い夏なのに、圧倒的な部屋干し率には、たじろぎそうでした。家で仕事をしているのに、予兆の欠片もないゲリラ雷雨に、アポがある時間帯は、雲ひとつない日を除き、洗濯物を外に干せなくなりました。

そんなわたしを、最近すこし楽にしてくれたのは、こちらの直線ハンガーです。今の室内だと、キュウキュウに詰めて干すことになるから、このくらいが一番スペースを活用できるんです。

予想できなかった変化でしたが、ごくたまに以前の地球の状態が垣間見える日は、ホッとできます。そういう日を増やせるよう、地球についてもっと学びたくて、ワクワクしている昨今です。

君子之交淡若水

さすが、世襲制だらけの世界は「小人之交甘若醴(小人の交わりは甘きこと醴の如し)」ですね。昨日、土石流や梅雨前線に、大きな影響を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げます。しかし、こういう時こそ変な法案が通るのが、小人が中心にいる場所の常です。

漢文で「君子之交淡若水、小人之交甘若醴。君子淡以親、小人甘以絶。彼無故以合者、則無故以離」と学ましたよね。人と適切な距離感や相手を尊重できない人ほど、つながり好きのようです。

やたらとつながりを求める方は、ほとんどが小人でしょう。「小人甘以絶」(小人は甘くして以って絶つ)から、「則無故以離(即ち、故無くして以て離る」だからゆえでしょう。甘酒のようにベタベタしている人の存在は「深夜に川に流された」ニュースなどでも浮かび上がり、その異様さは畑の中を歩く白黒の猫の悪目立ちっぷりを、超えます。君子であることを望む方は、いらっしゃいませんか?

下心は嘘を心地よくさせる。

問題が起きる前から、その問題を特定したかのごとく開発され準備されたものがあります。そして今、通常なら最低5年はリリースまでに費やすところを、ファストファッションのごとく解き放ち「因果関係不明」として、その不思議は小学生のタイムカプセルみたいに、埋められていくのだそうです。

その手口は、下心もりもりだからこそ「そうはいっても、そんなかわいい/セクシーな格好で、ぼくの/わたしの部屋に入ったのは、君のほうだよ」と一夜を共にし、それが心地よく響いてしまい「遊ぶくらいの方が魅力的だから」と嘘に酔う男女間のようです。

下心があれば、するんとむき卵のように嘘が出てきます。そのつるっとした嘘を、心地よく感じるのもまた、結局、下心があるからです。新たな踏み絵が、下心を持つ人を炙り出してくれています。切るべき相手がみえ、しがらみから解放されて、また自由になっていけますね!

美しさの最上級へ

清いは、いわば美しいの最上級です。美しさを追求し、ファッションアイコンになった方が、随分と難解な「おしゃれ」へと進まれたりしますが、そうした頭の中の快楽を追求する方向でなく、実地をいく美しさです。

実地をいく美しさは、触っても美しいし、匂いを嗅いでも美しいし、耳で聞いても美しいし、目で見ても美しいし、内臓感覚でも美しいのです。つまり、ドーパミン過剰の酔った状態に入る必要がないまま、美しさを受け取れます。

そうした美しいの先に、清いがあります。実際に清さを体験したり、かわいいものより清いものを選び、うつくしい人より清い人と過ごすほど、自然とわたしたちは美しさの最上級を志向してしまうようなんです。

野田琺瑯に並ぶ衝撃

一気においしい野菜が手に入ると、大喜びしつつも「今日中に下処理を」と、真夏などは気合いが必要でした。夏も後半に入ると「とりあえず、冷凍で…」と萎んでいくような感じになっちゃって、そのワンパターンが不快で、ぜひ打開したいと思っていたのです。

ここまでかなり工夫は重ねてきているのですが、9年前に野田琺瑯の製品がわが家に来たときに並ぶ衝撃が、この冬、走ったんです。もう一瞬で、悩みを解決してくれるだけでなく、料理へのモチベーション自体があがりました。

それが、こちらのエンバランスの袋です。もうタッパー類は十分あるので、増やしたくなく、袋にしました。「白菜丸ごと+360度広がったターサイ」が、両方余裕で入る大きさまであります。で小さめのものに、ネギを切ったものも入れてみましたが、3日経っても切りたてのようでした。

そうなると、野菜類は真夏でも、とりあえず「袋に入れてしまう」だけで済みますから、去年よりずっと楽に過ごせそうです。

ちなみに、今年の味噌は、一部エンバランスの袋でも作っています。そして、それ自体を別の味噌の重しとしています。この方法は、かなりオススメできます。久々に、機械の部品を取り替えるような意味に留まらず、暮らしの質全体を底上げしてくれる商品と、出会えました。

本当に質のいいものは、それが何であれ最低限のこととして、こういう働きをしてくれます。

空間を増やし、動線を整える 1/2

部屋の ①空間を増やし ②動線を整えるため、仕事部屋/キッチン/洗面所を少し変えました。

まず、仕事部屋ですが、資料を保管していたファイルを変えました。セキセイのファイルは薄く、プラスチック製品の中では触り心地も好きで、かゆいところに手が届く商品が多いのです。中でもこちらは、愛用していました。ファイルの反り具合が絶妙で、資料を出し入れしやすいんです。また、カバンの中などに手を突っ込んで探し物をする際、手に当たってもその瞬間反ってくれるから、痛くないんです。

ただ、田舎にいると、お店も遠く当日お届けサービスとも無縁です。そのため、ファイルを買いに行く前に、資料が増える循環に入りやすく、薄いファイルに資料をギュウギュウに詰める流れに入ってしまって、10年経つとサイドが抜けたり、底が破れたりしてしまいました。ちなみに、ギュウギュウに詰めても劣化しなかったのは、厚く作られている無印良品のファイルです。ただ、厚みの分だけ場所をとるんです。そこで、セキセイの別の商品に変えました。取り出す頻度が少なく、保管をメインの目的とする資料なら、無印良品の方を選びます。

さらに、専門書の一部を著作権でゆるされるギリギリまでコピーしたものなどは、こちらに入れるようにしました。開閉しやすい蓋つきで、持ち運ぶときに雨なども入らないだけでなく、コピーしたものをきちんと守ってくれる固さがある商品で、やっぱりセキセイのものです。

また、この5年ほどトレーニングで使うから増えてしまったDVDも、こちらにまとめ、嵩を減らしました。

ファイル類については、どうしてもプラスチック製品のお世話になってしまうので、用途によって厚さなど厳選しながら、なるべくゴミを減らせたら、気持ちいいなと思っています。そうそう、大体の方にあてはまることに「心身の状態がいいとゴミは減る」があります。

正しい気持ちよさ。

苦しいと「がんばっている感じがする」と、何かをやり遂げるプロセスにおいて、不快をなぞる方がいらっしゃいます。気持ち悪い方を選ぶと、安心できるのです。「結果を出せないかもしれない」という不安の免罪符にもなるからでしょう。

また、そもそも何が気持ちよくて何が気持ちよくないかがわからない方もいらっしゃいます。さらに、気持ちいい=やましいと捉える人もいます。お酒やセックスやランナーズハイの気持ちよさ、過去に経験した気持ちよさを並べてみて、途方にくれるようです。

正しくない気持ちよさ、つまり自分だけでなくみんなにマイナスになる気持ちよさは、事実として不自由をもたらします。お酒の例がわかりやすいかと思いますが、お酒で気持ちいいとき、身体の一部は機能不全に陥っています。千鳥足になったり、ろれつが回らなくなったり、話したことを覚えていなかったりと、身体は不自由です。周りも迷惑します。

正しい気持ちよさは、事実として自由をもたらします。例えば、水泳をして気持ち良い時、実際に肩の可動域が広がります。仕事で気持ち良い時、何か否認したり抑圧することなく、自分のエネルギーをフルに使えています。周りも元気や勇気をもらいます。

わたしたちは、やりたいことを選んだつもりでも、結局やらなくちゃいけないことからは逃れられません。また、やりたいことだったはずなのに、プロセスにおいて「気持ちよくない」を選び続けてしまうと、しまいには何がやりたかったのか分からなくなります。

やらなくちゃいけないことから逃げるのではなく、やりたかったことにすがりつくのではなく、やると決めたことは完遂するのが大切であることは、言うまでもありません。だからこそ、プロセスにおいて、正しい気持ちよさを選択し続けられる自分に変容しておくことは、文字通りあなたの人生を変えます。

初出:2018年10月23日

手帳を使い続けられない?

皆さんは洋服を選ぶとき「この条件を満たさないものは選ばない」の「この条件」には何が当てはまりますか?

もし「この条件」に触り心地が入るなら、手触りがNGだった洋服は、どんなにデザインが良くても、どんなに自分を美しく見せてくれても、どんなに探していたあの色であっても、絶対に選ばないでしょう。それなら、来年の手帳などもその基準で選べば、1年間快適に使い続けることができるでしょう。

「手帳を使い続けられない」悩みを持つ方を見ていると、自分の快感・不快感に気づいていない状態にあります

自分が何を快適に感じ、何を不快に感じているかを徹底的に洗い出してみましょう。そして、その基準に合ったものだけが自分の環境にあるようにしましょう。

ジョーカーや化け物の時代。

これだけ、地球環境が正常な状態から程遠くなると、害虫が大活躍する時代に入ります。もちろん、農家さんや家庭菜園をされている方は、嫌というほどその変化を感じていると思います。無農薬や有機栽培をされている方は、本当に底知れぬご苦労があると思いますし、またそれを可能にする環境を限定的にでもまもるために、多くの知恵をお持ちだろうと思います。

そうではない方は、気楽に殺虫剤を使ったり、農薬をさくさく使います。わたしの住むエリアでは、今年から水稲栽培に農薬を使い始めた農家さんがいらっしゃいますが、稲刈り後のモミなどを燃やすその煙は、薄い水色で非常に気持ちが悪く、稲刈り後なのに、まさに毒薬が四方八方にまかれていました。これからは住む先に農家さんがいる場合「そこで農薬を使う予定がありそうか」も、念入りに確認しないといけないのかと思うと、疲れます。

わたしが害虫対策として、比較的小さくまた原則として地面にいる虫なら、まず熱湯をかけます。そして、飛ぶものには、逆に凍えさせる方法を使います。例えば、こちらです。

もちろん、植物の上にいる虫に対して、熱湯や凍えさせる方法は使えませんし、植物の根が張っている辺りに熱湯をかけることもできません。その場合は、自然農薬や効果の薄い自然な忌避剤と合わせて、熱湯や凍えさせる方法を使える場所に、虫を誘導するなど、工夫が必要でしょう。

この不快な空間で、どんどん自分のことしか考えられなくなっている、中心を自分にしかおけない人が増えています。その状態にあると、やることなすことすべて、無自覚なまま地球環境にマイナスのことしかできなくなります。つまりいわば「害虫」になります。自粛のときに「普段気づかなかったけど、○○にすごく感謝だよね~」と言っていた方たちは、該当します。

意識しないと感謝にも至れないその可笑しさは、トランプのジョーカーの顔をみているようです。そして、既にこの社会は、ジョーカーと化け物だらけです。欲を追い求める者の出す「異臭」は、カメムシの比ではありません。ジョーカーや化け物の前で、臭いカメムシのなんとかわいいことでしょうか。

虎や豹がおびただしくいた国

「お隣さんは誰?」の第三弾で、分厚い文庫本を一冊読んでいます。コリアにルーツの一部をもつ知人に「あなたの曽祖父母の時代は、虎や豹がおびただしくいたみたい」と伝えたら、私以上に驚いていました。

以下の記述などは、国を拠らず今の時代に必要な視点を含むでしょう。

「仏教はかつて有力であったものの、三世紀前に「廃止」され、主に山岳地方の幹線道路からずっと離れたところに行かなければ見られない。一種のシャーマニズムである鬼神信仰が国中いたるところに浸透し、無学な一般大衆およびあらゆる階層の女性をとりこにしている。」

(引用元:『朝鮮紀行』イザベラ・バード()、講談学術文庫、p34)

「祖先崇拝と、大自然の力をびくびくと盲信的に恐れるゆえの鬼神信仰は、朝鮮人にとって宗教の代わりとなるものである。わたしはどちらも恐怖の産物ではないかと考えている。祖先崇拝が守られるのは、子孫としての敬愛よりも、祖先の霊がその子孫にたたることへの恐れからではなかろうか。」

(引用元:同上、p86)

新型コロナウィルスによって、形は変わっても、質はどんどん露呈してきて、すごくいい流れになってきています。形でごまかしていた時代の最後のあがきが、あちこちにみられる面白みもあります。

わたしたちがただ、潔く清さにフォーカスしていけば、玉石混交でなく玉が残っていくことが当たり前の時代になっていくでしょう。

地球をぐるっと旅する風

外へ出て歩いて、ベランダで伸びをして、地球をぐるっと旅する風に出会う度、わたしたちは大事なことを教えてもらえます。

それは、幸福な人ほど、人目につくことをしないということです。奇抜な服装や行動や会話をすれば、目を疑ってしまうから話題に上り、あまりのことにみんなの記憶に残ります。

地球をぐるっと旅する風は、人目につかないままやってきて、幸福になるコツを教えてくれます。

清潔だと寛容になる。

多くの方が、感覚や気持ちを排除して、なんとか自分を自分の思い通りに生きることをよしとしています。例えば、疲れていても朝5時に起きられるとか、やる気のない日も朝運動してから会社に行くと言ったことです。しかし、それは壮大なあやまりです。

イギリスでの実験ですが、嫌悪を感じる映像を見せた後、半数のグループには石鹸で手を洗ってもらい、半数のグループはそのままにしました。その後、罪を犯した人に対して、どれくらいの罰を与えたいか、それぞれのグループに尋ねると、石鹸で手を洗わないグループメンバーは、石鹸で手を洗ったメンバーより、重い罰を与えたがりました。

つまり、どんなに冷静でいようとしようと、他の要素を加えずに判断したつもりでも、実際には自分の身体の不快感が強ければ、他人に対して懲罰的になるのです。

普段から感覚や気持ちを排除していると、自分の身体の不快自体を認識しません。そして、自分は冷静だと思い込めてしまうのです。自己認識はここまで大きく歪むのです。

清潔な人が増えれば(強迫的な意味合いではなく)、懲罰的な人が減ることになります。清潔が気持ちいいと感じるのが、人間のデフォルトだからです。

普段から感覚や気持ちを排除していると、自分が不潔だとは気づけないのです。何が不快で何が快感か分からなくなってしまうと、そんなつもりはなくても、他人に対して懲罰的な表現しかできなくなってしまうのです。そして、自分の願った通りの自分として振る舞えているというとんだ勘違いが、当たり前になってしまうのです。

花を飾る真意。

田舎暮らしがスタートしてから、どんどん花を買わなくなりました。東京に住んでいた時は、室内にグリーンも花もどんどん増えていました。

結局、外が不快だから、せめてもと家の中に花を飾りたくなるのです。外が不快でなければ、着飾りたいとだって思わなくなるのです。

室内をきれいに掃除することはしますが、時間とお金をかけて行かなくても、身近に美しく元気な自然がある豊かさを、家の中でも外でも感じられて、飾るという不可思議な行動が消えていくのです。

身近にある美しく元気な自然に対しても、ただ守りたいという気持ちや感謝が生まれるだけです。

個人の中も同じです。言葉で着飾ってプライドを守ったり、知識や名誉を集めたがるのは、自分の中が不快だからです。

内側がきれいな人は、総じて正直で誠実です。そして、自分をきちんと守り、例えば自分の身体にも眠る前にきちんと感謝を抱いています。

新しい形で生きていく?

アフターコロナについて、多くの方が「今までの生活に戻るだけでなく、新しい価値観を生きていく必要がある」と、考えているようです。そこで「そうだね、新しい形で生きていく必要があるね!」と、思いましたか?

こもることは、人間の成長にとって時に大切です。何種もの蝶が外を舞う最近のわが家ですが、蝶でいうなら、さなぎの時期を迎えられるからです。ただ、さなぎになったから蝶になれるとは限りません。さなぎのまま死に至ることもあります。つまり、このこもっている時期に、蝶になる変容の準備を終えられるかどうかが、鍵です。

これから必要なのは、新しい形だけでなく、新しい形を要する新しい質です。清さという価値観がすべてに組されることが、人類の繁栄や地球の存続に不可欠です。清さを重んじて、すべて上質にしていくことができなければ、再び人類は行き詰まり、地球は人間を駆逐せざるを得ないでしょう。

外出禁止や自粛が終わり、今までとは全然違う思いで外に出た時、新たな価値観を組み込もうとしても、多くの方は流されてしまい難しく感じるでしょう。今、家の中で、清さを重んじて生きる方へシフトするのが、ベストです。

見たこともない新しさ

墨汁を流し込むように、未来を不安で染め上げていませんか?つまり、未来を決めつけて、未来らしさを奪っていませんか?

見たことも無い新しさに溢れているのが、未来です。誰にとっても平等に、それは見たことも無い新しさに満ちています。

未来が見えないから、不安なのではありません。未来は本質的に見えないものです。