会話からなんとなく締め出されること

おはようございます。吉野実岐子です。

少し前から月経について、メディアが話題にするようになりました。これまでは、どちらかと言うと月経そのものを隠す動きが強かったですよね?例えばドラッグストアに行くと、月経用品に関してだけ、必ず紙袋に入れてくれます。恋人にあるいはパートナーに「月経用品を買ってきて」と頼んで、躊躇された経験がある方もいらっしゃったでしょう。

そんな風にして、月経が一般的な会話からなんとなくでも締め出されてきたことは、月経に関するどこか気後れするような後ろめたいような、一般にネガティブと呼ばれるフォーマルあるいはインフォーマル態度を、生かしたままにしてしまったでしょう。(ここでは月経の話を書いているようで、実は性差に関する全てについて書いています。そのように読んでくださいね)

そして、こうしたことの影響自体が、軽んじられてきたと思いませんか?こうしたことが「女子の人生にネガティブな影響与える可能性があり、自分自身のからだについての生涯にわたる不快感を引き起こし、問題が起きたときに助けを求めることを控えることにつながる」(『国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】――科学的根拠に基づいたアプローチ』ユネスコ、2020年、明石書店 p34)とは、全く認識されていないだろうと思います。

「質が高く、年齢と発達に応じたセクシュアリティーと人間関係に関する教育が欠如していると、子どもや若者が有害な性的行動や性的搾取に対して脆弱なままに置かれる可能性がある。包括的なセクシュアリティー教育から複雑な論点を排除することは、若者を脆弱にし、彼ら自身の性的行為と人間関係における彼らの行為主体性を制限する」(同上、p35)は、まさに今すでに大人の私たちがそうだったと伝えてくれています。

大切なのは、性的表現が隠されるべきものでなく、相手を尊重しコミニケーションを重ねた上で、さまざまに表現されることを、心の奥底でも許していけることでしょう。いつでも性的関係を止めていいし、いつでも性的関係を遅らせていいし、また性的関係を持つ権利があると言う視点も含まれてくるでしょう。そして、それらは「一般的にはこう」という何を示すかわからない基準と照らし合わせる必要もなければ、そこで生まれる利得もないのです。

幅広い選択肢がそこにあり、自由に選び直し続けられるという柔軟さは、恥や罪悪感にまみれた大人の方にこそ、必要なものではないでしょうか?

人間であることの中核

おはようございます。吉野実岐子です。

田舎に住んでいると、図書館のサービスもそのネットワークの小ささからあてにできず(「他館にもないため、取り寄せ不可」がしょっちゅう)、大型書店も地方の中核都市であっても東京のそれとは大違いであるため、kindleでサンプルを読めるサービスが、助けになっています。

そんな風にして、目を通した『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』に、サンプル部分だけでも重要なことが載っていたので、シェアしたいと思います。

(1)セクシュアリティは、身体、感情的な愛着と愛、セックス、ジェンダー、ジェンダーアイデンティティ、性的指向、性的親密さ、快楽と生殖についての理解と、これらの関係性を含む、人間であることの中核として理解される可能性がある。

(2)セクシュアリティは、権力(パワー)と結びついており、権力の根本的な境界線は、自分の身体についてコントロールすることの可能性である。

日本において、あるいは多くの職場環境や学校教育において、セクシュアリティは人間であることの辺縁に位置付けられていることが多く、そこには恥や罪悪感が強く結びつけられています。また、パワーと自分の身体の関係に至っては、身体を扱う医師・マッサージ師・鍼灸師・整体師・理学療法士・体育教師などに至っても、一切理解されていないに等しいでしょう。

セクシュアリティは「人間であることの中核」として理解されるべきものであることは、あらゆる虐待の中でもっともその人を殺すのが性的虐待であり、身体的な意味での性的虐待を受けていない人でも、きわめて多くの人が性的トラウマを持つことからも、クリアです。

消去法で相手のYESを合成しない!

おはようございます。吉野実岐子です。

国際セクシュアリティ教育ガイダンス(ITSE, International technical guidance on sexuality education)という、国際的な性教育の指針があるそうなんです。わたしは今月初めて知りました。そして、大学のオリエンテーションなどでは、性的同意についての話をするのが、当たり前という地域もあるそうです。なんて風通しがいい!と思いました。

ある大学のサークルが出しているこちらが、被害者だと認識できない多くの場合の理由についても、平易に簡潔に書かれているので、今あなたが小学校高学年以上なら、ぜひご覧になってください。

例えば、以下が性的境界に触れた瞬間(侵入された瞬間)であることが、明記されています。

・服装の話をされて、嫌な気持ちになる
・断ったらどう対応されるだろう?

日本はまだ「嫌よ嫌よも好きの内」が根深く、性的な話ではなくとも「NOを言わなかったからYESだ」のように、消去法で相手のYESを合成することが、年齢が上であるほど、あちこちでまかり通っています。ムードやリーダーシップの問題にすり替えず、性的境界を尊重できる社会を実現することは、平和への一歩でもあるでしょう。

親密さへの同意と性的同意

乱れが顕著な気候の中、足湯と肘湯が欠かせません。おはようございます。吉野実岐子です。

こちらの動画がとてもわかりやすいと思うのですが、少なくとも日本だと「ステディな関係か」の同意は相手に取ることが多いでしょう。ただ、日本で多くみられるのは、ステディになってしまうと「だから、性的同意は取らない」と言う態度です。付き合ってからの不満が、可視化されづらいことにつながってきたでしょう。

一方、ヨーロッパでは私の知る限り「手を繋いでいい?」など、細かな性的同意は取ります。階段を上がるように、必ず性的同意の確認が繰り返されます。一方で「だからステディだよね」とはなりません。だから「あれ?ステディな関係なのかな?」と言う疑問が、比較的残りやすいでしょう。

日本だと年代にもよりますが、恋人にするような感じでビジネス相手がハグしてくるような、びっくりなことがまだまだあります。ハグは親密な相手にもするけれど、その仕方によって性的なニュアンスも入ってきますし、他のことも同様ですよね。

まずは、それらが「いちいち毎回同意を取るべきこと」という認識を持ち「親密さには同意しても性的には同意していない」ときちんと伝え合えるような関係づくりを目指すと、親密さへの恐れ自体が減っていきやすい方も多いと思います。

こうした大事なことに当たり前に向き合っていくためにも、大事なことを自動化してしまうことが、本当に助けになるのです。

 

 

メイクや服についての勘違い

おはようございます。吉野実岐子です。

メイクや服について、まだよく見かける勘違いは「自分の好きなものを身につけてしまう」「自分が美しいと思うものを選んでしまう」です。これだと、ジャッジしているだけなのです。自分とメイク用品や服の間に距離があって、関係性を育くもうとはしていない姿勢です。

メイクや服を選んだり身につけるときには「自分を好きにさせてくれるものを身につける」「自分を美しくしてくれるものを選ぶ」必要があります。これは、自分とメイク用品や服の間で、関係性を育もうという前向きな姿勢です。

例えば、黄味の強い肌の人が、青みがかったスモーキーなローズピンクのアイシャドウを「これかわいい」「これ好き」と品評したとしても、実際にそれを自分の肌にのせれば、その色に黄を混ぜた色として発色しますから、当然濁ります。青みがかった肌の人が、ミカン色のシャツを着れば、同様に不調和を生むだけです。

メイクや服の美しさとは、あくまでもあなたとメイク用品や服との間の関係性に存在します。その関係性が調和するものであるなら、あなたはそれを身につけたり塗ることで、美しくなります。その関係性が不調和なら、あなたはそれを身につけたり塗ることで、より自分をバラバラにするような悪目立ちするパーツを生み出し、濁ります。

ひけている腰をぐっと前に入れて、関係性の中の美を捉えていけることは、あなたのいる環境とあなた自身との間の不調和からも、あなたを救っていってくれるでしょう。

不和の要因は清潔度

もうすぐバレンタインですね。

結婚するときに「価値観が共通している」「趣味が一致している」「お金の使い方が似ている」「嫌いな物や人が同じ」と言った事は考えても、きれい/汚いに対する反応度合いは、重視しなかったのではないでしょうか?

掃除をしても気づかない旦那さんや、部屋の隅のほこりに気づかない奥さん。左記の例は、目に見える汚れの話ですが、目に見えない穢れへの反応とも連動します。つまり、きれいになったことに気づけない人は汚れにも気づけないから、パートナーを傷つけたことにも気づけず、夫婦間の不和をうんでいくのです。隅の埃に気づけない粗雑さは、パートナーの疲れや隠し事に無頓着な態度をうみ、夫婦間の不和をうんでいきます。

あなたがご結婚されているとして、夫婦間のきれい/汚いに対する反応度合いには、どれくらい差がありますか?

お金に何となく不安がある

お金に何となく不安があって「一応今、家計は回っているけれど、でもいつもとりあえず家計が回っていればいいというわけでもないし…」という方は、一番気になっているところだけでも、記録してみると、家計全体にいい変化が訪れたり、不安が小さくなるでしょう。

もちろん、記録に留めずさらにもう一歩進んでもいいのです。例えば「都心に近いのに、車二台も必要かな…」と思っているとします。そしたら、その二台について、使った日時/目的/何km or 何分乗ったか(それが難しいなら、近い/中くらい/遠い程度でもOK)を、記録します。そうすると、どんな時に自分があるいは家族がその二台の車に助けてもらっているかが、ハッキリします。それと、年間の燃費+駐車場代を比較してみて「やっぱり…」と思うなら、まず「今の収入+固定費(家賃など)のままなら、車は〇台にしよう」という方針が明確になります。

そこからさらに「何のために車を使うか(目的)」の部分をもう一度みると「他でクリアしないといけないことがクリアできていないから、車を2台持つという形でしわ寄せがきているのだ」の「他」の正体が見えてくるでしょう。焼き鮭をほぐして、骨をとりわけ鮭のふりかけをつくるみたいに、そんな風にどんどん解していきましょう。

支出額を変えたいのではなく、使い方を変えたい時も同じです。例えば、大型スーパーでの買い物は減らしたいなら、レシートを「どこで買ったか」で分けます。大型スーパー/コンビニ/デパート/通販…のような感じです。そうすると、今のライフスタイルが見えてきます。

そしたら、全体に占める大型スーパーの割合を計算し、さらにそこで買っている内容を確認するという、記録するだけの行為でも、ちゃんと大型スーパーで買う頻度は減っていきます。

「家計全体をちゃんとしなきゃ」「全部きちんと記録しなきゃ」という完ぺき主義は要りません。完璧主義は、そもそも精神病性障害の病前性格の一つです。できるところから身軽に、とにかくやってみながら、常に視野を広げつづけて、思考パターンを刷新し続けていく、そんな一時停止のない自然に鼓動が続くような流れに、自分をいれてあげませんか?

孤立と恥

何か失敗して「恥ずかしい」と思うくらいなら、受け入れるという作業で消えていきます。こうした恥については、健全なものだといえるでしょう。

ただ、「自分という存在は恥だ」と外から入れられていると、津波で全員流されたのにどうしようもなかった状況でも「それでもわたしが○○していたら、助かったかもしれない」「あの人じゃなく、わたしが病気になればよかった」「生き残ったことがいたたまれない」といった風に、自分で自分にさらに恥を与えていってしまうことがあります。まず、これが恥という感覚なのだと、改めて理解に努めてみてください。

どんどんそうやって自分を侮蔑していくと、わたしたちは孤立する恐怖を味わうようになります。外から入れられた恥が発端となって、望んでいないのに、人からどんどん遠ざかってしまうんです。

「わたしなんかが…」「自分はほんとうに情けない」「あれ以来、汚れてしまった」こうした感覚はすべて、恥という感情が非常に深く在るサインなんです。

恥の中身

恥が外から植え付けられる際には「あんたなんか生まなければよかった」「また女の子だ。男の子がよかったのに、女の子はもういらないのに」「男のくせに泣くのやめなさい!」「そんな大声を出して、みんなが見てるよ」「(事実ではないこととして)あなたは橋の下から拾ってきたの」「女のくせに、気も利かないんだから」といった、セリフが吐かれていることが多いでしょう。

それだけでなく、楽しそうに身体を動かしているときに「みっともない」と吐き捨てられたり、やっとできたときに「たった1回しかできてないじゃないの」と水を差されたり、がんばった服装に「変なの~」と言われることでも、十分恥は植え付けられます。

ここまで読んで、ハッとした方も、多かったのではないでしょうか?

恥は、集団への帰属意識と深く関連します。違いを認めない集団ほど、恥という感覚は強くなるから、いわば「恥ずかしくて死んでしまいたい」と、切腹してしまうのが、過去の日本でした。恥が強くある文化ほど、辱めに報復するし「こうあらないと」「こうすべき」も強くなります。集団としてまとまりやすくはなっても、個人のありようも非常に深いところから強く縛ります。

そして、自分は恥だという感覚が強いほど、助けてといえなくなります。これは、意志の力の及ばない領域で、非常に強くかかるブレーキなので「苦しい時は苦しいというんだよ」「助けてというのがリーダーシップだよ」などと言われて、変わるものではありません。むしろ、そういわれると「はぁ?」という感じの領域です。

男好きする女性

わたしって、結構モテるんです。男好きする感じだって言われたこともあります。でも私の中では問題があって、それは付き合い始めてからなんです。

付き合い始めると、なんだかもっともっとかまって欲しくなるんです。もっともっと愛して欲しくなるんです。あなたは、ちょっと自分でもよくわからなくなることがあるんです。

はじめは、モテるあなたに言い寄ってきた彼に、いつのまにかあなたが片思いしてるみたいになってしまうんです。すごく寂しいんです。寂しくて寂しくて「どうして欲しいのかわからないよ」と言われたりして、大好きなのに構ってくれないから、あなたの方から嫌うことにしちゃうんです。

父親から愛された感覚がない女性が、経験していく恋愛の例を、物語として書きました。

その人がモテるのは、そこに無意識の誘惑もあるからです。無意識の誘惑という、しんどい動きをずっと続けさせることができるのは、あるいはそんな苦しみを与えずに済むのは、女性にとっては、基本的に父親だけなんです。

生意気な娘

中学生になって、娘はほんと生意気になったんです。わたしの上手をいくから、こっちもつい乗せられちゃって、ムカッとして、火に油を注いでしまったりします。

でも、あの子は、保育園の時から私の夫の前で女を出したりして、わたしは「女ってほんとに嫌だな」と、思っていました。そんな風にして、自分が女であることと距離があるまま、わたしは生きてきたんだと思います。結局、それがわたしの正体なんです。だから、それがばれないように、いつも人の気持ちばかり考えているのかもしれません。他人のことを考えては、自分の「女だった」「もう大人だった」「今でも自立できていない」現実から離れてしまうんです。

だって、自分で選んで女になったわけじゃありません。毎月身体がしんどくて、総合職なのに「女だから」とお茶を入れないといけなかった新入社員時代のつらさを経て、気づいたら逃れようもなく大人の女だったらしい自分を持て余して、あなたはここまで生きてきました。だから、出産の時も、わたしは旦那にきちんと立ち会って、この逃れようのない女の苦しみを見てほしかったんです。本当は、いつもあなたがしているように、旦那には立ち上がることを助けてほしかったんです。

看護師さんが「出産のときは、好きな精油の香りをたけますよ~」なんて、優し気な提案をくれたけれど、出産なんて痛いに決まってるんです。わたしはうんと怖がっているから、必死に強がって「どのみちつらいんだから、結構です!」と答えたのに、そんな牛乳にはった膜みたいなあなたの強がりを、旦那はいとも簡単にスルーして、小さな女の子みたいな笑顔で出張に出かけてしまいました。

あなたは、男気を見せつけて、どうだ!と踏ん反り返り、生まれて初めて堂々としてみたかったんです。母の目に怯えたあの頃には、決してできなかったことを、ついに成し遂げたかったんです。でも、実際には産後はあまりに大変で、男気のない夫はとても怖いし、話が通じる気配がありません。だから、男気を出して母親になろうとしながら、わたしはあの母親の目に怯え続けたんです。

母親の目に怯えながら、まだ女になれないあなたの前で、娘はどんどん女になっていくから、焦ってしまうんです。身体の変化でお医者さんに呼び出されたり、そういえばもうすぐ高校受験で、わたしはいつまでも彼女のお荷物なんです。

それを知ってか知らずか、夫は急に会社を設立すると言い始めて、昨晩なんて泣き落としでした。だからちょっと、あなたは白気たんです。「私を置いて行かないで」と言いそうになったけど、男気で生きてきた私にはそれは無理でした。代わりに娘が父親を励ましていて、周りを見渡すと、わたしには父親がいないんです。結婚した当初には、時々ちゃんとわたしがつくった家庭には父親がいて、わたしは少しだけホッとできたのに、それすらわたしは奪われてしまったんです。もうずいぶんと、旦那の顔を正面から見ていないことを、今思い出してしまいました。

この継ぎ目がない生活の中で、そのうち頭に霧がかかったようになって、根が生えたようにソファーから動けなくなって、それでも「生まれてきてごめんなさい」と母に謝りながら、今朝起きて鏡を見ると、顔がついにわたしを忘れ始めていました。

父親も夫もいない家庭の中で、娘はまるで妻みたいで、わたしは下の子に支えられています。息子だけがわたしに「今日もかわいいよ」と言ってくれるんです。困り顔のわたしの手をとり、黙って手を繋いでニッコリしてくれるんです。息子は純粋で頼りになります。島流しみたいなこの時の流れに、一緒に巻きこまれてくれる息子は、出口のなさを甘酸っぱく知らせてくれて、あなたはふとフレンチフライでも口に詰め込みたくなるんです。

今日も職場でのみんなの会話にはうまく入っていけないけれど、電話で話した義母の声のトーンを思い返して気にするわたしは優しいから大丈夫だし、生き別れた兄弟を探すかのように、鍋を磨き続けたわたしは、まじめでいいって、思うんです。そんなわたしのところに、下の子が来て「ママ、大好きだよ」って、何度も言ってくれるんですが、その声が遠いんです。「ありがとう」と言ってみるけど、そんな風に人に親切にしているときにも「自分は演じているだけだ」とわかってしまうんです。だってそこに、もう何の感情も湧いてこないから、楽なんです。「きっと淡々と生きるってこんな感じだ」と思いながら、声はでていなくても目の奥が笑っている先生の前で「こういう人に、隠し事はしにくいな」と、恥ずかしくてもじもじしたんです。

以上、機能不全家族のかなりひどい例、かつ、よくある性的トラウマの例(上記は、他にも~の例、と表せますが、今回はここまでにします)を、物語として書きました。読んでいて、息が詰まりませんでしたか?

ぶつぶつ言わず、さっさとやって。

昨日の続きです。

女性の多くは男性に「ぶつぶつ言わず、さっさとやって」と思ったことがあるでしょう。これは女性側の大いなる勘違いで、あなたの頼みをきちんと引き受けているからこそ、ぶつぶつ言うのです。

男性の中でフォーカスするポイントを変えているとき、口が勝手にぶつくさ言っちゃうので、まぁBGMみたいなものだと思ってください。閉店前に、蛍の光が流れて「そろそろ閉店」と認識するように、ぶつぶつ言うのを聞いたら「今からその頼みに真剣に取り掛かります」の予告だと思いましょう。

男性側が女性についてよく誤解しているのは、何かをしてあげなくちゃいけないと行動をさかすことです。行動しないと支えにならないと思っているんですが、女性の側は、ただ話を聴いてもらえること自体に、支えられていると感じます。言い換えるなら、そうやって気持ちを吐きだすとくつろげて、そのプロセスを支えと感じるということです。ソファーにもたれかかる至福のような感じでしょうか?

女性はぶつぶつ言う男性をBGM始まったと捉え、男性は聴くというより抱きとめるソファーになったつもりでいると、夫婦間も息を吹き返しやすくなるでしょう。

脱ぎ捨てられた靴下

大人が脱ぎ捨てた靴下が室内に落ちていて、多くの場合それは男性がしたことというシーンは、比較的あるあるでしょうか?

そんなとき、相手が大人なら、黙って靴下を拾って洗濯機に放り込んだりしないでください。ただ「そこに靴下が落ちているみたい」と言ってください。

そう言われた人が、靴下を拾って洗濯機に入れたら「靴下拾ったの。きれいになった。ありがとう」とだけ、返しましょう。つまり、相手の境界に侵入して、世話して、相手を子供返りさせるのではなく、相手の境界を尊重し、相手が請け負うべき責任をうばわず、即ち相手から力を奪わずにいるのです。

日本の夫婦は、今でも夫婦間を疑似親子化しやすく、互いに子供返りしては、関係をややこしくしがちです。そうなると、信頼が失われてしまいます。

もちろんそこには男女差もあって、回復したいとき男性は沈黙し女性は話しまくる傾向があります。強い感情を感じると、男性は言葉を失い行動に走る一方、女性は気持ちを吐きだそうとします。

夫婦間も、息を吹き返していくことができます。

男女差

男女差を認めずに、むしろ憎んで、男尊女卑だと騒ぐ人がいますが、それは真実から遠ざかる動きです。

なぜなら、どんなに外見を似せたとしても、同じ作業こなせたとしても、男女差はあまりに歴然とあるからです。

例えば、虐待やネグレクトを受けると、そこに対応する脳の部位が選択的に影響受けることがわかっています。両親の暴力を何度も目にすると、視覚野に影響が生じるといった具合です。ところが、男女間において、脳の部位の感受性が高い時期が、全く異なることがわかっています。

脳には、海馬という記憶をつかさどる部位がありますが、女性は9歳から10歳児感受性が高いのに対し、男性は、1歳から3歳と7歳だと言われています。時期が全く違うんです。

また、仮に同じくらい感受性が高い時期に、同じようにネグレクトや虐待を受けたとして、男性がそこから受けてしまう影響の大きさは、女性の4倍だと言われています。女性はエストロゲンにまもられるからだと言う仮説があります。

こんなふうに、脳のごく一部に過ぎない海馬と言うところだけを見ても、あまりにもはっきりと男女差が出ています。冒頭にかいたような人は、若々しさと程遠い人しか、見たことがありません。一方で、男女差を認めて、男尊女卑を解消しようと実際に動く人は、若々しい人が多いですね。

親しむほど「あれ?」が増える

親しくなるほど「あれ?」と思う瞬間が増えていくなら、あなたには人と自分の違いが見えていません。自分の物差しの中で相手を理解しようとすれば、話が通じず平行線のままなのは、当たり前です。

「あれ?」と思って、相手の感覚に自分を無理に合わせても、そこには自分へはもちろん相手への尊重すらありません。「でも、最初に友達になれると思ったんです」と言いたくなるかもしれないけれど、それは「ひとりはいや」「とりあえず誰か安心できる人を確保しておきたい」というすがる気持ちを、あなたが「友達になれる」に勝手に変換しただけです。最初にあなたが人を見た眼に、尊敬がなかったのです。

「わたしとあなたがこんなに違うから、この人間関係は嫌(不快)なのだ」という認識もあやまりです。その違いに目をつぶったり、違うと思っても相手を知ろうとしない無視する態度が、不快(嫌)な人間関係を生んでしまうだけです。

一つではなく複数の人間関係に「あれ?」と思うなら、あなたと相手の違いを見る繊細さに欠けている自分を認識しましょう。同じ人間関係の中で「あれ?」が続いていくのは、あなたが違いを否認し続けているからです。つまり、あなたは異文化交流ができないまま、自分の物差しを相手に押し付けているだけなんです。

うつ状態=実は裁きまくり

ワークショップ「息を吹き返す2」は、今夜21時にお申し込みを締め切ります。さて、お金と共に喜びながら毎日が進んでいかない人は、自分がその時していることが快適なのか、不快なのかわからなかったりします。つまり、バグってるんです。バグると「今、この瞬間、快適?不快?」と聞かれたときに、パッと答えられません。「その中間」とか「うーん…」という回答が返ってきます。これは、虐待などは受けておらず障害を持たないごく小さな子には、ありえないことです。

バグっていると、基本的にはずっと落ち込んでいる状態(うつ状態)に入ります。パッと答えられない位、不快まみれで、頭の中もごちゃごちゃしている状態ですから、余計に不快なことをし続けてしまいます。もともと見捨てられ不安を持っていると、そこで「助けて」と言いづらくなります。あるいは「助けて」と言い続けても理解されないことが続くと、無気力になってしまい、もう「助けて」と言えなくなったりします。

そうすると、余計に「でも、とにかく自分で何とかしないと!」と、世界を救い何でもできるヒーローになろうとしてしまいます。そうすると、ノルアドレナリンがドバっとでるので、簡単に言うと緊張します。世界を救うヒーロー気取りになりますから「そうだよ、きっとこうしてこうすれば、こうなるはず!」と、急に強気になったりもします。緊張して、他人の感覚を拾いやすくなりますから「(自分にとっては快適だけど)周りから反感かいそうだから止めよう」と、ますます自分を快適にするためにお金を使えなくなります。「でも、絶対~だよ」のように、どんどん発想が、極端で抽象的で断定形になっていきます。それで一瞬高揚しますが、また「でも、そうならなかったらどうしよう…」と谷の底まで落ち込んで強い恐怖を感じたりして、ますます日常が不快にまみれていくから、当然お金も自分を不快にするために使われていきます。

みなさん何となく「落ち込んでいる/うつ状態=弱い・かわいそう・ケアしてあげなきゃ」のように発想しがちかと思いますが、「落ち込んでいる/うつ状態=世界を救うヒーロー ・ジャッジしまくり・想像力欠如」が、実際です。ノルアドレナリンのスィッチばかり押していると、想像力に関わるドーパミンが結果的にうまくでなくなって、結果、何が快適なのかを感じられなくなります。だから、自分を快適にするためにお金を使うことが、非常に難しくなります。

さらに、ヒーロー というと、いいイメージかもしれませんが、あれはあくまでも子供のための物語です。物語ではなく、大人が地でそれをいくとき、自覚すべきは、ヒロイン/ヒーローは「ぜんぶ自分の思い通りにしよう。世界は自分の手の内の中。何が淘汰されるべきで何が進化すべきかは、自分が裁いて決める」という、きわめて自己中な存在であることです。そして、ここにとどまる限り、わたしたちは無気力になって、どんどん不快なことにお金を使ってしまい、お金に嫌がられるという展開しか起きえないのです。

快適さを見失った先

わたしたちは、社会という必ずしも自然100%ではないシステムに適応していく際、快を踏みにじることに良い評価が下るという経験をします。代表例は、トイレトレーニングでしょうか?今出したいとなったとき、出せたら内臓にも負担がなく、気持ちがいいわけです。オムツをはいている時期は、出したいけど出しちゃいけないという葛藤とは無縁です。

ところが、トイレトレーニングを始めると、出したいときに出す(快)は踏みにじられて、出さないように自分に負担を強いる(不快)ができると、褒められるわけです。トイレトレーニング中の子は、もじもじし始めて「お手洗いに行きたいの?」と聞かれたり、「もぞもぞするー」というと「お手洗いに行きたいって伝えられてえらかったね」と褒められたりします。さらには「だから、さっきトイレに行っておきなさいと言ったでしょ!」「さっきも飲んだばかりなんだから、また途中でトイレ行きたくなったら困るでしょ!」と叱られたりして、快適であることに素直であることが、難しくなります。

トイレトレーニングに限らず、こうしたことがその人が深く混乱して真空パック状態になるほどの頻度やタイミングで起こっていけば、あるいは安全ではない環境におかれてこうしたことがそれなりの頻度やタイミングで起これば、わたしたちは自分の快適を追い求めたり、不快から距離をとること自体に、迷いが生じたり、何かに引っ掛かるような感覚を味わっていくことになります。

そうして、化学物質たっぷりの食品を美味しい(快)と感じるバグを生んだり、2016時間続く柔軟剤の香りをいい香り(快)と感じるバグを生んでいき、それらをいいものと認識して周りに広めるような、いのちを害する行為が始まっていくのです。そうして、地球上に病を蔓延させることに手をかしながら「自分でお金を払って買ったものを使って、何が悪い」と、思うような帰属エラーが何万と起きた状態で、いつも不安や恐怖にさいなまれ、常にハイになりいつも「うまくいっている」と解釈する現実から離れた状態が常態化し、現実との接触を喪失していきます。(つまり精神病になります)

本来のわたしたちは、お金にも気持ちよく集まってもらえるし、お金も気持ちよく使っていけるし、お金に対しても「どうせ」なんて思えないように生まれているのです。つまり、あなたも、社会システムにも適応しながら(=たまにご愛敬で不快に滞在していてもその自覚はあるし、滞在時間を決められる)、自分の快適に忠実にいられるのです。

関係性のアップデート

親子やご夫婦であるいはパートナーがいる状態で、片方だけがコーチングを受けていたりすると、その方だけがどんどん自由になっていきます。

そうすると、相手が攻撃してきたり、足を引っ張ってくると認識できるようなことが、起きたりします。

これは原則として、それまで「うまくいっている」と思っていた2人の関係が、実は対等な関係ではなかったことを表します。

対等であれば、自由になっていく様は喜ばしいし、ただ嬉しいものです。だから、実は支配関係にあったのです。支配していた相手を支配できなくなったから、攻撃します。自分より下だと思っていた相手がうまくいっているから、嫉妬します。

この場合、抜けていたのは関係性のアップデートです。支配されていた方(コーチングを受けている方)は、自分が下/弱いといったセルフイメージを捨てることです。具体的な方法は、コーチングでお伝えします。

うまくいってる実感

冷静に考えてみれば、望んだほうに進み、うまくいっているのに、うまくいっている実感が薄いとき、次のステップは何でしょうか?

この状態は、あなたの中に内在する「実感するシステム」がおかしいことを表しています。

かつて、刺激があると楽しいと認識し、緊張しているとやりがいがあると思い込み、不安だからと大騒ぎすることを一体感だと変換してきた、あなたの中に内在する「実感するシステム」がアップデートされていないので、バグ起こしているのです。

そのバグは、上に書いたような万能感を目指す動きから来ています。うまくいっている今、万能感を目指す動きはすべてアンインストールされるべきですが、まだあなたの中に残っているのです。

そうすると、万能感の真逆である一体感を目指し、それに成功しているときに、このバグが邪魔して、実感としてうまくいっていると感じられません。

万能感のアンインストールに着手し始めることで「実感するシステム」をアップデートしてください。

引きこもるために、区別するの?

どんなに似ている相手でも、相手を知っていくほど、全然違う人間だということが、見えてきます。それが人間を愛することの一部です。

でも、幼稚な人たちは違いが見えた途端、その違いを引きこもり先として使います。例えば、男女という違いがありますが「男性なんだから、重い荷物ぐらい運んで」「女性なんだから、料理くらいできて当たり前」こんなふうに、引きこもりつつ相手を攻撃するために、違いを利用するのです。

ヨーロッパ滞在中、螺旋階段を重く大きなスーツケースを持って通るのを手伝ってくれたのは、手が空いていた女性でした。わたしは、父も母も料理する環境で育ちましたが、2人は得意料理の傾向が違うだけです。

性別・年齢・出身地など、様々な違いがありますが、違いは利用するものではありません。違いはただ認めていくものです。

まずは、男性であるあなたは自分に「男性なんだから、重い荷物ぐらい運べないと」と言うのはやめてみませんか? 女性であるあなたが自分に「女性なんだから、料理くらいできて当たり前」と圧をかけるのをやめてみませんか?

なぜなら、自分で自分にそうしている内は、他者と自分の違いなど認められず、違いを利用し、違いに引きこもるばかりで、この世界は明るくならないからです。

男女間の和解。

少々浅いことをかきます。男女間で和解が成立していない状態が、男尊女卑としてあらわれてきます。このときキーとなるのは、それを解消すべく男性性をさらに使うことではありません。それは、男尊女卑というインフォーマルなシステムはかえません。

問題解決とは、表出した現象を消すことでなく、その現象を生んだシステム全体が変容することです。男尊女卑の中で、これを生んでいくには、男性も女性も内なる女性性を尊重していくことです。また女性については、男性と対峙した際、その人の中にまだあらわれていない健全な男性性を見て、それを尊重していくことです。そうすると、システム全体の変容が始まります。

つまり、長いこと未解決だった男女間の和解が始まり、波紋のように広がり始めます。そうすると、男尊女卑が見られる企業や地域の中で、裏切りや嫉妬が減っていくでしょう。男尊女卑の社会は、しばしば激しい嫉妬社会でもあります。あなた個人の中においては、女性性が尊重されることで、あなたの性別が男女どちらであっても、自信を持てるようになります。

どんな時も、全てをよくするチャンスにつながっています。痛みは希望の始まりです。だから、痛みをなくすことだけに注力せず、どこかで愉快な気持ちで自分をふくむ全体を眺めていけると、後からすべてに感謝していけるという軽やかな羽がはえたような状態に、なりえます。男女間の和解を始めていく単発コーチングは、本日夜21時がしめきりです。

女性/男性として尊重される

タイトルに「女性」と入れましたが、男性の方はぜひ「男性」と読みかえてこの記事を読んでいただければ、幸いです。さて、家庭や職場や地域で、女性として尊重されたい/尊厳を取り戻したいとき、みなさんは、どうされているでしょうか?

よくあるのは「男性にもっと尊重してほしい!」と思い「これはしないでほしい」「こうされたら嬉しい」と、男性に求めていくことです。もちろん、アサーティブであることは大切です。具体的に明示すれば現実の輪郭は変わります。しかし、相手に変わることを求めているにほかなりません。そうすると、形が変わる(歪む)だけで本質は変わらないのです。即ち、数年もすれば「なんで、男性は言っても分からないんだろう」とぼやき、尊重からではなく逃げ場所として「男性と女性は違う」と思っては、男性から尊重されないままなのです。

こうしたリバウンドなく、あなたが女性として尊重され続けるようになる本質的な解決策は、あなたがしっかり女性のエネルギーとつながっていくことです。つまり、あなたのお母さんという存在を、あなたが心から尊重し、あなたのお母さんのお母さん(おばあさん)という存在を、あなたのお母さんが心から尊重し…が、しっかり成されていくことです。もちろん、先祖を辿れば、武士だったから公然と人殺ししていた人がいたり、阿片を輸入して儲けた人がいるなど、その行動や発想に疑問もでるでしょう。尊重するのはただ、その「存在」です。

女性が女性として尊重されないと、男性になり替わろうとするか怯えるばかりです。男性が男性として尊重されないと、力のある者に取り入るなど、いずれも「隠れよう」とばかりします。男女とも無責任なまま「奪おう」とし、傷つけあうのです。本来、その違いを尊重するからこそ、女性は男性に素直に憧れ、男性は女性に素直に憧れます。責任は明確で「奪う」動きはなく、助け合う心地よさが生まれます。

嫉妬と惨めな思いを上手にごまかしながら、男性を立てているつもりなら、その様を娘さんが何らかの問題として表現してくれるでしょう。女性を怯えさせ三歩下がらせれば、健やかなバウンダリーを築けないことが、あなたの出世を阻むでしょう。性と愛を分離し、合意の上だからと、結婚相手と別にセックスパートナーを持つ道は、あなたが真に女性として尊重される未来は、連れてきてくれるのでしょうか?

ここまで読んで、自分事だと思え素直な方と、今年最後の単発コーチングの時間を持ちます。女性が怖い男性の方も、ぜひ勇気を振り絞りいらして下さい。わたしと定期的にコーチングの時間を持った男性はおしなべて「女性がこわくなくなった。心地よい対等な関係の本質を理解し、実際そういう関係がつくれるようになった」と仰るからです。



~単発コーチング「男性/女性として尊重される」~

■ 日 時: – 12月9日(日) 午後8:00~9:00
– 12月20日(木)午前11:00~12:00
– 12月21日(金)午後1:00~2:00
– 12月23日(日)午後8:30~9:30

■ 対 象:~ 以下ひとつでも当てはまる方 ~
□ 女性として尊重されたい
□ 女性を尊重できる健やかな男性になりたい
□ 男性として尊重されたい
□ 男性を尊重できる健やかな女性になりたい
□ 娘に健やかな女性になってほしい
□ 息子に健やかな男性になってほしい
□ 「女性らしさが何か」を経験したい
□ 「男性らしさが何か」を経験したい
□ お金がないのは惨めだと思う
□ 惨めさや嫉妬から解放され始めたい
□ 親から嫉妬されてきた
□ 兄弟姉妹から嫉妬されてきた
□ 胃が痛くなりやすい
□ 肩が凝りやすい
□ 「ないがしろにされた」と思ったことがある
□ 「裏切られた」と思ったことがある
□ 「あれ、何か悪いことした?」と思ったことがある
□ 「話しかけちゃいけなかった」と思ったことがある
□ 「話盛り上げないと!」と思ったことがある
□ 自分が場違いに感じることがある
□ 自分の感覚が間違いなのかと思うことがある
□ 生き直したい
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:30,000円
■ 定 員:3名
■ 〆 切:12月4日(火)午後9:00
▼ お申し込み:〆切ました

~ キャンセレーションポリシー ~

お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し、対応します。過去にクライアントさんだった方に限ってお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 にあります。

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女性と男性がお互いに「対等だ」と感じる、心地よい関係づくりについてもお伝えします。夫婦関係だけでなく、職場での関係についてもいい関係を始めていき、2019年がより良い年になるための滑走路づくりもしていただけます。「色々言っても、男女=セックスでしょ」と思うなら、そのままでは対等な関係は築けないことも添えておきます。

気を使わない相手がいい。

年齢が上がるほど「好きな異性のタイプは?」と聞かれて「気を使わない相手」と答える人が増えると思いませんか?それは、理にかなっているのです。

「気を使わない」といっても、もちろん相手を思いやっていきますが「どうしたら、もっと気に入られるだろう」「わたし/僕が好きなのと同じくらい、好きになってもらうには?」といった気の使い方はしないということです。そういう気の使い方をする相手とは、そんなこと思っている時点で、既に対等な関係ではありません。

意識しているかは別にして、「わたしたち同じくらいの魅力よね~」「実は、同じ問いに人生を支配されているよね!」という対等さがそこに広がっていなければ、あなたは上か下かのどちらかに転じて、時々相手と上下を入れ替わったりするという競争に走り、嫉妬に身を焦がして互いに灰となるような、続かない関係性しか生まれません。その間中、気を使いまくりで、神経すり減るでしょう。

わたしたちが異性に対して「気を使わない相手だ」と思えているとき、対等な関係をひらいていけると、わたしたちは感じているのです。そして、それが恋愛のスタート地点にあることを、知ってください。「振り向かせよう」は、せいぜい20代前半までの恋だよね、ということです。今からでも大人の恋がしたいみなさん、セクシュアリティのオンライン・ワークショップ、今夜21時まで受付中です。

不要なダメ出し、止めてみよう。

「恋愛が苦手だな」「なんか変な相手選んじゃう」「何人か付き合ったことはあるけど、自分には恋愛ができないと思ってしまった」という方は、もしかしたら、免疫系等がおかしくなり敵でないものを敵とみなして花粉症になるように、体内の指示系統がおかしくなって、いい相手を敵とみなしてしまったりして、いい相手と結ばれてきていないかもしれません。要は、不必要なダメ出しをすることを、相手を見極めることだと勘違いしているだろうということです。

不必要なダメ出しをふるいにかけるには、例えば「あの人毛深いんだなー」とマイナスするというダメ出しをしそうになったら「ワイルドだなー」とプラスに捉えてみます。そこで「本当だ、ワイルドだよ!」と面白がれるのなら、それは不必要なダメ出しだったと言えます。例えば、すてきに感じるドラマを見ていたら、隣でパートナーがオナラをしいて「まったく〇〇さん(役名)に比べて、この人は」とマイナスするというダメ出しをしそうになったら「ちょっと今の音、オナラなのに弦楽器っぽい音だったよ」とプラスに捉えてみます。そこで「本当だ、構造的には管楽器なのに、弦楽器の音が出るなんて、この人さっすが面白い」と思えるなら、これも不要なダメ出しだったということになりますね。

マイナスするというダメ出しは、される側だけでなくしている側のことも、実は緊張させます。緊張が必要な場面もあれば、リラックスが必要な場面もあり、この二つの価値は同等ですが、緊張過多かなと思うなら、ぜひ上を試してみてください。そうすると、あなたにあった相手をきちんと見極められて「恋愛苦手じゃなかったな」と、自分に行ってあげられる展開を経験できるでしょう。

男性になり替わらない。

女性の多くが、社会的圧力など様々な理由を持ち出しては、男性になり替わろうとします。社会の方もまた、変わらなくてはいけないのは言うまでもありませんが、だとしても、これは間違っています。

内なる男性性を発揮するということは、男性になり替わろうという傲慢さとは異なります。男性になり替わろうとする人は、何らかのその人にとっては正当に感じられている理由から、男性を恨んでいます。「わたしだって大変なのに、あなたばっかりお仕事大変だって、みんなに言われちゃって」も、それの一つです。

男性を恨むの逆は、何でしょうか?かたくなに男性になり替わろうとして、男性が入るスペースをなくすのではなく、男性をうけいれるスペースをつくるには、男性を恨む代わりに、どうするといいのでしょうか?(自分で考えた後で、次の文を読みましょう)

男性を恨むのではなく、素直に男性に憧れていく女性が増えれば、社会の変化スピードも上がるのではないでしょうか?

女の子なのに、おっぱいを触りたがる

男の子が「僕は男の子だ」「僕はお母さんやお姉ちゃんや妹とはなんか違うぞ」と、お母さんのおっぱいに関心を寄せるのは、健やかなことだし、みなさんも理解できると思います。では、女の子がお母さんのおっぱいを触りたがるときには、大人の側のどんな課題をその子は表してくれているのでしょうか?

娘さんは「この世界にはわたしとお母さん、つまり女性だけでいいのよね」というメッセージを送っています。「この世界には女性だけでいいの。男性は必要ないの」これが、その子のお母さんが生きている世界だということです。

でも、これは事実ではありません。もし、世界に女性だけだったら、その女の子もその女の子のお母さんも、今ここに生きていて「この世界には女性だけでいいの」と思うことすらできません。事実として、男性がいたからこそ、その女の子もその女の子のお母さんも生きているということを、大人であるその女の子のお母さんがまず受け取ることです。

その女の子のお母さんは、ひどい男性にばかり巡り合ってきたかもしれないし、理想からほど遠い扱いばかりされてきたのかもしれません。でも、娘さんを授かるために、まちがいなく男性が必要でした。つまり、女性にとって男性は大きな意味を持つのです。娘さんを授かったその一点においてだけでも、その女の子のお母さんは男性に深く頭を垂れる必要があります。

「この世界には女性だけでいい」「もう男性は必要ない」と女性が思うなら、それは理にかなわない傲慢な態度です。また、男性が「この世界に女性なんていらない」「女性なんかいなくてもやっていける」と思うなら、やはりそれは理にかなわない傲慢な態度です。さて、この態度、家庭内で貫こうとする方とても多いのですが、ご自身がそうだとお気づきでしょうか?

パートナーが同性愛者だったとき

まず、パートナーの性欲や性的経験は、パートナーに属しますよね?

そして、それを知って「とにかくわたし/僕はびっくりしちゃったなぁ。あぁ。そうか。自分には遠い話題だと、関係ないふりをしていたから、おどろいたのかぁ。あの人も自分でも知ったとき、すごく驚いたかもしれないねぇ。わたし/僕に話すのに勇気がいったかもしれないなぁ。話してくれる時に深い信頼を感じて、そこは心地よかったなぁ~」のように、ゆっくり打ち返す波打ち際に近い面持ちで、受け止めることもできます。

あるいは「えぇ!!!!そんなことが、わたし/僕の身に起きるなんて!一体どんな月なわけ?もう!そんな人だったなんて、ショック。傷つく。泣いちゃう。人生も終盤なのに、これからどうやって生きていったらいいの?」のように、スタッカートが続くようなピョコピョコ跳ねちゃう混乱と共に、受け止めることもできます。

パートナーが同性愛者だと知ってからのあなたの態度は、例に挙げた上記2つに限らず、どれもあなたに属します。

その上で、知りえた違いを過大評価していないか、振り返ってみてください。今までパートナーと自分の違いを過小評価しきたのではないかも、振り返ってみるといいでしょう。その上で「傷ついた」という感じがあるなら、それがあなた(女性)とお父さん、あるいはあなた(男性)とお母さんの間でも経験されたことのある、既知のものではないかを、振り返ってみます。その傷を、問いに変えてみましょう。

その問いが仮に「どうして裏切るの?」だったとします。そうしたら、パートナーもパートナーの人生の中で「どうして裏切るの?」or「ほーら!裏切った。この人もだよ!」と思うことがないか聞いてみるといいでしょう。二人は同じ問いでつながっています。

その上で、互いの限界を認め合いゆるしあいながら、合意形成し、約束していけばいいのです。限界があることは罪ではありません。だから「ぜんぶいいのと言える夫/妻になりたい」などと、うそぶく必要はありません。誰もに限界があって、それを尊重していくことは、バウンダリーのお話です。

官能

大きく誤解されている感覚に、官能があります。官能的(sensual)であるとは、めくるめく溺れる感じとは違います。性に関することもそうでないこともどちらも含めて、感覚を上手によろこばせることができる状態です。つまり、おぼれるという感覚を下手に喜ばせる状態には入らないのが、官能的です。

官能的な人は、五感を上手に喜ばせることを大事にするので、セックスをしてもその行為そのものではなく、パートナーに意識がいきますし、オーガズムに拘ったりもしません。また、セクシュアルであるということが、セックスとイコールでないことも理解しています。手も握らずに一緒にご飯をいただいたり、あるいは触れられる環境にいても目を見つめあうだけで、十分に感覚を喜ばせることができますし、その時間や相手や自分を、とても丁寧に扱います。

どうぞ、官能を正しく理解され、官能的な人になることで、人生を謳歌してくださいね。

セックスは、純粋でも不潔でもない。

セックスを、純粋/不潔といった、特別な位置に置きたがるなら、あなたのセクシャリティはここまでずっと、傷つけられたままだったという表現が可能です。

セックスが、純粋でも不潔でもないものとして、経験されることを助けるものに、ネロリの精油があります。性的な関係とは、本来spritualなもので、人間は本来spiritualな存在です。そもそもわたしたちの身体は、純粋でも不潔でも不安定でも不完全でもなく、(あえていうなら)神聖で完全(=whole)です。

他にも、パチュリはセクシュアリティの認識と、「わかったかどうか」に拘ったり概念でとめずに、身体全体ですべてを経験することを助けます。ジャスミンは肉体同士が快楽ボタンを押してうむもののようにセックスをとらえる人に、性的関係が本来supiritualな関係に移行しうるものであることを知らせ、助けます。

代表的なものだけ書きましたが、閉経していようとしてまいと「セックスは、純粋でも不潔でもない」が、どしっと肚に落ちているかいなかで、あなたの魅力だけでなく生きやすさもいい方へ変わりゆくでしょう。

夫/妻や恋人に、性的な関係を拒まれる(二)

昨日の続きです。夫/妻や恋人に、性的な関係を拒否されるとき、コミュニケーション・レベルで次に試したいのは「今の自分/相手の限界を尊重する」ことです。

相手から「愛しているけれど、どうしても性的な関係は今はちょっと…」と言われたら、現時点での相手の限界はそこなのだときちんと尊重しましょう。「そうはいっても、本当は…」と邪推したり、「以前はこううだったのに」と恨みがましくなるのではなく、相手を信じられる自分でいられるくらい、自分自身をちゃんと普段から愛して尊重していくことです。

同時に、相手の限界は変わることがあります。もしも、言えるなら「愛しているけれど、どうしても性的な関係は今はちょっと…。でも、今自分の課題が〇〇だと分かって、ゆっくりと取り組んでいるところだから、よかったら見守ってほしい」と伝えてみましょう。そうすると、相手も「本当に自分のことを愛していて、でもこの人はそれとは関係ない別の要因で、痛むことを抱えて、それと向き合うという大事なプロセスを踏んでいるんだ。愛する人のそういう姿を見守れるなんて、なんてかけがえのない時間なのだろう」と、思いをあなたへの追い風になる場所に、置きやすくなります。

もちろん「そうは言われても、受け入れられない」と感じるなら、まずは、今のその自分の限界を尊重するところから始めましょう。「今の自分はそうなんだな」と、ただ受け止めて、内なる旅を始めると希望への近道がひらけるでしょう。