現状維持への悲鳴

おはようございます。吉野実岐子です。この記事の続きです。

それでもまだ鬱々とするなら、今度は「自分」と呼ばれる領域に注目して見ませんか?「中学までクラスでトップの成績だったのだから、高校でもトップに入らないと」や「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた。新卒でこの会社に入っても、注目されていかないと自分らしくない」のように、過去を引きずる癖はありませんか?

おそらく、楽しく学んでいたら、たまたま「中学までクラスでトップの成績だった」だけなら「高校でも」と意気込まないのです。「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた」ことで、ますます自分にできることの限界と人と協力していける喜びが経験されていたなら、初めから重荷を背負う上記のような発想は生まれないでしょう。

実は、「中学までクラスでトップの成績だった」中に、そして「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた」中に、実際には嫌なのに我慢した未解決のことがあって、だから上述したようなこだわりが出てきます。嫌な思いをしていなければ、上述したような不自然さで、現状維持に勤しんだりしないのです。

そう、だから勤続○年や結婚して◯十年は、とても危ないのです。そうやって、工夫を重ねて現状維持に勤しみつつ、鬱々とする時があるなら、それは現状維持に対する悲鳴だからです。

この夏もやりたいことだらけ!

朝はまだまだ、鶯の美声でいっぱいです。おはようございます。吉野実岐子です。

さて「この夏もやりたいことでいっぱい!」「昨日はあれが楽しかったな~」そんな気持ちで、朝の準備を始めたりしていますか?それとも「あれ?今日もゲリラ豪雨が来るかもしれないから、あれも持って~」「締め切りは明後日だけど、今日出せって、せっつかれるかな?」のように、不快なことに意識を向けて、一生懸命対策を講じた朝でしたか?

例えば、夏に楽しかったことといえば、どんなことが思い浮かぶでしょう?いとことポテトチップを食べながらトランプしたことでもいいし、朝露のついたトマトに、おばあちゃんと一緒に立ったままかぶりついたこと、様々に浮かぶでしょう。

そこにあるあの安全を、あなたの朝にいつも持ち込んで、あなたの朝を安全にしてみてはどうかなと、ふと今思ったんです。

逃げようのないこと。

おはようございます。吉野実岐子です。

人生にはいい時もあれば、悪い時もあります。そして、楽しくないことから、逃げようがないこともあります。そういう時、恐れのないまま、どんな風に自分がそれを調整していくかを学びたいという気持ちや理解しようという心で、楽しくないことを見ていく必要が生じているようなんです。なんだか、やる気が消える感覚や恐れがないまま、それをやっていけるようなんです。

そして、今あなたの中には恐れがあるようなんです。その恐怖は、今本当にはあなたが必要としていないもののようですが、でもあなたは持っているんです。つまり、あなたは今、安全とは呼べない状態でこれを読んでいるようなんです。

捨て時がわからないのは、安全じゃないから。

新玉ねぎの時期はだいぶ過ぎましたが、やっと玉ねぎドレッシング作りに手が伸びて、ホッとしています。おはようございます。吉野実岐子です。

紫玉ねぎを使うと、苦手な方もそのみずみずしいおいしさにだけ触れられるみたいです。わたしは、ネギ類やニンニクが苦手なため、紫玉ねぎを手に入れやすい今の環境はちょっとすてきだなと感じてきました。

どうやら、こういう新陳代謝がうまくいっていないと、そこに苦しみが隠れているようなんです。例えば「大事だからいつまでも捨てられない」と思っている、捨て時のわからないものです。

実際、まじまじと見てみれば、それはもうどう生かしたらいいかわからなかったり、いい加減酷い状態だったりします。だけど、それと自分の関係を変えられません。捨て時がわからないのです。

かといって、誰かが「捨ててあげるよ」と言ったり、まして勝手に捨てられたら、仁王様でも乗り移ったかのように怒ります。だって、安全じゃなくて、新陳代謝が止まっていたものに触られると、とても痛むからです。

捨て時のわからないものや人間関係は、いつも安全じゃない記憶と結びついています。

なんだかちょっといい日

今年は、冷凍した梅で、梅ジュースを作ってみました。おはようございます。吉野実岐子です。変なお天気が続きますね。湿気がまとわりつきますよね。そして、マスクのおかげもあってか、自分の吐く息を感じやすいようですね。

そろそろ、もうこの何年も考えることもなかった、何かとてもいいことをわたしたちは、思い出してもよさそうです。それは、初めて自分で靴の紐が結べたあの喜びかもしれませんし、世界がぱっと明るく鮮やかに見えたあの瞬間かもしれません。

あの頃、足の間からみる、逆さの世界は何と楽しかったことでしょう!そして、それは今も味わえる楽しさではないでしょうか?窓の近くに寝そべれば、小さくても大きな空が見えて、あの雲の動きに心を添わせると、胸がすぅっとしていくようです。そんな楽しみも、いつもそこにあったようなんです。

どこか涼し気な気持ちよさが、身を包んでいくとき、心の中はほっこり温かくなっていくような気がします。それを大切に今日一日を過ごせば、なんだかちょっといい日になる、そんな予感を意識でも少し感じとれるのかもしれません。

気象異常という慢性的ストレス

これからは「旅から帰ってきたら、家がなくなっていた」、そんな時代になっていくのでしょう。おはようございます。吉野実岐子です。

そうした「予想がつかない」ことが、発達段階の脳に降り注ぐと、傷だらけになります。親からしたら「色々経験させてあげた」と得意げだったりしますが、ある日突然、知らない言語の学校に放り込まれたり、色々連れまわされて、子供の側が「今どこにいるかわからない」と迷子のような感覚が常になったりすることは、傷になるでしょう。

こうした逆境は、慢性的なストレスになります。「予想がつかない」ことは、ストレスになるからです。最近はお天気も「え?どしゃぶりが3時間続いてるのに、今日はずっと曇っていたことになっている」「雨量が多くなかったのに、土砂崩れが起きた」といった、ある程度の予想もできない状態になっています。毎日、全天候型の服装が必要になってしまうかもしれません。

こうした気象異常も、ひたすらわたしたちを傷つけるんです。だから、地球が回復するような行動を、どんどん選んでいかないといけないんです。ほら、またスコールが降ってきました。

時こそ傷を覆い隠す

おはようございます。吉野実岐子です。

「時間が癒してくれる」とよく耳にするだろうと思います。でも、時間が癒し、日薬となってくれるのは、ごく一部に過ぎません。むしろ、時間こそ、傷を覆い隠してしまいます。子供の頃のちょっとした困難は、大人になって器質性疾患をはじめとする病へと、その姿形を変えるのです。覆い隠されたものは、病へと変容していきます。

「逆境は人を強くする」と言いたがり、発症した病については「老化だ。今までがんばってきたし」と、まとめ上げてしまう方もいらっしゃるでしょう。そこに、痛みが恐怖が罪悪感が隠れているのです。かくまわれるそれらは、細胞レベルであなたを傷つけ、細胞を老化させます。染色体を保護するテロメアが短くなることが、分かっています。

「痛み止めを飲めば動けるから」と当たり前になっている頭痛にも「いつも何となく不安な感じがあるから、タバコを吸って、気持ちを前に向けている」と頼っている習慣にも、こうした匿われてきたことが、あなたが思うよりずっと強く相関しています。

子供時代の逆境

雨宿りに来てくれた雀が、竿の上にいる姿が何とも可愛らしかったんです。おはようございます。吉野実岐子です。

中年以降、身体の病気が、子供時代の逆境に関連しているなんて、皆さん思いもよらないかもしれないです。でも、心臓病・自己免疫疾患・癌などに加え、座骨神経痛のような小さく見える病気も、子供時代の逆境と関連していることが、だんだん分かってきています。

子供時代の逆境は、あなたの思うそれとは違うでしょう。家族同士の中がちょっと悪くてちょっと緊張感のある家だったり、物は買ってもらえても家族のだれもが自分をまもってくれないと感じたり、病気の時に「寝てなさい」と言われてなかなか病院に連れて行ってもらえなかったり、たった1回だけでも両親が喧嘩して互いに暴言を放つのを聞いていたり、洗濯は3日に1回しかしてもらえなかったり、こうしたことがすべて逆境に当たります。より正確に言うと、記憶が抜け落ちていて、一つしか覚えていないようなケースもあるので、こう書いています。「親戚もみんなそうだった」「友達もみんなそうだった」という形で、血縁や地域ぐるみで逆境をつくっていることもあるので、そうした方にも響くよう、上記のように書きました。

いずれも、家族が健全に機能していないことを表し、また健全に機能している家族はほとんど存在しないのが、事実です。みなさんの想像をはるかに超えた相関性をもって、子供時代の困難と成人以降の発病は関連しています。病気と診断されない未病も、そこには含まれます。

「こんな逆境も乗り越えてきたんだ」と自分を奮い立たせてしまう人が多いようですが「そこでこんなに傷ついて痛かったんだ」も、とても大事な情報なのです。

安全ってなぁに?

こういうのもあったりしますね。おはようございます。吉野実岐子です。

今年は、若い味噌も試してみようかと思い、1月に作った味噌を、もういただいてみました。昨年は北海道産の大豆で、今年は三重と兵庫産の大豆を使ったこともあり、その味の違いもあったと思います。が、今のところは若い味噌の方が好きかもしれません。こうやって、食や産地を変え、様々な味噌を作れる豊かさは、ワンクリックでは得られません。来年は黒豆でも挑戦しようかなと少し思いました。

そして、半年ほど愛用しているシリーズの内、最近仲間入りしたこのオリーブペーストには、とても助けられています。例えば、サンドイッチを作りたいのに野菜がきゅうりしかなかった時、このオリーブペーストをパンに塗って、そこにスライスしたきゅうりをのせるだけで、素敵なサンドイッチになります。ズッキーニとトマト缶しかないような時も、ズッキーニをオリーブペーストで炒め、そこにトマトソースを入れれば、パスタソースやスープになるので、重宝しています。

ありふれた毎日の中で、この命の営みをあの時の気持ちのまま見つめていることが、安全につながると思っています。今日は七夕ですね!

前提を問題にしていませんか?

おはようございます。吉野実岐子です。

完全であることと、何かを全うすることは違います。前者は非現実的な目標で、後者は現実的な目標でもありますね。前者を求める人が、よく見受けられるのは、ネィティブスピーカーの発音や教科書の文法と自分を比較する形ですが、なぜ日本語の発音や日本語の文法には同じことを思わないのか不思議です。つまり、そこが非現実的な目標ゆえのおかしさの表れです。

つまり、完全であろうとすることは、「これでよし」と言えない未熟さの表れです。ガウディの建築物であるサグラダ・ファミリアなどは、明らかに未完ですが、今も作り続けられているだけでなく、現在の主任彫刻家が日本人であったりと、むしろ周りを巻き込んで、面白いことになっています。

完全を目指す前者の視点からすると「未完だからダメ」でしょうが、全うしようとする後者の視点からすると「これでよし」に向けて、色んな人がエネルギーを注いだり国境を越えた動きが出たりする、愛と呼べそうな何かのふくまれた動きは、食卓の話題に上りそうな、そんな人の心への届き方を見せてくれます。

完全を目指すのでもなく、あきらめでもなく「これでよし」とできる動きは、関わった人みんなに対する、そして作り続けたものに対する、大きなYESです。そういう大きなYESをいうのは、ダメだしよりずっと、勇気が要ることです。でもその勇気を引き受けた時、思い通りにいかないことや失敗は問題から前提へと、位置づけを変えるのではないでしょうか?

思い通りにいかないことはふつうだし、失敗するのも当たり前です。実際、冒頭で用いた外国語学習の例でいうと「間違えることこそ、近道」です。非現実的な態度で生きていると、こうした前提が問題になってしまうという、変なことも起こしていけるというだけです。

人道支援に見える政治的目論見

おはようございます。吉野実岐子です。

なんとなく会話から漏れてしまうような話題を多く持っていると認識できるなら「それは健康的なのか」という問いが力を発揮するでしょう。

そういう状態にあると、健康的でない人間関係に搾取されている状態を「人脈があって素晴らしい」とか「支えられている」と認識しているケースが非常に多く見られます。

「子供のためだから」「しょうがないから」「良かれと思って」と言う言葉が自分の中に出る人間関係は、そもそも健康的ではありません。不健康な人間関係の中に入れば、良いふれあいと悪いふれあいの違いにだって、気づけなくなります。そうした大人の姿を見て育った子供は、どうなるでしょうか?

そもそも、家族が不健康な人間関係であることが非常によくあります。「家族で力を合わせればできる」といった視点からは抜け、人道支援に見えて実は単に政治的な目論見で動く国と同じようにみましょう。

「人を嫌いだと思っちゃいけない」

おはようございます。吉野実岐子です。

「人を嫌いだと思っちゃいけない」「会社に行きたくないなんて思っちゃいけない」、そんな風に「〜と思っちゃいけない」と自分にお化粧する必要はありません。

そう思った時に、そう思う位の衝撃を受けたのです。そこで、逃げたくなったり、心を閉ざしたくなったのは「居場所がない」と感じたからでしょう。

もしかしたら「自分はここにいていいのかな」「自分が関わると、相手に迷惑かけるだけだという気がする」とも思ったかもしれません。

さらにそこから「誰かが自分に居場所を与えてくれる」と期待するしかなくなったかもしれません。でもその誰かを待つ状態は、無力です。そしてそれをちゃんと知っているからこそ、あなたの中に「〜と思っちゃいけない」と言う発想も、生まれたのかもしれません。

あなたはただ、そう思うほどの衝撃を、その時受けただけなのです。そして、衝撃を繕わなくていい安心感が、「何かが足りない」という空虚感をいつの間にか消し去って、自分の居場所を生んでくれます。

値しないという判断を、認める。

おはようございます。吉野実岐子です。

「めんどくさい」という考えが浮かぶ時「これをするに値しない」と考えている自分を認識しましょう。「やりたくないとは思っていない」などと弁解し、濁さない強さを持つことです。だって「これをするに値しない」と思っていいわけだし、それをやってもやらなくてもいいわけだからです。それなのに、それすら認められなくてジタバタしているのは、一人芝居で滑稽です。内省ができないのです。

もちろん「これをするに値しない」とジャッジした自分の結果に対して、自分が責任を取ります。「リスクのない〇〇」「リスクゼロで始める△ △」のような言葉に惹かれる人は、普段「めんどくさい」がたくさん浮かぶでしょう。

なぜなら、リスクを引き受けて責任を取らなければ、自分の中が濁ってデトックスの必要が出てくるからです。でもそこに向かわないために、酔っ払ったようになることを選び、リスクゼロ・リスクがないといったありえないことを求める異様さを見せます。

そうして、いつも頭の中がごちゃごちゃ騒がしい状態を、自分の手で生んでいくのです。

足裏の気持ちよさ

おはようございます。吉野実岐子です。

トイレのスリッパを、低反発のふかふかのタオル地のスリッパにしたんです。そしたら、トイレを使う際の快適度がぐんと上がり、ここまで上がるとは予想してなかったので、大変驚きました。タオル製品はUCHINO一択でしたが、やはり安定の品質は最高ですね!

また、最近の湿度と気温の乱高下に伴い、室内でもスリッパが必要だと判断し、5年ぶりにこちらも新調しました。今の季節に合うものをと、麻素材を選びましたが、こちらも足裏が気持ちいいんです。

靴がきれいで履きやすいことが、高い営業成績につながるように、室内で何をどう履くかも、人生に大きな影響を与えるんです。気温や湿度に合わせて「足裏の気持ちよさ」を、どんどん確保してあげて下さいね。

例えば、スマホのアプリの並び

アメリカでは、アジア人に対するヘイトクライム相談窓口が、各州にもうけられるような状況になりました。(「じゃあ、どうしたらいいの?」のこたえの一部を、明日お送りするメールマガジンの冒頭に書きます)おはようございます。吉野実岐子です。

適切に機能しているルーティーンを持つと「あ!新陳代謝が良くなっている」という実感を得られます。「ずっとこのままで固定しよう」「変えなくていいから(その分緊張が減って)楽」といった発想と、縁遠くなります。固定したり、変化を嫌うような、不自然さが消えていくから、自然と人生に躍動感が生まれていくんです。

例えば、スマホの画面に並ぶ、アプリ一覧の数は3ヵ月前と(ほぼ)同じでしょうか?アプリの並び方は、3か月前と(ほぼ)同じでしょうか?基本的には、アプリの数に変化があり、並び方も違っている方が、新陳代謝がいいといえます。それも「余分なアプリを消さなきゃ」「並び方をみなおさなきゃ」といった意識が働かずに、そうなっている方が、圧倒的に新陳代謝はいいのです。

そう、新陳代謝は、いつでも良くしていけるんです。

隠れていた気持ちよさを発見!

13日にはモスクワでこの140年来、最も暖かい日が記録されてしまいました。台風も日本に近づいています。おはようございます。吉野実岐子です。

この冬、そこまでストレスには感じていなかったしゃもじを、変えてみたんです。木製のしゃもじで10年以上使ったので、さすがにボロボロになっていましたが、愛着がありました。そうして変えてみたら、お米がしゃもじにつくことがストレスになっていたと自覚できて、驚きました。

だから、先日無農薬のはっさくでジャムを作った際「ジャム瓶に残った分をきれいにすくいとれないことも、ストレスかも」と思ったんです。それで、シリコンスプーンを買ってみました。最近好きなフムスやマッシュポテトをこれで掬ったら、驚くほどすくいやすかったです。「こんなところにまだ見ぬ気持ちよさが隠れていたのか」という感じでした。プリンがおいしく感じられるという意見もあり、さらに使っていくのが楽しみです。

また、木製でも革製でも使えるクリームを探していたんです。そうして、蜜蜂のお世話になれる物を見つけましたが、いつもなら桜に群がっている蜂を見るのに、今年は1匹も見ていませんから、ドキドキしています。

いろいろ自動化していくと、こうした隠れていた気持ちよさに出会いやすくなっていくのを、日々感じているんです。

キャパオーバー用を用意する。

おはようございます。吉野実岐子です。

気温や湿度が乱高下すれば、心身はより機能不全の状態に入っていきます。そこに振り回され、より意識的になる方が増えています。

意識的であるほど「頭を働かせよう」とだけします。典型的な例は、朝起きて頭が働かないから、まずはコーヒーやテレビという悪循環です。「頭が働いた」と認識する状態自体か、誤認されています。

実際には、意識的であるほど、脳の一部しか使えていません。意識的であるほど、直感も働きません。キャパオーバーを素直に認めて、対策をしたらいいだけです。

このところ、わたしの掃除方法は棕櫚箒と水拭きでした。棕櫚箒は、自然な艶をだしてくれるし、静かなことこの上なく、掃除機より埃をたてません。フローリングと畳に適しています。かつて、一生で3本あれば足りるといわれた秀逸な日用品です。

しかし、最近はキャパオーバー用に、最低限の機能をもったロボット掃除機も用意しました。主に、真夏に頼る予定です。ロボット掃除機に関して、わたしのニーズは「隅々まで水拭きした状態を100%とした時、30分以内に、60%掃除済みの状態をうんでくれる」「カスタマーサービスの対応がいい」でしたので、それを満たすものを選びました。

「どんな条件でキャパオーバーになるか」を明確にすると、つまり限度を受け入れる健全さがあれば、混乱から縁遠くなっていけます。

懐かしさがこみ上げたり…

おはようございます。吉野実岐子です。

以前、スピリチュアルなことや能力のようにも誤認される、デジャビュ(例: 初めてだけど見たことがあるような感覚)やジャメビュ(例: いつも通ってるけど初めてのような感覚)なども、てんかんを疑う代表的な症状の一つだと、お伝えしました。

てんかんは、脳の様々な部位で起きますが、中でも側頭葉てんかんは成人のてんかんのほぼ半数を占めるとも言われます。「てんかんは生まれつきのもの」と思っている方もいらっしゃるようですが、脳腫瘍や脳血管障害などでも起こりますから、老いる予定のみんなに関連するんです。

ちなみに、デジャビュやジャメビュは、脳が疲れている時にも起きうると言われていますが、側頭葉てんかんの発作の前兆でもあります。側頭葉の内側にある海馬は、記憶を司るから、こうした事が経験されるのです。

側頭葉の内側には、海馬だけでなく扁桃体(情動を司る)もあるため、側頭葉てんかんの発作の前兆とされる代表的な感覚には、誰かに襲われるような恐怖が含まれます。同じ理由から、ずっと以前の懐かしく思える感覚がこみ上げてくることも、代表的な感覚の一つです。こみ上げるつながりで言うと、胃が悪くないのに胃から喉へこみ上げてくる感覚も、側頭葉てんかんの発作の前兆とされる代表的な感覚の一つに入っています。

上記が側頭葉てんかんの全てではありませんが、実際に過去のクライアントさんにも側頭葉てんかんが「やっと」発覚した方がいたので、その割合の多さをわたしは肌で感じてきていますから、このようにご紹介しました。病名という仮説がつくことで、未来へ備えたり、今をより安全に生きられます。

知らない人であっても、その人が危険にさらされることは、苦痛ですよね?ぜひ、皆さんからその安全を広げていってください。

自由を放棄してしまう。

おはようございます。吉野実岐子です。

歩いていて、なんだか足が痛いからと、靴を脱いでみます。靴を逆さにして振っても、中をのぞき込んだり、指を入れてみても、そこには何もないんです。

あなたが足が痛いと立ち止まる姿に、段々と周りも「またなの?」という視線を送ってきて、あなたも段々と立ち止まることをためらうようになってしまうんです。そして、自分でも何度見ても靴の中に何もないから「自分はいったい何をやっているんだろう?」という気持ちになります。

だけどやっぱり、何だか足が痛いから「骨がおかしいのかな?」「筋肉かな?」と、自分の中に原因があるという考えになっていくんです。そうしている内に、走らなきゃいけなくなって痛がっていると、周りから「痛いふりしちゃって。注目されたいのよ」「気持ちの問題。だって何もなかったんだから」「もっと走ることに集中しなさい」などと言われ始めます。

そうして「原因はわからないけれど、でもなにか自分が悪いみたいだ」となっていき、怒られて傷だらけにならないように、身を固くして、自由を放棄して生きていくようになるんです。でもそうして、何度も「原因はわからないけれど、でもなにか自分が悪いみたいだ」という感覚になっていきます。そうして、人が怖いという感覚が出て来たり、自信がなくなったり「もっと準備しなければ」と思ったり、新しい環境を不安から見るようになっていったりします。

これが、認識されない学習障害を持つ人の中で、起きていることの一部です。今日からは、どうかあなたはこのプロセスに加担しないでください。そして、こうした苦しみが和らぎ薄れる術があることを、周りにシェアしてください。

態度や性格の問題ではない。

おはようございます。吉野実岐子です。

失読症(dyslexia)は他にも「何か書き写すのが苦手」「話すスピードが速くなったり遅くなったりする」「一対多数だと聞き取るのが大変に感じる」「文末を自分で変えて読む」「音が同じ言葉(例:「わ」と「は」)の表記を間違えやすい」「お母さんをおかあしゃんと発音するなど、赤ちゃん言葉のようになってしまう」「あいうえおをあいうおえと読むように、頭の中で語順がシャッフルされてしまう」「句読点を打たずに文章を書く」「文章を飛ばして読んでしまう」といった状態として表れることもあります。

例えば、語尾を変えてよめば、小学校では学習態度や性格の問題にされて、怒られてしまうことがあるでしょう。学校の先生方には、そうでないことを、どうか理解して頂きたいです。それが本人にとって、どれだけの傷となっていくか、もっと理解に励み、そして配慮してください。そして、会議中の真剣な場面で「さっさと」と言いたかったのに「たったと」と言ってしまって、周りから笑いが起きたり白い目で見られるようなこともあるかもしれません。そうではないということを、これを読んだあなたはまず理解しましょう。

また、算数障害(dyscalculia)では「図形の模写がむずかしい」「千百二を1102と、あるいは1mを100cmと、書き換えられない」「一般に簡単とされる計算でも指を使うなどして、頭の中での計算に時間がかかる」「家計簿をつけるのにひどく疲れて、入力だけで終わる」といったあらわれ方をします。失読症のケースもそうですが、疲れるからと甘い物に頼って、今度は血糖値が乱高下する方にいくような展開もあります。

「自分は学習障害かも」と思う方は、自分に合う環境づくり(ペン1本とっても、です)に拘っていくと、少し楽になると思います。先日書いたように、知能が高くても学習障害を持つことはあります。そして「勉強したい」という思いがあったり、その知能の高さから嫉妬にやられてきた(例:いじめの経験など)のなら、ぜひトラウマ治療に年単位で時間とお金をかけてみて下さい。今まで見ることのできなかった世界が、ついに開けるんじゃないかと思うから、こうしてお伝えしています。

失読症をはじめとする学習障害

おはようございます。吉野実岐子です。

「アルファベットの上で目が滑る」「1とoneが同じものを指すと理解できない」「本を読んでいると目がチカチカする」「乱視であるかのように、文字のピントがずれて歪んで見える」「フォントを変えると、急に読みやすくなる」といった失読症は、学習障害(Specific Learnig Disability)の一種に位置付けられています。そして、これは知能指数とは関係ありません。本人も自覚できず、周りも認識できないことがあります。

そうなると、知能は高いのにそれを表現できないことになるから、その苦しさは途方もないのです。知能が低いと思い込んでしまうケースもありますし、周りの無理解で傷つきますし、また自己肯定感も低くなってしまいます。「コミュニケーションが苦手なのだ」という認識になってしまうこともあります。「なんでできないんだろう」と大粒の涙がポタポタと零れ落ちる感じです。

また、最近だとパスワードを間違えると「この文字を入力してください」とランダムな数字や英語が並んだ画像が出て、認証を求められることがありますが、これも失読症の状態にあると、難しく感じられる仕組みだろうと思います。このことが示すように、失読症はあまり認知されておらず、研究も進んでいません。論文を読んで「?」となることもあるくらいです。原因なども、なんとなくこんな感じ、で共有されてしまっています。

学習障害を持っている方は、知能指数の高さと実際に進んだ大学などの間に、ギャップが生まれてしまいます。また勉強が好きで勉強したいと思っているのに、ままならないもどかしさを抱えていたことが多いから、それがいくつになっても「勉強したい」という思いにもつながっていくようなんです。それが、その方の真摯さや誠実さや忠実さを形成している部分は、あるだろうと思います。

そして、一番のポイントは学習障害の状態自体が、(おそらく)年単位のトラウマ治療で改善を見込めるということです。あきらめとはまたちがう「またできなかった」「やってしまった」という感覚も消え、やがて自己肯定感もあがっていけば、人生のすばらしさを思い切り享受できるところまで、駆け上がれます。

その感動は、経験したご本人にしかわからないものであり、またその感動の大きさを想像するのは、学習障害でないあなたにも難しくないだろうと思います。

学習障害には、算数障害や字を書くときの緊張(書字障害)なども含まれます。何が該当するかはお一人お一人違いますが、例えば字を書くときの緊張がぐっと減るだけで、文具コーナーが楽しくなるのです。そういう楽しみの広がりの大きさに、すべてのみなさんには、敬意をはらっていただきたいと思います。そして、何でも「努力不足」「さぼっている」「やる気の問題」で片づけないで頂きたいと思います。

完璧という不調和

おはようございます。吉野実岐子です。

「今度こそやってやる」「がんばるぞ」のように意識的になると、わたしたちは完璧を目指しがちです。「あのラインを越えて見せる」と息巻くとき、あのラインを越えられなければ失敗、あのラインを越えたら成功のように、世界がぱきっと二分されるドラマチックな感じが生まれてきます。

そして、あのラインや今度という機会に囚われてしまいます。その時、何が起きているでしょうか?

より大きな視点から見ると、それが単に不調和を生んでいることも多いのです。目指した結果は出したけれど、大きなけがをしたスポーツ選手のような感じでしょうか?

そこから、怪我をして回復する回数が、優秀な選手の証といった、全体を損ねる学びをしてしまう方も、少なくありません。気づくべきは、完璧さのもたらす不調和そのものです。結果を出すためには、より調和に進む必要があったのです。

抜け落ちる大事なことをすくおう

おはようございます。吉野実岐子です。

大事なことなのに、うまくルーティーンにも入れられず、なんだか日々のタスクリストからも抜け落ちてしまう悩みをお持ちですか?そうなら、2週間の設定ができるタイマーなどは、ぜひ使ってみるといいでしょう。

例えば「読みたい」と思って買った本だけど、緊急で必要ではない内容で、そのまま何か月も積まれてしまっていて、それを読まない内に次の本を買ってしまうような時、こうした仕組みは「そう、これ読みたかったの!」と気づかせてくれるリマインダーになると思います。

コンプレックスがあったりすると、何でもそのコンプレックスのせいにしてしまって、そのコンプレックスを乗り越えようと、自分を苦しめる方に進んでしまうことがあるようです。

それは、コンプレックス自体を過大評価している状態です。そのコンプレックスは、そうなってしまう理由の20%くらいだったりするのが現実です。だから、コンプレックスがある部分こそ、自分を楽にしてくれる仕組みに頼ってみて下さい。

そうすると、あなたがコンプレックスに感じていることが得意な人も、あなたがめざす状態には到達していないことに気づけます。つまり、コンプレックスを理由に、自分に対して要求がましかったことが見えてくきて、自分との間の不協和音が消えていき、楽に呼吸できるようになるでしょう。

世の中そんなに甘くない?

大袈裟ではなく、川崎市で権力をもつ大人の集団による、子供への性的虐待が行われてきた事実を取り上げた市議の方に、敬意を表します。おはようございます。吉野実岐子です。

「世の中そんなに甘くない」も「現実は厳しい」と同様、よく聞くフレーズでしょう。とりあえずそれを言っておくと、話が着地して見えたりするのか、ドラマの台詞などにも出てきます。

さて「世の中そんなに甘くない」のでしょうか?この言葉を言われたあなたが知るべきは、世の中が甘くないというおとぎ話ではなく、あなたが主観を生きている事実です。

多くの人が主観にいる状態で「あんなにお腹がグーグー鳴ってかわいそう」のように思っては、それを「わたしは人の気持ちがわかる」と解釈しています。主観の状態で、相手の気持ちがわかるという客観を通らないと入れない「つながった状態」に入れるわけがありません。

あなたが主観的に生きているのに「自分は客観的に生きている」と思っているから、そのズレに対して「世の中そんなに甘くない」という言葉を頂いているだけです。世の中が甘いのかどうかに、意識を置く必要はありません。

顔色をうかがう生活は、勘を鋭くするのか?

おはようございます。吉野実岐子です。

小さい時から自分の居場所がなく、家庭内や学校で顔色をうかがう生活をしてきた人は「自分は勘が鋭い」と思っていることがあります。ちょっとした表情の変化を見るだけで「この人はわたし/僕を利用しようとしている」というアンテナが立つと、思っているからです。

しかし、実際には「自分が何かしたから、今、口角が動いたのかも」のように、ビクビクする方向に解釈していて「自分がこうしたから、相手は笑顔になった」という嬉しい方向の解釈はしていません。極端に表すなら、単に辛いものが苦手な人が、辛いものを口に入れてしまって「うっ」となっていても、「自分のお箸の持ち方がうつくしくないことに、うっとなっている」のように、とにかく「自分が悪いのだ」という発想が紐づけられていくようです。

この場合、実際には相手の表情は読み取れていません。たくさんの人の感情表現を読み取れないとなると、当然場の雰囲気を壊してしまいますが、そもそも「自分が相手を不快にした」と解釈した上で、その結果が生まれているので、自分の中では「やっぱり」と解釈が続いてしまいます。その結果「ほら、自分は相手の感情表現に敏感だ。表情をちゃんと読める。勘が鋭い」と、決定づけられてしまうようです。

相手の表情から、感情を読み取るには、眼窩前頭皮質が機能不全でない必要があります。眼窩前頭皮質は、価値の見積もりとその選択に関連します。だから、眼窩前頭皮質が機能不全だと、価値の低い方を選んでしまうのですが、本人の意識としては「価値を見極め、よりよい選択をした」という認識になってしまいます。

簡単に言いかえると、いい方を選んだつもりが悪い方を選んでしまうものの、いい方を選んだと信じ込み続けるのです。一方で、現実は悪い方を選んだなりに展開するので、いい方を選んだという認識との間に、ずれが生じます。そうしたら、当然、不安が湧いてきます。

つまり、眼窩前頭皮質が正常に働き、またこの体積が大きいほど、不安は減りますし、ストレス耐性が高い状態になります。そして、ここは回復が見込める箇所なんです。

その花びらも美しい。

おはようございます。吉野実岐子です。

トラウマの治癒は、運命との和解と呼び変えても、あながち嘘ではありません。運命と和解した時、はじめてあなたの人生はあなたのものになります。

トラウマがあったりして、暗示や催眠状態で動いている時、つまりその人自身の感覚では動けていない時、それはまだ運命と和解できていないことを意味します。

そして「ありのままでいい」とは、暗示や催眠状態やホルモンの乱高下で動かされている状態をいいとしているという意味ではありません。「ありのままに観る」とは、そうした「動かされていた」事実を認め、自由な個人が自己実現していくという幻想から抜けることです。

わたしたちは全体の一部であって、全体に逆らうことはできません。それは、美しい花の花びらだけを生むことはできず、根も葉も茎もとげもあって、初めてその先にうつくしい花が咲き、その花びらも美しいと人が群がる状態を、表しています。

春財布

観葉植物と暮らしている方には、参考になるでしょう。おはようございます。吉野実岐子です。

10年くらい前からでしょうか?春財布という言葉を見かけるようになりました。そして、そろそろ春のまさに今、財布の買い替えを考えている方もいらっしゃるかもしれません。

財布は靴や時計と似て、どこかステータスの象徴のようにも語られます。そのため、とにかく高級な財布を持とうとしたり、運がいいとされる財布を見つけようとしたりと、外からの目を気にして買う方が多い品物の一つに見えます。例えば、クッションを買うとき、灰汁すくいを買うときなどとは、違った目線と緊張感で選ばれることが多いように見えるのです。

ここでもまず、自分の現実をみることが、あなたの未来を助けます。「年収アップ」「なぜか宝くじにあたる」など、財布にのせようとしているその過剰な願いを、一旦目の前に広げてみるのです。

例えば「お金持ちになりたい!だから金運アップ」と思っているなら、財布はサンタクロースではないことを受け入れましょう。その上で、その願いを持ちながら「少なくとも、今の自分が浪費しなくなれば、年間30万円は浮く」といった現実を見ます。

浪費しなくなるお財布は、どんなお財布でしょうか?少なくとも、気持ちが上がったりしない、見ると気持ちがしずまるようなお財布です。そうなると「かわいい!」と思うお財布より、見る度に気持ちがスーッと落ち着く色やデザインを選ぶ方がいいでしょう。そうすると「これも買ってしまえ」が起きづらくなります。好きな色より、落ち着く色です。

また、レジ前でお釣りを受け取ったら、後ろの人が気になってしまわずに動こうとしてしまうなら「さっとしまえる形状」にすると、そわそわする瞬間が消えます。そうしたちょっとした不快感があると、後でそれを相殺するように「リラックスしたいから、カフェにいこう」など、浪費が発生します。

そして、お財布の中がごちゃごちゃしているから、レシートの家計簿への転記が嫌になるなど腰が重くなる感じが出てくるのなら、お財布には「見渡せる」を求めた方が良いでしょう。例えば、ミニ財布より長財布の方が良さそうです。

さらに「とにかくたくさんカード入れがあるといい」ではなく、今あるカードの中で必要な物だけ残し、不要な物は解約等した上で、必要な枚数を「6」のように、数値で知りましょう。「カード入れが6つ」が、財布を選ぶ条件に入ってきます。

そうやって選んだみなさんのお財布は、おそらく「好きな色で好きな形で好きな触感」「~に見えて気分が上がる」といった、いつもの選び方では選ばないものになるでしょう。そのいつもとのズレは、あなたの生活の他の部分にも展開していると思います。それこそが、あなたがお金持ちになったり、年収UPしたり、金運がよくなる道への入り口です。

麹水、はじめてみました。

おはようございます。吉野実岐子です。

2月に入ってもまだ、もろみが余っていて、使い方が塩麹と被ってしまうので、塩麹は少しだけ作ることとし、残った麹は、麹水にしてみました。

麦茶のボトルなどに麹:水を1:5で入れて、ただ冷蔵庫内で保管し、約8時間後に飲み頃となり、最大で3日間飲み続けられます。その間、3回は水を足し続けて構わないそうですが、私は関係なく、期間内にどんどん水を足して飲んでみました。

簡単に言うと、見た目はポカリスエット、味は甘酒を薄めた感じで、とにかく水を注ぐだけなので超簡単です。水がより美味しくなる感じです。驚いたのは、飲み続けて2日経った日の朝、顔を洗う時に、肌の感触が違ったことです。

そして、3日の期限を過ぎた麹は、ベジブロスで作ったミネストローネに大麦の代わりに入れてみました。そうしたら、麹自体が食べるとほんのり甘く、その優しい甘さは想像以上でした。おいしかったので、今度は、お米を炊く時に入れてみようと思っています。

麹で水キムチを作るレシピもあり、確かに水キムチのあのほんのりとした甘さに共通する甘さが、麹水にはあります。

たくさん歩いた後などに飲むと、水よりごくごく飲めます。水より身体への吸収が良い感じがして、気づけば、ウォーキングの新しいお供になっています。そう「新しいお供を見つけるぞ」と意識的に頑張るんじゃなくて、ただ現実に対応していくと、あなたにとって自然な道が開けるようなんです。

資産なのか、負債なのか

おはようございます。吉野実岐子です。

持ち家であれ、マイナスでやっと売り払える時代になっています。ものはそうやって、負債にもなります。

ものを片付けることは、心の片付けや頭の片付けにつながります。つまり、脳の働きが良くなる道です。

しかし、それを躊躇する方は、どうやらものを資産だと見ているようです。ところが、そんなふうに躊躇するという事実が示すように、それは負債のケースがほとんどです。むしろ「これは要らない」とすぱっと捨てたものの中に、資産が含まれていたでしょう。

「捨てられない」と、物だけでなく人脈や方法等について思う時「私は今、これを資産だと思って見ている」と言ってみると、少し道が開けるかもしれません。

それを持つことで、あなたが変化に対応しづらくなっているなら、それはもう負債に変わっています。

常に変化を目指している

その通りだと思います。はい、おはようございます。吉野実岐子です。

自分の中にある矛盾を押し殺さず、それこそが変化のエネルギーだと認められると、意識への思い入れという信仰の締め付けは少し和らぐでしょうか?

「安定志向です」とその人の意識が言おうとも、誰もが本質的に、そして必然として変化志向です。ただ、その人の本質を十二分に生かした形でしか、変化を遂げてはいけないのです。だから、常に変化を目指しながらも、その人の本質が十分に生かされそうにないと感じると、何となく「安定志向です」と答えてしまうだけです。

今の在り方を否定するきっかけにより、今の在り方とそれを否定する状態をより望ましく満たす形へ移行できると、変化したと表せます。より望ましく満たす形へ移行できないと、常に変化を目指している状態にとどまるのです。