間を信じる

私もそう思うんです。おはようございます。吉野実岐子です。

よく見せようとして盛っているときに、目の前の相手は自分と同じ穴のムジナだから騙せても、その周りの人は盛ろうとする歪みの方を受け取っているでしょう。そう、つまり周りに自分と同じ穴のムジナの人だけを残す方法になるのです。

同じように、あなたが背伸びしているとき、相手が受け取るのは、その不自然な緊張感の方かもしれません。もちろんあなたが若くて、あなたが背伸びしてみせた相手が同じように若い時に背伸びした人だったら、あなたを見て自分の若かった頃を思い出し、背伸びだと気づいたままで応援してくれるのかもしれません。

盛ったり背伸びするのが当たり前の業界で働けば、どうしてもそれが身に付いてしまいやすいですし、一瞬だけなら、それが身を助ける瞬間があるのは、上述した通りです。そう、つまり盛ったり背伸びすることをいい・悪いで捉えるのではなく、それでうまくいって「ついている」「自分は正しい」のように解釈するのでなく、もっと深いところを捉えてみたらどうでしょうか?

それはもしかしたら、自分と相手の間を信じると言う表現に置き換えられるかもしれません。相手を信じるとか、自分を信じるのではなく、間を信じるのです。来月開催予定のワークショップでは、これができるようになる近道をお伝えします。

秘密のわたぼこり

感染者数が減ってきましたね。解放感がありますよね。手放しでは喜べない感覚もあるんですよね。おはようございます。吉野実岐子です。

そんな中、なんだか今日は灰色がかってるなと感じることがあるんです。そう、ある男の子が、コロナでなかなか外に行けないから、コロンとしたおもちゃのかわいい顕微鏡を買ってもらいました。

ルンルンの男の子は、早速使ってみたくて、ウキウキします。そしたら運良く、お母さんが台所で、ざばっとさらさらの白い小麦粉を床にこぼしたんです。男の子は、苛立ってけんけんするお母さんの横で、そのこぼれたさらさらの白い小麦粉を、そっと指にとったんです。そうして、早速、あの顕微鏡で見てみました。そうすると、白いさらさらの小麦粉は、透明なんです。ワクワクして頬が上気します。うれしくて、小鼻がピクピクしてくるんです。

けんけんしたお母さんが、お手洗いに立った隙に、男の子はそっと台所に戻って、冷蔵庫の下に大きな灰色のふわふわしたわたばこりを見つけることができたんです。その大きくてふわふわのわたぼこりを、その小さな左手にそっと大事に握りしめて、お母さんに見つからないように、抜き足差し足忍び足で、そーっと部屋に戻ったんです。

部屋のドアをかちゃっと言わせて、無事に部屋に戻った男の子は、フゥッと大きなため息をつきながら、その小さな左手を開いて、少しだけ湿ったその大きくてふわふわしたわたぼこりを、ドキドキしながら顕微鏡にセットしたんです。今度は何が見えるんだろう?って。

そしたら、あんなにどこまでも灰色だったわたばこりの中に、赤やピンクや黄色や水色や青が見えて、男の子は小さくわーっと声を上げます。じーっと見入っていると、青の奥に、緑も隠れていました。ほぉーっと、ため息がこぼれます。

そうして、そろそろっと顕微鏡から顔を離してわたぼこりをみると、やっぱり灰色のまんまです。男の子は目をパチパチします。そしてもう一回、そろそろと顕微鏡の中を覗くと、やっぱりピンクや黄色や緑が見えて「自分だけに見えてるんだ」と、なんだか胸が熱くなってくるようなんです。

男の子は、ふぅっと息を大きく吐きました。そうしたらお母さんに「ご飯よー」と呼ばれ、威勢よく部屋から飛び出します。きつね色に揚がった熱々のエビフライを、ふぅふぅしながらサクサク食べていきます。お母さんが「あんたは食べるだけでいいわね」と、いつものように湿ったことを言ってきます。でもなぜだかその時に、男の子の中にある感覚が浮かんできたんです。その感覚の中で、男の子は伸び伸びできたんです。

そう、これはいわば、わたぼこりと男の子の友情の話だったかもしれません。その友情は、とても長く長く続いたそうです。

「助けて」といわれるありがたさ

お子様がいらっしゃる方へ。おはようございます。吉野実岐子です。

何かあっても「だいじょうぶ」と答えるなら、それは特に親密な関係においては、相手を弾き出すインパクトになります。そう言われた相手は、そのコミュニティの所属権みたいなものを失います。

助けを求める方が、一時的にどっと疲れます。身体も解毒すると一番疲れるそうで、その前に体力の回復が必要なこともあるそうです。そう思うと、タイミングを選びたくなるのかもしれません。

また、手に負えないものほど、そのサイズが大きくなるにつれ「助けて」と言えなくなります。お手洗いに行きたい限界のとき、笑わせてくる人にもムカついちゃうような感じでしょうか。

その先に、爪を噛んだり髪を抜くような自傷が広がっていくようなんです。そして、あなたか誰かに「助けて」と表明したら、相手は自分の居場所を得るという人助けが、できるようなんてす。

 

わたしには何もない

最近地震が多いから、色々点検しておきたいですね。おはようございます。吉野実岐子です。

「わたしには何もない」と言われたら、つい「そんなことない」と返したくなるかもしれません。でも、そう返さなくていいんです。

だって、本当に何もないなら、不平不満は一切でてこないはずです。でも「わたしには何もない」と誰かに訴えたいなら「わたしにはあるはずなんです」が、その人の本音です。いわば、あるはずのものが盗みにでもあったかのように、信じているのてす。

「そんなことない、こんなにあるじゃない」と指摘されても、盗みにはいられたかのように「ない」と訴える人には、通じないでしょう。また、ご本人はどこかそんな自分を謙虚だと思っていたりしますが、真逆であるのは明白ではだかの王様状態です。

本気にしない。

おはようございます。吉野実岐子です。

「すごく楽しい」と思っていたけど、しばらくして振り返ってみたら「楽しさをつくりだすために、いつもわたしが我慢していて、本当は苦しかったな」と、船が転覆したようになったりします。

憎しみや恨みをもつほどのことが、何十年もたって自分を助けてくれて「なんてラッキーだったんだろう!自分は恵まれている」とあの頃予想できなかった感覚で、自分を満たしてくれることもあります。

自分の考えをまもろうとしたり、気持ちにしがみつくのは、そんな視点からすると、少し行き過ぎと呼べるかもしれません。自分の考えや気持ちをあえて本気にしない余裕が、あなたの首や肩や背中気持ちよさを残してくれるのかもしれません。

グミの使い方

通信許可。おはようございます。吉野実岐子です。

お菓子のグミは、釣りの餌としても使えるそうです。私が釣りをしたことがあるのは数回で、しかも海釣りばかりですが、確かにミミズなどより針につけやすそうだと思いました。

お菓子のグミを開発した人にとっては、そんな使われ方は、想定外でしょう。受け取る側がどんどん工夫して、その物の可能性をどんどん引き出していくと、表現することも可能です。

一方で、開発者側からすると「意図と違う」と表現できます。ここからが本題ですが、これはコミュニケーションにおいてよくある話なのです。優しそうに見える一人ぼっちになりたくない人を見て「優しそう」「ひとりはみんな辛いよね」と反応するのは、開発者の意図通りにグミを受け取ったのと同じです。

ところが、そういう人が実はしたたかに周りが自滅するよう、周りを攻撃しまくっているのに、自分では自分を「優しい」「一人ぼっちになりたくないだけ」と思い込んでいたりします。実際に自分でやっていることには、バレないからとたかをくくり、無頓着なのです。

こうしたしたたかさや攻撃を見抜くのは、グミを釣り針につけちゃう人たちです。受け取りながら、どんどん暴いていけるのです。

自分がないと?

久しぶりに、水キムチを作りました。おはようございます。吉野実岐子です。

自分がないと、相手をイライラさせます。自分がない人は、周りに合わせるからです。小学校の時、誰かに自分の言い方を真似されて、初めの内は笑っていても「もうやめてよ~!」と、なりませんでしたか?あの感じで、気持ち悪さがつのるのです。

自分がない方は、精一杯気を使っているつもりだったり、嫌われないようにがんばっている思いやりのある人のように、自分を認識していたりします。そう、嫌われないようにすることほど、自己中なことはありません。

どんどん本音を隠して、周りに合わせて振舞っていくほど、どんどん周りは「気持ち悪い」と思うようになります。そうしていながら「人が怖い」と認められず、「表現力がない」と自分を捉えていると、その内省力の低さから、同じところをグルグルしてしまいます。「変わりたいのに変われない」は、ここからも生まれています。

気持ちよさはどこから来るの?

こういうYoutubeもあるんです。おはようございます。吉野実岐子です。

今日は、ちょっとざっくりとした話を書いていきます。気持ちよさは、いったいどこから来るのでしょうか?優しい人は、気持ちいい人でもあるでしょうか?知らない単語がたくさんあるわけでもないのに、読んでいてきもちのいい日本語の本と、読んでいて気持ちのよくない日本語の本があるのは、なぜでしょうか?

例えば、わたしはThe New York Timesはなぜか読みにくくて、The Washington Postはすぃーっと読めるのです。あるいは、子供のころ好きだった、日本語で何度も読んだ本の原文をよむと、読みづらくて辟易とすることがあります。一方、おどろおそろしいテーマだと思うのに、読んでみたらすいすい読める洋書もあります。

こういう時、気持ちよさは意識の抵抗のなさが生んでくれています。つまり、日によって変わる可能性もあります。確かに、The New York Timesが読みやすい日もあったり、子供のころ好きだった、日本語で何度も読んだ本の原文が、急に読みやすくなる日もあるのです。そう、固定はされません。

意識が抵抗しない、つまり、無意識が働きやすい(と仮に表現します)相手は、気持ちいい相手と認識されますし、そういう人は「相性がいい」とみんな固定したがる、それだけなのです。だからこそ「あんなに相性がいいと思ったのに…」という相手と喧嘩別れもできれば、離婚もできるのです。

もう一度、気持ちよさが拡がる時

社会×科学でこんな楽しそうなイベントがあります。おはようございます。吉野実岐子です。

欲しかったもの・関係・情報・空間・存在を、あなたはどれくらい大切に生きているでしょうか?そこに、自分への尊重度合いが現れる気がするんです。

自分への尊重がごそっと抜けてしまうと、欲しかったもの・関係・情報・空間・存在に、ただ期待するようになるのかもしれません。そして、期待に応えてくれないと嘆く裏で、あなたが自分を大切にできないことが、正当化されてしまうのかもしれません。

欲しかったもの・関係・情報・空間・存在、つまりあなたの今いる環境を構成する要素に「ありがとう」「大好きだよ/なんて愛おしいの」「今日もきれい/かわいい」と自然と思えている時、あなたは自分を尊重できる気持ちよさに包まれているのかもしれません。

ちなみに、欲しかったもの・関係・情報・空間・存在とは、いつでも和解できます。「ごめんね」「許してください」と自然に頭が下がってしまうのなら、またここから、自分が尊重される気持ちよさが拡がっていくのでしょう。

人のペースで動く大切さ

おはようございます。吉野実岐子です。

「自分のペースを大切にしたい」「人のペースに巻き込まれたくない」そんな風に思う方が、一般的かもしれません。ただ、いろんなリズムを経験できるありがたさはあるでしょう?

例えば、自分に合ったヨガのポーズを使い、自分が気持ちいいシークエンスで動くと、自分が認識する気持ち良い範囲には収まります。つまり、気持ち良いと感じます。

ところが、ヨガのクラスを受けたりして、自分の苦手なポーズが入っていたり、自分ではしないシークエンスに身を委ねたときに、初めて自分が認識できる気持ちよさがあります。

「人のペースに合わせるってすごくいい」と思うんです。つまり、マイペースがいいとか人のペースに合わせるのが良いといった話でなく、そこで何を認識するかです。

認識の仕方が変わっていく時、気持ちの良いペース自体が増えていて、人のペースに合わせるのも自分のペースでいるのも気持ちいい世界が、少しずつ開けてくるのではないかと思います。

二股してる・されてる方へ

この約二年の内に、よく見かけるようになったCICA製品ですが、わたしがワンシーズンに1回使うのはこちらです。おはようございます。吉野実岐子です。

「正式に別れるまで待ってと言われているから」と、隠れてデートを続けるなら、あなたが相手にとって優先順位一位でないことから、あなたは目を逸しています。

それはつまり、あなたの相手が、優先順位のわからない混乱した状態にある人だと言うことです。優先順位のわからない人に好かれ、嬉しいと思うあなた自身は一体何なのでしょう?その人の中で混乱から抜け、優先順位がハッキリしたとき、あなたは優先順位1位に来るのでしょうか?

「家庭内別居で、心は私/僕にある」と思いたいかもしれませんが、その家庭内別居が続く理由を考えたことがありますか?ジェンダーギャップの大きさが群を抜いているこの国では、婚活が示すように、男性にとって女性はモノです。社員や資産をきちんと管理できない経営者が信用を失うように、物(女性)をきちんと管理できない男性は信用を失いますから、家庭内別居はなかなか崩れたりしません。(それはわかっている女性が、年収の高い男性を狙うわけです)

あるいは、そこまでして恋愛状態を維持したいと言うことは、それほどにあなたが今苦しい状態にあって、恋愛した時に出るホルモン(いわばモルヒネ)を必要としているのでしょう。そうなると、まずは自分の苦しさに気づくことが大事ではないでしょうか?

その相手と結婚したりして、恋愛状態から抜けてしまうと、あなたはそのモルヒネを失うことになります。そうなると、もうあなたにとって、その相手は不要な相手になってしまい、その苦しみは、あなたを津波のように襲うだろうからです。

情報が溢れているから、主役であろう。

軸がおいしいキノコだそうです。おはようございます。吉野実岐子です。

今の時代は一般に「情報が溢れている。情報が多すぎる。取捨選択が大変だ」と思われているのでしょうか?そんなあなたはそもそも、取捨選択をしてきたでしょうか?

物が溢れた部屋で「探しても探しても見つからない」がおきるように、情報が溢れているほど、大事な情報を隠すのは簡単です。

リアルに部屋のケースで考えたとき、起きることは「探しても探しても見つからない」だけではないですよね?カビや虫の巣窟になったりしますよね? そこに住めなかったものも、住めるようになりますよね?

情報に関しても、全く同じことがいえます。まずは、1日に何度もコロナのニュースを結果的にチェックしてしまったり、また随分と遠くにいる台風なのに、1日に何度も台風情報を確認してしまうことは、やめてみませんか?1日1回で十分です。

知らない誰かに「それデマですよ」なんて言われて、一次情報の確認もせず感謝している自分を、自分の人生の主役に戻してあげてください。

 

傷を恐れない

おはようございます。吉野実岐子です。

「大丈夫だった?」「大変だったでしょう」こうした、ねぎらったり思いやる言葉でも、トラウマの再暴露は起きてしまいます。一般に良いとされることをして、逆効果になってしまうのです。

また、治療の場面でも、治療効果があるとされる共感を、すべての治療者がすべての場合に対してできはしません。そんな、共感がなされない場合には、より固着が強化されてしまいます。

人も神様も万能ではないのですが、大変な状況にある、すがるような思いになりやすかったりして、相手の期待も高まりやすくなるでしょう。それで、すぐ「この治療家じゃない」「この治療方法じゃない」と彷徨ってしまい、自分で事態が変わらないようにしたり、むしろ状況を悪化させていることに、何年たっても気づけないケースも、非常に多く見られます。

「治療ではない」と逃げられる対人援助職の方も、実際には上記のようなことをしているケースが多いわけですから、この言い訳は通用しないことを念頭におくと良いでしょう。

そして、傷を恐れない態度は、あなたのヒントとなるかもしれません。

つい不安になる。

雨が続いて、ベランダが蜘蛛だらけです。おはようございます。吉野実岐子です。

「つい不安になる」なる人は、人から「優しい」と言われることが多かったかもしれません。人が苦しんでいるときに気づいてあげられたり、人の痛みに敏感です。そう言われると「つい不安になるのも、いいことかもしれない」と思ってしまうのかもしれません。

そこで、良い・悪いのジャッジを持ち出さないようにしてみるとどうでしょうか?例えば「つい不安になるのは、自分らしい」と思ったりするでしょうか? あるいは「つい不安になるのは、自分らしくない」と思うでしょうか?

「つい不安になる」場合は、人からの不安を請け負っているだけと言うことが多々あります。他の人の宿題もやってあげるような感じですね。そうするために、自己肯定感を低くしています。自己肯定感を低くすると、他人の苦しみや不安があなたに流れ込んできます。そして、あなたは孤独を感じなくて済みます。

「つい不安になってしまう」方は、多くが単に自己肯定感が低いのです。そして孤独に悩んでいます。でもそれを認めたくない気持ちがあるから「優しい」や「人の気持ちに敏感」と言われて、そんな自分をまぁいいかと否認するんです。

不安だから、会議でこう発言する。

今夏2回目のサプライズ花火を楽しめました!おはようございます。吉野実岐子です。

知らない土地で、いつものチェーンのあの店に入りたくなるなら、あるいは、結局同じメニューを頼んだり、同じスタイルの服を買ってしまうなら、目の前に過去を置いた状態で生きています。つまり、自分と世界の関係を変えたくない!と強く思っているのです。

会議で「でもやっぱり前例がないですからね」「毎年こうするって決まっていますから」となってしまうのも同じで、そうなるとそう発言した人はもちろん、その決定をOKとした会社自体も「現在は大事でない」と思っているし、どんなに口でビジョンをうたっていても、未来を大事だなんて思っていません。

さて、上記で書いた状態は、いずれも冷静さのない、不安に満ちた状態であると、あなたは認識されてきたでしょうか?

不安になりやすいなら

おはようございます。吉野実岐子です。昨日の続きです。

「自分が背景にされてしまうのは、重要だと思われていないからだ」と言う理解にとどまらず、「新しいと認識されることは、相手の中での優先順位が上がることだ」と認識していたでしょうか?

そこまではあなたの中で理解されていたとして「新しいと相手が認識している時、相手の世界は揺らいでいる」ことも、認識していましたか?

つまり、目の前に過去を置いていなければ、常にあなたは、自分の中の優先順位が変わり続け、自分の世界が揺らぎ続ける状態にあるはずなんです。

そして、その状態にないなら、あなたは不安になりやすいはずなんです。

全部自分でやりたい?

おはようございます。吉野実岐子です。

親が病気を抱えていたり、十分に養えないような貧しさの中にあって育つと「全部自分でやりたい」という傾向が、過剰になってしまうことがあります。自立という価値観を強く持っていたり、独立心旺盛だったりします。

子供だったその人にとって「自分で全部できる」ことが、その人を安全にしてくれるやり方だったのでしょう。だから、大人になった今でも、その人の中では「自分で全部できる」ことが、過剰に高く評価されています。

また、他のやり方を十分に探す可能性は、子供から大人になって増えたのですが、そこも閉ざされたままになってしまっています。子供時代のまま、アップデートされていないのです。他のやり方という別の選択肢が、その人の中では完全に奪われてしまった状態に、あの頃からずっといるんです。

「自分で全部できる」と思わないといけないところまで、とことん追い詰められてきた子供だった自分に、今どんな言葉をかけてあげたいでしょうか?大人になったあなただから見える、あの頃にあった別の選択肢を、あなたからその子に教えてあげることはできますか?

あなたのYESの意味

カモシカは雄でも雌でも、角が生えるそうです。おはようございます。吉野実岐子です。今日はこちらと関連することを書きますね。

みなさんは自分が言ったり書いたりするYESの意味を、振り返ってみたことはありますか? かなり多くの方のYESの意味が「耐えられる」になっている印象を受けます。

「〜していい?」と聞かれて「そのくらいならいいかな」と思ったり「何か事情があるのかも」と言う考えが頭をよぎるなら、あなたのYESは「耐えられる」になんている可能性が高いでしょう。

もしもYESの意味が「ぜひそうしたい」だったとしたら、皆さんがYESという回数は、今と比べて、極端に減ってしまうかもしれません。そんな自分を寛容ではないように感じたりして「耐えられる」という定義を導入したのかもしれません。

ただすべてを「耐えられる」「耐えられない」で判断する人生がどんな人生なのか、少し離れたところから考えてみて下さい。あなたは憧れるでしょうか?その人生は幸せそうに見えるでしょうか?

そして、なぜYESが少ない自分には、YESを言わないのでしょうか? YESが少ない自分は「耐えられない」のは、なぜでしょうか?あなたの中の踏みにじられてきたあなたを、ぜひ解放してあげてください。

 

煩悩が過去を引きずらせる

室内の蚊にもききました!おはようございます。吉野実岐子です。

京都や奈良はかつて、日本の中心だった時代を持つわけですが、それは今でも引きずられていて、自分たちが中心だった時代に起きた事件やそこに関連して発掘されたものは、他のエリアにおいてより、高く評価されているように見えます。人の意識もそうで、京都は住んだことがありますが、その時代錯誤感は、ねずみのテーマパークに住んでいるかのような感覚を、私にもたらしていました。

フランスも、ヨーロッパで中心だった時期を長く持ちます。英語教育は、小学校から始まっても、あまり熱心でないことで知られてきました。外交上、今の英語の位置にフランス語が来ていた時代もあります。だからやはり、京都や奈良と同じように、かつて中心だった感覚を引きずっているようです。

伊勢(三重)なども、一生に一度はお伊勢参りと多くが思っていた時代があるわけで、その特殊さは人の感覚として今も引きずられている印象があります。簡易化してしまうと、中心という意識です。多くの方にとって、神社に行くことは参道のお店で買い物をすることでもあり、祭りやテーマパークにつながる感覚が得られることでもあるでしょう。

そして、こうしたテーマパーク感のある場所は、必ず観光で儲けていて(フランスは観光の国)、しかもプライドが高いのです。さて、そこでみなさん自身の内部を、今度は旅して頂きたいのですが、みなさんが高いプライドを持つ分野・年代・記憶はなんでしょう?そこには、あなたが中心だったという感覚が潜んでいて、だからこそ今まで引きずってきていませんか?

他人の感覚を生きていると?

朝顔は、奈良時代にその種子が、日本に薬としてやってきたそうです。おはようございます。吉野実岐子です。

他人の感覚を生きていると、他人を優先してしまいます。これは、思いやりとは異なります。そして、なぜかそうなってしまう人の幼少期には「”世界が安全だ”という学習がなされない経験」が含まれるようなんです。

親としては守っているつもりだったとしても、赤ちゃんだったあなたがそう感じられなかったなら、あなたは親という他人に守ってもらうべく、気を使い始めます。そう、他人を優先することで、自分の安全を確保しようとするのです。

こうして「他人を優先してこそ、自分の安全が確保できる」という学びがなされてしまうと、相手を思いやっているわけではなく、むしろ自分のために他人を優先していくようになります。例えば、自分に親切じゃない人に親切にしてしまいます。または、不適切に気をつかってしまうため、その場で自分を一番低くしてしまったりします。

思い当たる方も多いんじゃないかなと思っているんです。

緊張したら、意識はここに置く!

おはようございます。吉野実岐子です。

緊張しているとき、みなさんは満ち足りているでしょうか?それとも、不満を抱えているでしょうか?仮に二択だとしたら、どちらを選びますか?

緊急事態宣言下の五輪だからこそ、この答えははっきり出そうですね。そう、緊張している時、みなさんは不満なんです。

不満なとき「緊張している」と認識する人が少ない一方、緊張しているときに「今、不安だ」と認識できている人も少ないように思います。

なんとなく、緊張よりも不満の方が、扱いやすい感じがしませんか?緊張していると「初めてのことだから」「前に失敗したから」「やっぱり準備が足りなかったのかも」のように、理由を探しながらちっとも緊張は減らないループに、入りやすくないでしょうか?

だとしたら、緊張を認識できたときに「私/僕は今、不満なんだ。そっか、不満なんだ」と思ってみるのはどうでしょう?少し緊張を扱いやすくなるかもしれません。緊張したら、緊張に意識をおかず、不満に意識を置いてみるというお話でした!

イライラの舞台裏

おはようございます。吉野実岐子です。

イライラしたこと、ありますよね?経験済みなら、イライラの仕組みについて、明白でしょうか?

イライラするとき「あれもしないと」「これもしたい」と、同じくらい大事に感じることが、乱立していたでしょう。だから、優先順位をつけられないのです。

「大事なことがたくさんあるのが、豊かさでしょう。選べないくらいが自由です」なんて、思ってしまっていますか?単にあなたが大事だと思う中に、他人の感覚に基づいた「大事」が混ざり込んでいるだけです。他人の思う「大事」なことを満たしても、満たされないのは当然ですよね。だから、それを終えたのにどうもスッキリしきらなかったり、少しすると満たされない感覚が出てくるそれが、まさに他人の感覚に基づいた「大事」です。

自分の感覚に基づいていれば、必ず優先順位がすっきりとつきます。そして、満たしても満たしても不満が出てくるようなことになりえません。だから、イライラするときは「他人の感覚が混ざっている」からスタートしてみませんか?

現状維持への悲鳴

おはようございます。吉野実岐子です。この記事の続きです。

それでもまだ鬱々とするなら、今度は「自分」と呼ばれる領域に注目して見ませんか?「中学までクラスでトップの成績だったのだから、高校でもトップに入らないと」や「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた。新卒でこの会社に入っても、注目されていかないと自分らしくない」のように、過去を引きずる癖はありませんか?

おそらく、楽しく学んでいたら、たまたま「中学までクラスでトップの成績だった」だけなら「高校でも」と意気込まないのです。「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた」ことで、ますます自分にできることの限界と人と協力していける喜びが経験されていたなら、初めから重荷を背負う上記のような発想は生まれないでしょう。

実は、「中学までクラスでトップの成績だった」中に、そして「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた」中に、実際には嫌なのに我慢した未解決のことがあって、だから上述したようなこだわりが出てきます。嫌な思いをしていなければ、上述したような不自然さで、現状維持に勤しんだりしないのです。

そう、だから勤続○年や結婚して◯十年は、とても危ないのです。そうやって、工夫を重ねて現状維持に勤しみつつ、鬱々とする時があるなら、それは現状維持に対する悲鳴だからです。

この夏もやりたいことだらけ!

朝はまだまだ、鶯の美声でいっぱいです。おはようございます。吉野実岐子です。

さて「この夏もやりたいことでいっぱい!」「昨日はあれが楽しかったな~」そんな気持ちで、朝の準備を始めたりしていますか?それとも「あれ?今日もゲリラ豪雨が来るかもしれないから、あれも持って~」「締め切りは明後日だけど、今日出せって、せっつかれるかな?」のように、不快なことに意識を向けて、一生懸命対策を講じた朝でしたか?

例えば、夏に楽しかったことといえば、どんなことが思い浮かぶでしょう?いとことポテトチップを食べながらトランプしたことでもいいし、朝露のついたトマトに、おばあちゃんと一緒に立ったままかぶりついたこと、様々に浮かぶでしょう。

そこにあるあの安全を、あなたの朝にいつも持ち込んで、あなたの朝を安全にしてみてはどうかなと、ふと今思ったんです。

逃げようのないこと。

おはようございます。吉野実岐子です。

人生にはいい時もあれば、悪い時もあります。そして、楽しくないことから、逃げようがないこともあります。そういう時、恐れのないまま、どんな風に自分がそれを調整していくかを学びたいという気持ちや理解しようという心で、楽しくないことを見ていく必要が生じているようなんです。なんだか、やる気が消える感覚や恐れがないまま、それをやっていけるようなんです。

そして、今あなたの中には恐れがあるようなんです。その恐怖は、今本当にはあなたが必要としていないもののようですが、でもあなたは持っているんです。つまり、あなたは今、安全とは呼べない状態でこれを読んでいるようなんです。

捨て時がわからないのは、安全じゃないから。

新玉ねぎの時期はだいぶ過ぎましたが、やっと玉ねぎドレッシング作りに手が伸びて、ホッとしています。おはようございます。吉野実岐子です。

紫玉ねぎを使うと、苦手な方もそのみずみずしいおいしさにだけ触れられるみたいです。わたしは、ネギ類やニンニクが苦手なため、紫玉ねぎを手に入れやすい今の環境はちょっとすてきだなと感じてきました。

どうやら、こういう新陳代謝がうまくいっていないと、そこに苦しみが隠れているようなんです。例えば「大事だからいつまでも捨てられない」と思っている、捨て時のわからないものです。

実際、まじまじと見てみれば、それはもうどう生かしたらいいかわからなかったり、いい加減酷い状態だったりします。だけど、それと自分の関係を変えられません。捨て時がわからないのです。

かといって、誰かが「捨ててあげるよ」と言ったり、まして勝手に捨てられたら、仁王様でも乗り移ったかのように怒ります。だって、安全じゃなくて、新陳代謝が止まっていたものに触られると、とても痛むからです。

捨て時のわからないものや人間関係は、いつも安全じゃない記憶と結びついています。

なんだかちょっといい日

今年は、冷凍した梅で、梅ジュースを作ってみました。おはようございます。吉野実岐子です。変なお天気が続きますね。湿気がまとわりつきますよね。そして、マスクのおかげもあってか、自分の吐く息を感じやすいようですね。

そろそろ、もうこの何年も考えることもなかった、何かとてもいいことをわたしたちは、思い出してもよさそうです。それは、初めて自分で靴の紐が結べたあの喜びかもしれませんし、世界がぱっと明るく鮮やかに見えたあの瞬間かもしれません。

あの頃、足の間からみる、逆さの世界は何と楽しかったことでしょう!そして、それは今も味わえる楽しさではないでしょうか?窓の近くに寝そべれば、小さくても大きな空が見えて、あの雲の動きに心を添わせると、胸がすぅっとしていくようです。そんな楽しみも、いつもそこにあったようなんです。

どこか涼し気な気持ちよさが、身を包んでいくとき、心の中はほっこり温かくなっていくような気がします。それを大切に今日一日を過ごせば、なんだかちょっといい日になる、そんな予感を意識でも少し感じとれるのかもしれません。

気象異常という慢性的ストレス

これからは「旅から帰ってきたら、家がなくなっていた」、そんな時代になっていくのでしょう。おはようございます。吉野実岐子です。

そうした「予想がつかない」ことが、発達段階の脳に降り注ぐと、傷だらけになります。親からしたら「色々経験させてあげた」と得意げだったりしますが、ある日突然、知らない言語の学校に放り込まれたり、色々連れまわされて、子供の側が「今どこにいるかわからない」と迷子のような感覚が常になったりすることは、傷になるでしょう。

こうした逆境は、慢性的なストレスになります。「予想がつかない」ことは、ストレスになるからです。最近はお天気も「え?どしゃぶりが3時間続いてるのに、今日はずっと曇っていたことになっている」「雨量が多くなかったのに、土砂崩れが起きた」といった、ある程度の予想もできない状態になっています。毎日、全天候型の服装が必要になってしまうかもしれません。

こうした気象異常も、ひたすらわたしたちを傷つけるんです。だから、地球が回復するような行動を、どんどん選んでいかないといけないんです。ほら、またスコールが降ってきました。

時こそ傷を覆い隠す

おはようございます。吉野実岐子です。

「時間が癒してくれる」とよく耳にするだろうと思います。でも、時間が癒し、日薬となってくれるのは、ごく一部に過ぎません。むしろ、時間こそ、傷を覆い隠してしまいます。子供の頃のちょっとした困難は、大人になって器質性疾患をはじめとする病へと、その姿形を変えるのです。覆い隠されたものは、病へと変容していきます。

「逆境は人を強くする」と言いたがり、発症した病については「老化だ。今までがんばってきたし」と、まとめ上げてしまう方もいらっしゃるでしょう。そこに、痛みが恐怖が罪悪感が隠れているのです。かくまわれるそれらは、細胞レベルであなたを傷つけ、細胞を老化させます。染色体を保護するテロメアが短くなることが、分かっています。

「痛み止めを飲めば動けるから」と当たり前になっている頭痛にも「いつも何となく不安な感じがあるから、タバコを吸って、気持ちを前に向けている」と頼っている習慣にも、こうした匿われてきたことが、あなたが思うよりずっと強く相関しています。

子供時代の逆境

雨宿りに来てくれた雀が、竿の上にいる姿が何とも可愛らしかったんです。おはようございます。吉野実岐子です。

中年以降、身体の病気が、子供時代の逆境に関連しているなんて、皆さん思いもよらないかもしれないです。でも、心臓病・自己免疫疾患・癌などに加え、座骨神経痛のような小さく見える病気も、子供時代の逆境と関連していることが、だんだん分かってきています。

子供時代の逆境は、あなたの思うそれとは違うでしょう。家族同士の中がちょっと悪くてちょっと緊張感のある家だったり、物は買ってもらえても家族のだれもが自分をまもってくれないと感じたり、病気の時に「寝てなさい」と言われてなかなか病院に連れて行ってもらえなかったり、たった1回だけでも両親が喧嘩して互いに暴言を放つのを聞いていたり、洗濯は3日に1回しかしてもらえなかったり、こうしたことがすべて逆境に当たります。より正確に言うと、記憶が抜け落ちていて、一つしか覚えていないようなケースもあるので、こう書いています。「親戚もみんなそうだった」「友達もみんなそうだった」という形で、血縁や地域ぐるみで逆境をつくっていることもあるので、そうした方にも響くよう、上記のように書きました。

いずれも、家族が健全に機能していないことを表し、また健全に機能している家族はほとんど存在しないのが、事実です。みなさんの想像をはるかに超えた相関性をもって、子供時代の困難と成人以降の発病は関連しています。病気と診断されない未病も、そこには含まれます。

「こんな逆境も乗り越えてきたんだ」と自分を奮い立たせてしまう人が多いようですが「そこでこんなに傷ついて痛かったんだ」も、とても大事な情報なのです。