「傷ついた」と表せますか?

最近やっと『82年生まれ、キム・ジヨン』を読み、久しぶりにブログも書きたくなりました。G.W.におすすめの一冊です。

性的トラウマは、生まれた時から当事者意識を奪うような「装置」の中で、生まれます。初めからそうだったから「そういうものなんだ」と、傷ついたと、なかなか認識できないようになっています。例えば、男の子が生まれたら喜び、女の子だとがっかりする国は、非常に多いですが、これもそんな「装置」がその国にあることを表す、氷山の一角でしょう。

この本では、そうした「装置」が、実にさりげなく描かれています。例えば、会社では、二人の女性に難しいクライアントを任せてきたのです。それは、二人の女性の能力が高くて、正当に評価したからでしょうか?

「二人の女性を男性より信頼したからではなく、ずっと会社に残っていっぱい働く男性たちには、やる気をなくさせるような辛い仕事はあえてさせないのだった」

(電子書籍で読んだため、ページ数不明)

妊娠や出産に関する制度利用については、今の日本でもなんだかんだ言っても同じだろうと言う一文がありました。

「与えられた権利や特典を行使しようとすれば丸もうけだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の同僚を苦しめることになるという、このジレンマ。」

この物語の中では、社内で盗撮事件が起こります。社長は、加害者被害者どちらの社員にも、家庭や両親があることを持ち出して、この事態を隠蔽しようとします。こうした展開は、盗撮事件でなくとも、みなさんの居場所でよく見られませんか?

「家庭があることも両親がいることも、そんなしわざを許す理由ではなく、そんなことをしてはいけない理由ですよ。」

そして、こうした「装置」の中で育つと、自己検閲する働きが強く内側で起こり、自分の声を失い、当事者意識がそもそも芽吹きづらくなります。すると、同性による性的トラウマもうまれます。こうした構造が、細やかに描かれた本でした。

そして、解説部分で触れられていた『九十九回の春夏秋冬』(イ・オンナム著)をぜひ読みたいと思ったのですが、日本語訳されていないようです。この本は、1922年生まれで「女だから」と字を習えなかった女性が、こっそり字を覚え、読み書きできることを隠して生き、夫も姑も亡くなってから、ようやく自由に読み書きし始めた、76歳からの約30年の記録を抜粋したものだそうです。もし、英語版を見つけた方がいたら、ぜひお知らせください!

男性になり替わらない。

ダントツに高級住宅街だと「本当に住んでいるの?」と思ってしまうくらい、出すゴミの量が少ないそうです。みなさん、真似しませんか?

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権力と自分の身体についてコントロールすること

田舎に住んでいると、図書館のサービスもそのネットワークの小ささからあてにできず(「他館にもないため、取り寄せ不可」だらけ)、大型書店も地方の中核都市であっても東京のそれとは大違いであるため、kindleでサンプルを読めるサービスが、助けになります。

そんな風にして、目を通した『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』に、サンプル部分だけでも重要なことが載っていたので、シェアしたさます。

(1)セクシュアリティは、身体、感情的な愛着と愛、セックス、ジェンダー、ジェンダーアイデンティティ、性的指向、性的親密さ、快楽と生殖についての理解と、これらの関係性を含む、人間であることの中核として理解される可能性がある。

(2)セクシュアリティは、権力(パワー)と結びついており、権力の根本的な境界線は、自分の身体についてコントロールすることの可能性である。

日本において、あるいは多くの職場環境や学校教育において、セクシュアリティは人間であることの辺縁に位置付けられていることが多く、そこには恥や罪悪感が強く結びつけられています。また、パワーと自分の身体の関係に至っては、身体を扱う医師・マッサージ師・鍼灸師・整体師・理学療法士・体育教師などに至っても、一切理解されていないに等しいでしょう。

セクシュアリティは「人間であることの中核」として理解されるべきものであることは、あらゆる虐待の中でもっともその人を殺すのが性的虐待であり、身体的な意味での性的虐待を受けていない人でも、きわめて多くの人が性的トラウマを持つことからも、クリアです。

親密さに同意 ≠ 性的に同意

こちらの動画がわかりやすいと思いますが、日本だと「ステディな関係かどうか」は確認するケースは多いでしょう。そして、ステディになってしまうと「だから、性的同意は取らない」と言う態度も、多くみられるでしょう。付き合ってからの不満が、可視化されづらいことにつながってきたでしょう。

一方、ヨーロッパでは私の知る限り「手を繋いでいい?」など、細かな性的同意は取ります。階段を上がるように、必ず性的同意の確認が繰り返されます。一方で「だからステディだよね」とはなりません。だから「あれ?ステディな関係なのかな?」と言う疑問が、比較的残りやすいでしょう。

日本だと年代にもよりますが、恋人にするような感じでビジネス相手がハグしてくるような、びっくりなことがまだまだあります。ハグは親密な相手にもするけれど、その仕方によって性的なニュアンスも入ってきますし、他のことも同様です。

まずは、それらが「いちいち毎回同意を取るべきこと」という認識を持ち「親密さには同意しても、性的には同意していない」ときちんと伝え合えるような関係づくりを目指すと、親密さへの恐れ自体が減りやすい方も多いと思います。

メイクや服についての勘違い

メイクや服について、まだよく見かける勘違いは「自分の好きなものを身につけてしまう」「自分が美しいと思うものを選んでしまう」です。これだと、ジャッジしているだけです。自分とメイク用品や服の間に距離があって、関係性を育くもうとはしていない姿勢です。

メイクや服を選んだり身につけるときには「自分を好きにさせてくれるものを身につける」「自分を美しくしてくれるものを選ぶ」必要があります。これは、自分とメイク用品や服の間で、関係性を育もうという前向きな姿勢です。

例えば、黄味の強い肌の人が、青みがかったスモーキーなローズピンクのアイシャドウを「これかわいい」「これ好き」と品評したとしても、実際にそれを自分の肌にのせれば、その色に黄を混ぜた色として発色しますから、当然濁ります。青みがかった肌の人が、ミカン色のシャツを着れば、同様に不調和を生むだけです。

メイクや服の美しさは、あくまでもあなたとメイク用品や服との間の関係性が生みます。そこに調和があるなら、あなたはそれを身につけたり塗ることで、美しくなります。その関係性が不調和なら、あなたはそれを身につけたり塗ることで、より自分をバラバラにするような悪目立ちするパーツを生み出し、濁ります。

ひけている腰をぐっと前に入れて、関係性の中の美を捉えていけると、あなたのいる環境とあなた自身との間の不調和からも、抜けられるでしょう。