私があなたを好きな100の理由

2020年4月1日に施行された、新しい民法について、こちらにわかりやすい詳細があります。おはようございます。吉野実岐子です。

本屋さんに行くと、好きな人に送る書き込み方の本が売っていて、あなたがその人を好きな理由が100個書けるようになっています。

もちろん、実際にもらったら嬉しいと思います。「こんなところ好きだと思っていたの?変わっている」と笑いが溢れるようなこともあるでしょう。また特に自分が恥だと思っていたりそれができないことに罪悪感を感じていたり、自分にはどうしてもそういう自分が嫌だと思っている部分を、相手が好きな理由に選んでくれていたら、とても救われる感じがして当然です。

ただ、それで自己肯定感が上がるかと言うと、それは叶いません。どうしても101個目、102個目と、際限なく気になっていくからです。自分が自分について好きなところが、相手の好きな理由に入っていなければ、やはり気になるでしょう。

なぜなら、自己肯定感は好きな理由や認める理由がない自分を自分が受け入れてこそ、上がっていくからです。誰にも見せたくない自分や、あの人に見られたら困る自分や、自分でもなんでこんなことになったのかと思う自分を、柔らかくあたたかな春風のようにそっと抱きしめ、赤ちゃんがキャッキャッと小さな手を伸ばすように、そんな自分に柔らかい手を伸ばしてこそ、自己肯定感が上がっていきます。

どうして変われないんだろう?

おはようございます。吉野実岐子です。

「どうして変われないんだろう」と悩む方は、自分は何を変えられないのか、すなわち何を変えたらいけないかに、そもそも意識が向いていないようです。

また、自分の悩みを知らないまま「自分が変わらない」と嘆くケースも多々あります。自分がどこをどう変えたいかを知らないまま、望み通り変わるようなことは、果たして起きるのでしょうか。

そう「何も変わらない」と悩んでいるようで、その実、中身がないのです。自分がないことと対峙せず、逃げているから「何も変わらない」と口走ることになるのです。

ただ演じているだけなんです。例えば、集中力がないのではなく、勉強しているふりをしているだけなのに、そんな自分を「集中力がない」と認識してしまうのです。わかってなくても、教えている相手がうなずいて欲しそうなところは、うんうんと頷いてしまうのです。そう、演じていて自分がないのです。

真剣に話を聞くふりをして、それを「親密な関係を作れた」と捉えたり、話を聞いてないから応用が利かなくて当然なのに「なんでいつも応用ができないんだろう」と嘆いてみたりします。たとえ演じ方を変えたところで、自分はないままだから「自分は変わらない」のは、当然の結果でしょう。

「何もない」がある。

豆乳で煮たオートミールに粒あんをのせると、お口の中でおはぎになる喜び(笑)。おはようございます。吉野実岐子です。

成り上がり系の方は「こんなにできなかった」「こんなに何もなかった」を売りにして、その振れ幅の大きさで人を巻き込もうとします。タイトルは、そういう意味ではないんです。

本当にみなさんが、惨めな気持ちや地面しか見れない感覚のまま「何もない」と感じることがあると思います。そちらの話をしています。

その「何もない」を弾かずに、見つめてあげて欲しいんです。そう、いつまでも「何もない」自分を抱きしめてあげてほしいんです。そこから、人生の春が始まっていきます。

推進力をあげる

“History does not repeat itself, but it rhymes.” おはようございます。吉野実岐子です。

皆さんご存知のように、若いうちの方が体力も気力も溢れています。そして皆平等に、今日が1番若いです。

なんとなく困ったら、少しだけ底上げしてを繰り返していると、いつまでもその苦しみに片がつきません。そう、単に先送りしているからです。

そういう状態にあると、どこかで「何かあったときに自分には特別な力が働き、助けてもらえる」や「最後はみんな人は親切で、どうにかしてくれる」と酔いが常態化しているかもしれません。

いかなる宗教を信じていようと、また実は炎症であるのに能力だと思い込んでいて、自分は特別だという思いに裏付けがあるように見えようと、この降り積もった先送りは、やがてあなたに覆いかぶさってくるでしょう。

選択肢が多く、コストも抑えられるうちに対応できると、それが新たな喜びや力強さへ展開していくでしょう。そう、推進力をうんでいけるのです。

「自分を変える」ことについての誤解

その名は、酸化でなく、水酸化で始まるようです。おはようございます。吉野実岐子です。

暮らしを自分に沿わせたり、道具を自分に寄せたり、環境を変えていったところで、やはり行き止まりが来てしまうのです。それぞれが、それぞれの限界を持っているからです。

ゆえに、暮らしを自分に沿わせたり、道具を自分に寄せたり環境を変えることは、自分を変えることの代替案にはなりえません。

自分が変わっていくとは、新陳代謝が生まれている状態です。そして、自分を変えるのが辛いと感じる状態は、新陳代謝が苦しいと認識している状態です。例えば、髪の毛が伸びなかったり、垢が出ないような状態にあたります。その不自然さに、お気づきでしたか?

新陳代謝を促すことに辛さを感じるのは、すでに機能不全の部分や、機能が低下した部分があるからです。だから、まずはその部分へのケアが必要なのです。例えば、腎不全なら新陳代謝を促す作用もあるサウナに入ったりしないのと同じようにです。より腎機能を損ねてしまうからです。

「自分を変える」ことに辛さやしんどさを感じるようなら「自分にはまずケアが必要だ」と自覚してください。

自分を差別していませんか?

こちらは、12月に入ってから、毎日すごい強風なんです。こんにちは。吉野実岐子です。12月最初の土曜日、心から笑って過ごしていますか?

「どうしても人に言えないことがある」「こんなこと言ったら、みんな私/僕から離れていくだろうな」そんな風に思ったことはありませんか? 「こんな自分が情けない」「こんなことを知られたら大変だ」そう思った瞬間が、これまでにありませんでしたか?

きたない自分や、愚かな自分。みすぼらしい自分に、くだらない自分。どれも、あの人に表立って見せたいものではないと考えているでしょう。そうしていくと、いわばみんなが楽しそうにしている繁華街の中に「あそこだけは近づいちゃだめ」とささやかれる場所がある、あの感じがでてきます。

そう、不幸に見える人が実は幸せだったり、幸せに見える人が不幸だったりするように、汚い自分はその中に美しさを抱えているかもしれないし、愚かな自分はその中に賢さを秘めているのかもしれません。あなたが表立って見せたくないいろんな自分は、ただ、あなたから差別を受けていると表すことができそうなんです。

「何かができたから、そういう自分は存在していい。何かができなかったから、そういう自分は存在してはいけない」そんな風に、まるで移民審査のごとく、条件による選別が行われていると、何かできなかった時に落ち込んだり「どうしよう」とパニックになったり、「どうしたらいいかわからない」と不安が襲ってきたり、恐怖に塗れたり、自分はダメだと思ったりするようなんです。一見、高い向上心に見える裏に、こうした自分への差別が隠れていることが、とてもよくあるようなんです。

ゴミ出しも指標になる。

巨大な白菜が送られてきたため、初めてキムチ作ることになりました。おはようございます。吉野実岐子です。

「その土地でそこに住む人達と、気持ちよくやっていけるか」を知るために、その土地にあった店の陳列以外に、ゴミ出しも指標になります。

私は西日本に住み始めた際、ほとんどのゴミ箱に「家庭用ゴミを持ち込まないでください」と貼ってあることにびっくりしました。だって、そんなこと思いつかないじゃないですか。でも、ここではそれが注意書きを出すほどに頻繁に行われていることを知って、ショックを受けたんです。

正比例ではありませんが、知的レベルが高いと、様々な問題が解決されやすい土地になる傾向はあるでしょう。また、知的レベルが高ければ「自分だけが良ければ良い」と言う発想の天井をしっているから、結局みんなのことをある程度考えて行動するようになります。

つまり、不法投棄が少ないし、ゴミの捨て方に秩序が生まれるのです。また、ゴミの分類にある程度「わかりやすさ」があります。分かりにくければ、みんな嫌になって、結局分類がきちんと行われないと想像がつくからです。

すなわち、川沿いなど住宅地の近くにある自然の中にゴミの不法投棄があるかをチェックすることは「そこがあなたにとって住みやすいかどうか」を知る助けになります。また、市や村のホームページを見て、ゴミの分類がある程度わかりやすければ、そんなに住みにくくないでしょう。

さらに、ゴミの回収頻度を見る必要があります。えてして、田舎だとを回収頻度が低くなる傾向にはありますが、そういう土地は、大型の商品(冷蔵庫など)の配送料が、特別地域等とうたわれ、万単位で上乗せされたりするからです。

もちろん、冒頭に書いたように、駅やスーパーなどのゴミ箱に何か注意書きが貼ってないかも、確認してみましょう。移り住むことを考えるとき、こうしたことは1番に意識にのぼらないでしょう。でも、そっちの方が、住み心地とまっすぐにリンクします。

陳列に注目しよう。

昨日はWordPress不具合により、記事のアップが変な時間になり、楽しみにしてくださっていた方、申し訳ありませんでした。おはようございます。吉野実岐子です。

この約一年半を通じ、やっぱり少し郊外に or 思い切って田舎に引っ越そうと思っている方は、まだまだいらっしゃるようです。

「どこに引っ越すか」を決める際、まずご自身が行ったことのある場所を振り返ることをおすすめします。その場所での至極日常的なこと、例えば何か買ったお店の陳列を思い出してみては、いかがでしょう?

というのも、そのお店の陳列には、そのお店独自の趣向も入りますが、そこに買いに来る人たちの思考パターンが反映されるからです。すなわち、なんだか買い物のしやすいお店・なんだかいいものが見つかるお店は、あなたと思考パターンが近しいのです。(この続きは、近々またPodcastでお話ししますね)

一度切りやたまになら「良い」と思えることも、毎日になると「良くない」になることがあります。今までと全然違う場所を選ぶと、リフレッシュできているようで、実はそれだってストレスである事がおろそかになったりします。

あなたが「あのお店は買い物しやすかったなぁ」「あの店はまた行きたいなぁ」「あの店は良いものによく出会えたな」と思えるお店があった土地は、どこでしょう? 「何か良い。説明できないけど」の方に、注目すると嬉しい展開が待っているようです。

もしや、あなたもギザギザさん?

比較的近所のスーパーで、初めておいしいと思えるキムチに出会えました!おはようございます。吉野実岐子です。

この1年半ほどで、多くの人が壊れできました。今まで、自分にとって都合よく移動したりすることで、欲望を満たせていたところを、それが不可能になり、内側からグシャッとつぶれるように、大きくバランスを崩したのです。

そうして、アンバランス(該当する方は新しいバランスと呼びたいでしょうが)な方に行くと、それは理にかなっていないから、当然不安になります。そう、その不安自体は正しいアラートで、あなたを導くものでした。

でも、アンバランスな状態にあると、不安をなくそう・消そうと躍起になります。長いものに巻かれることで、一時的な安定が得られ、つまり一時的に不安が消えます。また、そこで万能感というおまけもついてくるため、一時的に酩酊状態で良い気分になります。

温暖化がギザギザと進んでいるように、そういう状態にあると、やっぱりギザギザしてきます。そうして、非常識なことを平気で行えるようになったり、様々な作業が雑になったり、気持ちの浮き沈みが激しくなったりと、毎日がギザギザでいっぱいになります。

でもそういう状態にあると、自分を平均マジックを使ってみるようなんです。温暖化と同じで、平均で見れば、ごくわずかな変化に過ぎないように見えてしまいます。だから、少し自分がおかしい気がしても(体調不良のおかしさも含む)、ごくわずかなことに見えて「これならすぐ元に戻れる。だってコロナのせいなんだし」と、誤った評価を下すのです。

そう、そんな風にギザギザさんが増えてきたから、今までなら考えられなかったような模倣犯だって増えました。とにかく全部が、ギザギザしてきています。全部が歯車の触り心地みたいになって、それは決してギザギザのポテトチップスがもたらしてくれるような面白みは、もたらしてくれないようなんです。

まだ、死なないで

これまでに福袋を買ったことがないのですが、最近は夏も福袋が売り出されていたり、中身も傘やコスメや食品など多種多様で、年末に届けてくれる福袋もあったりと、もはや位置づけがよくわからない印象です。おはようございます。吉野実岐子です。

ほとんどの方は、小さい時から家族などの小さなコミュニティーの中で「それを引き受けるとうまくいった」役割を今でも演じている自覚は、皆無です。だからこそ、ほとんどの方が自然体だと信じている状態は、その人の本来の姿ではなく、単なる演じ慣れた役です。

この偽りの自然体から抜けていくためには、無意識をうまく働かせていく必要があります。うまく働かせようと意識を持つのではなく、無意識にお任せする感覚です。

あなたが今生きていると言うことが、あなたが知らず知らず無意識にお任せする瞬間があった証です。無意識に助けてもらわずにいたのなら、あなたは今生きていないからです。

だから、どんなことがあっても、意識で自分を死へ引きずりこむことは、しないでほしいと思っています。無意識はいつも、あなたを助けようとし、気づかないところであなたを助け続けてきているからです。それを知らないのは、あなただけだからです。

にっちもさっちもいかないなら

素人騙しの商品。おはようございます。吉野実岐子です。

嫌だったことをつい思い出して考え続けるのは「整理しよう」「分析しよう」「準備しよう」といった動きに見えるかもしれません。

また、自分に対して声掛けしようとすると「あれは嫌だったよね」「これは辛かったね」のように、ネガティブと言われるようなことばかり浮かぶのも、自分への共感や受け止めに見えるかもしれません。

これらは全て意識的な動きです。つまり、この間も意識は働いていないのです。もしも上記をさらに意識上で「良いことだ」のように位置づけていると、より無意識が働きづらくなります。

嫌な気持ちになったり、閉じ込められた気持ちになったり、そうしたことを続けてしまえるのは何故でしょうか? 単にそれは、脳内麻薬を始めとする形で、そこに快感があるからです。

その快感を手放せるようになると(意識的にはまず無理です)、無意識がぐんと働きやすくなります。その時、あんなにがんばってもできなかったこと・もうにっちもさっちも行かなかったことが、なぜかブレイクスルーするのは、当然なのです。

言いたいのに、言えなかった

杏とお砂糖だけで作られた、ゆきげ杏が好きです。おはようございます。吉野実岐子です。

手帳のシーズンに入って、様々な手帳が店頭に並んでいるわけですが、展開の仕方を見ると「あなたのなかなかかなわない願いを叶えてあげます」が主軸にある印象を受けます。

例えば、あなたのごちゃごちゃした毎日がこの手帳を使うことでスッキリしますとか、例えば、あなたのなかなかうまくいかない恋愛や転職をこの手帳を使っていくとがんばらずに好転させちゃいますとか、そんな具合です。

つまり、そこには、その人がなかなか言いたくても言えずに、あるいは言っても受け取ってもらえなかったと言う経験(主観的)を重ねた上で、抱えている苦しみとなってしまっているものからの脱出が、示唆されているのです。

そうなると、自分にはこんな苦しみがあると明らかにと言える内省する力が、手帳にいろいろ求める方たちの伸びしろだといえます。なぜなら、その苦しみを自分の中で認識できたときに、上記のように迂回することなく、苦しみを解消する道が見えてきて、そのほうが時間もお金も労力もかからないからです。

言いたいのに言えなかった苦しみを、ダイレクトに解決していくことを自分に許せるなら、こんなに早いことはありません。

間を信じる

私もそう思うんです。おはようございます。吉野実岐子です。

よく見せようとして盛っているときに、目の前の相手は自分と同じ穴のムジナだから騙せても、その周りの人は盛ろうとする歪みの方を受け取っているでしょう。そう、つまり周りに自分と同じ穴のムジナの人だけを残す方法になるのです。

同じように、あなたが背伸びしているとき、相手が受け取るのは、その不自然な緊張感の方かもしれません。もちろんあなたが若くて、あなたが背伸びしてみせた相手が同じように若い時に背伸びした人だったら、あなたを見て自分の若かった頃を思い出し、背伸びだと気づいたままで応援してくれるのかもしれません。

盛ったり背伸びするのが当たり前の業界で働けば、どうしてもそれが身に付いてしまいやすいですし、一瞬だけなら、それが身を助ける瞬間があるのは、上述した通りです。そう、つまり盛ったり背伸びすることをいい・悪いで捉えるのではなく、それでうまくいって「ついている」「自分は正しい」のように解釈するのでなく、もっと深いところを捉えてみたらどうでしょうか?

それはもしかしたら、自分と相手の間を信じると言う表現に置き換えられるかもしれません。相手を信じるとか、自分を信じるのではなく、間を信じるのです。来月開催予定のワークショップでは、これができるようになる近道をお伝えします。

秘密のわたぼこり

感染者数が減ってきましたね。解放感がありますよね。手放しでは喜べない感覚もあるんですよね。おはようございます。吉野実岐子です。

そんな中、なんだか今日は灰色がかってるなと感じることがあるんです。そう、ある男の子が、コロナでなかなか外に行けないから、コロンとしたおもちゃのかわいい顕微鏡を買ってもらいました。

ルンルンの男の子は、早速使ってみたくて、ウキウキします。そしたら運良く、お母さんが台所で、ざばっとさらさらの白い小麦粉を床にこぼしたんです。男の子は、苛立ってけんけんするお母さんの横で、そのこぼれたさらさらの白い小麦粉を、そっと指にとったんです。そうして、早速、あの顕微鏡で見てみました。そうすると、白いさらさらの小麦粉は、透明なんです。ワクワクして頬が上気します。うれしくて、小鼻がピクピクしてくるんです。

けんけんしたお母さんが、お手洗いに立った隙に、男の子はそっと台所に戻って、冷蔵庫の下に大きな灰色のふわふわしたわたばこりを見つけることができたんです。その大きくてふわふわのわたぼこりを、その小さな左手にそっと大事に握りしめて、お母さんに見つからないように、抜き足差し足忍び足で、そーっと部屋に戻ったんです。

部屋のドアをかちゃっと言わせて、無事に部屋に戻った男の子は、フゥッと大きなため息をつきながら、その小さな左手を開いて、少しだけ湿ったその大きくてふわふわしたわたぼこりを、ドキドキしながら顕微鏡にセットしたんです。今度は何が見えるんだろう?って。

そしたら、あんなにどこまでも灰色だったわたばこりの中に、赤やピンクや黄色や水色や青が見えて、男の子は小さくわーっと声を上げます。じーっと見入っていると、青の奥に、緑も隠れていました。ほぉーっと、ため息がこぼれます。

そうして、そろそろっと顕微鏡から顔を離してわたぼこりをみると、やっぱり灰色のまんまです。男の子は目をパチパチします。そしてもう一回、そろそろと顕微鏡の中を覗くと、やっぱりピンクや黄色や緑が見えて「自分だけに見えてるんだ」と、なんだか胸が熱くなってくるようなんです。

男の子は、ふぅっと息を大きく吐きました。そうしたらお母さんに「ご飯よー」と呼ばれ、威勢よく部屋から飛び出します。きつね色に揚がった熱々のエビフライを、ふぅふぅしながらサクサク食べていきます。お母さんが「あんたは食べるだけでいいわね」と、いつものように湿ったことを言ってきます。でもなぜだかその時に、男の子の中にある感覚が浮かんできたんです。その感覚の中で、男の子は伸び伸びできたんです。

そう、これはいわば、わたぼこりと男の子の友情の話だったかもしれません。その友情は、とても長く長く続いたそうです。

「助けて」といわれるありがたさ

お子様がいらっしゃる方へ。おはようございます。吉野実岐子です。

何かあっても「だいじょうぶ」と答えるなら、それは特に親密な関係においては、相手を弾き出すインパクトになります。そう言われた相手は、そのコミュニティの所属権みたいなものを失います。

助けを求める方が、一時的にどっと疲れます。身体も解毒すると一番疲れるそうで、その前に体力の回復が必要なこともあるそうです。そう思うと、タイミングを選びたくなるのかもしれません。

また、手に負えないものほど、そのサイズが大きくなるにつれ「助けて」と言えなくなります。お手洗いに行きたい限界のとき、笑わせてくる人にもムカついちゃうような感じでしょうか。

その先に、爪を噛んだり髪を抜くような自傷が広がっていくようなんです。そして、あなたか誰かに「助けて」と表明したら、相手は自分の居場所を得るという人助けが、できるようなんてす。

 

わたしには何もない

最近地震が多いから、色々点検しておきたいですね。おはようございます。吉野実岐子です。

「わたしには何もない」と言われたら、つい「そんなことない」と返したくなるかもしれません。でも、そう返さなくていいんです。

だって、本当に何もないなら、不平不満は一切でてこないはずです。でも「わたしには何もない」と誰かに訴えたいなら「わたしにはあるはずなんです」が、その人の本音です。いわば、あるはずのものが盗みにでもあったかのように、信じているのてす。

「そんなことない、こんなにあるじゃない」と指摘されても、盗みにはいられたかのように「ない」と訴える人には、通じないでしょう。また、ご本人はどこかそんな自分を謙虚だと思っていたりしますが、真逆であるのは明白ではだかの王様状態です。

本気にしない。

おはようございます。吉野実岐子です。

「すごく楽しい」と思っていたけど、しばらくして振り返ってみたら「楽しさをつくりだすために、いつもわたしが我慢していて、本当は苦しかったな」と、船が転覆したようになったりします。

憎しみや恨みをもつほどのことが、何十年もたって自分を助けてくれて「なんてラッキーだったんだろう!自分は恵まれている」とあの頃予想できなかった感覚で、自分を満たしてくれることもあります。

自分の考えをまもろうとしたり、気持ちにしがみつくのは、そんな視点からすると、少し行き過ぎと呼べるかもしれません。自分の考えや気持ちをあえて本気にしない余裕が、あなたの首や肩や背中気持ちよさを残してくれるのかもしれません。

グミの使い方

通信許可。おはようございます。吉野実岐子です。

お菓子のグミは、釣りの餌としても使えるそうです。私が釣りをしたことがあるのは数回で、しかも海釣りばかりですが、確かにミミズなどより針につけやすそうだと思いました。

お菓子のグミを開発した人にとっては、そんな使われ方は、想定外でしょう。受け取る側がどんどん工夫して、その物の可能性をどんどん引き出していくと、表現することも可能です。

一方で、開発者側からすると「意図と違う」と表現できます。ここからが本題ですが、これはコミュニケーションにおいてよくある話なのです。優しそうに見える一人ぼっちになりたくない人を見て「優しそう」「ひとりはみんな辛いよね」と反応するのは、開発者の意図通りにグミを受け取ったのと同じです。

ところが、そういう人が実はしたたかに周りが自滅するよう、周りを攻撃しまくっているのに、自分では自分を「優しい」「一人ぼっちになりたくないだけ」と思い込んでいたりします。実際に自分でやっていることには、バレないからとたかをくくり、無頓着なのです。

こうしたしたたかさや攻撃を見抜くのは、グミを釣り針につけちゃう人たちです。受け取りながら、どんどん暴いていけるのです。

自分がないと?

久しぶりに、水キムチを作りました。おはようございます。吉野実岐子です。

自分がないと、相手をイライラさせます。自分がない人は、周りに合わせるからです。小学校の時、誰かに自分の言い方を真似されて、初めの内は笑っていても「もうやめてよ~!」と、なりませんでしたか?あの感じで、気持ち悪さがつのるのです。

自分がない方は、精一杯気を使っているつもりだったり、嫌われないようにがんばっている思いやりのある人のように、自分を認識していたりします。そう、嫌われないようにすることほど、自己中なことはありません。

どんどん本音を隠して、周りに合わせて振舞っていくほど、どんどん周りは「気持ち悪い」と思うようになります。そうしていながら「人が怖い」と認められず、「表現力がない」と自分を捉えていると、その内省力の低さから、同じところをグルグルしてしまいます。「変わりたいのに変われない」は、ここからも生まれています。

気持ちよさはどこから来るの?

こういうYoutubeもあるんです。おはようございます。吉野実岐子です。

今日は、ちょっとざっくりとした話を書いていきます。気持ちよさは、いったいどこから来るのでしょうか?優しい人は、気持ちいい人でもあるでしょうか?知らない単語がたくさんあるわけでもないのに、読んでいてきもちのいい日本語の本と、読んでいて気持ちのよくない日本語の本があるのは、なぜでしょうか?

例えば、わたしはThe New York Timesはなぜか読みにくくて、The Washington Postはすぃーっと読めるのです。あるいは、子供のころ好きだった、日本語で何度も読んだ本の原文をよむと、読みづらくて辟易とすることがあります。一方、おどろおそろしいテーマだと思うのに、読んでみたらすいすい読める洋書もあります。

こういう時、気持ちよさは意識の抵抗のなさが生んでくれています。つまり、日によって変わる可能性もあります。確かに、The New York Timesが読みやすい日もあったり、子供のころ好きだった、日本語で何度も読んだ本の原文が、急に読みやすくなる日もあるのです。そう、固定はされません。

意識が抵抗しない、つまり、無意識が働きやすい(と仮に表現します)相手は、気持ちいい相手と認識されますし、そういう人は「相性がいい」とみんな固定したがる、それだけなのです。だからこそ「あんなに相性がいいと思ったのに…」という相手と喧嘩別れもできれば、離婚もできるのです。

もう一度、気持ちよさが拡がる時

社会×科学でこんな楽しそうなイベントがあります。おはようございます。吉野実岐子です。

欲しかったもの・関係・情報・空間・存在を、あなたはどれくらい大切に生きているでしょうか?そこに、自分への尊重度合いが現れる気がするんです。

自分への尊重がごそっと抜けてしまうと、欲しかったもの・関係・情報・空間・存在に、ただ期待するようになるのかもしれません。そして、期待に応えてくれないと嘆く裏で、あなたが自分を大切にできないことが、正当化されてしまうのかもしれません。

欲しかったもの・関係・情報・空間・存在、つまりあなたの今いる環境を構成する要素に「ありがとう」「大好きだよ/なんて愛おしいの」「今日もきれい/かわいい」と自然と思えている時、あなたは自分を尊重できる気持ちよさに包まれているのかもしれません。

ちなみに、欲しかったもの・関係・情報・空間・存在とは、いつでも和解できます。「ごめんね」「許してください」と自然に頭が下がってしまうのなら、またここから、自分が尊重される気持ちよさが拡がっていくのでしょう。

人のペースで動く大切さ

おはようございます。吉野実岐子です。

「自分のペースを大切にしたい」「人のペースに巻き込まれたくない」そんな風に思う方が、一般的かもしれません。ただ、いろんなリズムを経験できるありがたさはあるでしょう?

例えば、自分に合ったヨガのポーズを使い、自分が気持ちいいシークエンスで動くと、自分が認識する気持ち良い範囲には収まります。つまり、気持ち良いと感じます。

ところが、ヨガのクラスを受けたりして、自分の苦手なポーズが入っていたり、自分ではしないシークエンスに身を委ねたときに、初めて自分が認識できる気持ちよさがあります。

「人のペースに合わせるってすごくいい」と思うんです。つまり、マイペースがいいとか人のペースに合わせるのが良いといった話でなく、そこで何を認識するかです。

認識の仕方が変わっていく時、気持ちの良いペース自体が増えていて、人のペースに合わせるのも自分のペースでいるのも気持ちいい世界が、少しずつ開けてくるのではないかと思います。

二股してる・されてる方へ

この約二年の内に、よく見かけるようになったCICA製品ですが、わたしがワンシーズンに1回使うのはこちらです。おはようございます。吉野実岐子です。

「正式に別れるまで待ってと言われているから」と、隠れてデートを続けるなら、あなたが相手にとって優先順位一位でないことから、あなたは目を逸しています。

それはつまり、あなたの相手が、優先順位のわからない混乱した状態にある人だと言うことです。優先順位のわからない人に好かれ、嬉しいと思うあなた自身は一体何なのでしょう?その人の中で混乱から抜け、優先順位がハッキリしたとき、あなたは優先順位1位に来るのでしょうか?

「家庭内別居で、心は私/僕にある」と思いたいかもしれませんが、その家庭内別居が続く理由を考えたことがありますか?ジェンダーギャップの大きさが群を抜いているこの国では、婚活が示すように、男性にとって女性はモノです。社員や資産をきちんと管理できない経営者が信用を失うように、物(女性)をきちんと管理できない男性は信用を失いますから、家庭内別居はなかなか崩れたりしません。(それはわかっている女性が、年収の高い男性を狙うわけです)

あるいは、そこまでして恋愛状態を維持したいと言うことは、それほどにあなたが今苦しい状態にあって、恋愛した時に出るホルモン(いわばモルヒネ)を必要としているのでしょう。そうなると、まずは自分の苦しさに気づくことが大事ではないでしょうか?

その相手と結婚したりして、恋愛状態から抜けてしまうと、あなたはそのモルヒネを失うことになります。そうなると、もうあなたにとって、その相手は不要な相手になってしまい、その苦しみは、あなたを津波のように襲うだろうからです。

情報が溢れているから、主役であろう。

軸がおいしいキノコだそうです。おはようございます。吉野実岐子です。

今の時代は一般に「情報が溢れている。情報が多すぎる。取捨選択が大変だ」と思われているのでしょうか?そんなあなたはそもそも、取捨選択をしてきたでしょうか?

物が溢れた部屋で「探しても探しても見つからない」がおきるように、情報が溢れているほど、大事な情報を隠すのは簡単です。

リアルに部屋のケースで考えたとき、起きることは「探しても探しても見つからない」だけではないですよね?カビや虫の巣窟になったりしますよね? そこに住めなかったものも、住めるようになりますよね?

情報に関しても、全く同じことがいえます。まずは、1日に何度もコロナのニュースを結果的にチェックしてしまったり、また随分と遠くにいる台風なのに、1日に何度も台風情報を確認してしまうことは、やめてみませんか?1日1回で十分です。

知らない誰かに「それデマですよ」なんて言われて、一次情報の確認もせず感謝している自分を、自分の人生の主役に戻してあげてください。

 

傷を恐れない

おはようございます。吉野実岐子です。

「大丈夫だった?」「大変だったでしょう」こうした、ねぎらったり思いやる言葉でも、トラウマの再暴露は起きてしまいます。一般に良いとされることをして、逆効果になってしまうのです。

また、治療の場面でも、治療効果があるとされる共感を、すべての治療者がすべての場合に対してできはしません。そんな、共感がなされない場合には、より固着が強化されてしまいます。

人も神様も万能ではないのですが、大変な状況にある、すがるような思いになりやすかったりして、相手の期待も高まりやすくなるでしょう。それで、すぐ「この治療家じゃない」「この治療方法じゃない」と彷徨ってしまい、自分で事態が変わらないようにしたり、むしろ状況を悪化させていることに、何年たっても気づけないケースも、非常に多く見られます。

「治療ではない」と逃げられる対人援助職の方も、実際には上記のようなことをしているケースが多いわけですから、この言い訳は通用しないことを念頭におくと良いでしょう。

そして、傷を恐れない態度は、あなたのヒントとなるかもしれません。

つい不安になる。

雨が続いて、ベランダが蜘蛛だらけです。おはようございます。吉野実岐子です。

「つい不安になる」なる人は、人から「優しい」と言われることが多かったかもしれません。人が苦しんでいるときに気づいてあげられたり、人の痛みに敏感です。そう言われると「つい不安になるのも、いいことかもしれない」と思ってしまうのかもしれません。

そこで、良い・悪いのジャッジを持ち出さないようにしてみるとどうでしょうか?例えば「つい不安になるのは、自分らしい」と思ったりするでしょうか? あるいは「つい不安になるのは、自分らしくない」と思うでしょうか?

「つい不安になる」場合は、人からの不安を請け負っているだけと言うことが多々あります。他の人の宿題もやってあげるような感じですね。そうするために、自己肯定感を低くしています。自己肯定感を低くすると、他人の苦しみや不安があなたに流れ込んできます。そして、あなたは孤独を感じなくて済みます。

「つい不安になってしまう」方は、多くが単に自己肯定感が低いのです。そして孤独に悩んでいます。でもそれを認めたくない気持ちがあるから「優しい」や「人の気持ちに敏感」と言われて、そんな自分をまぁいいかと否認するんです。

不安だから、会議でこう発言する。

今夏2回目のサプライズ花火を楽しめました!おはようございます。吉野実岐子です。

知らない土地で、いつものチェーンのあの店に入りたくなるなら、あるいは、結局同じメニューを頼んだり、同じスタイルの服を買ってしまうなら、目の前に過去を置いた状態で生きています。つまり、自分と世界の関係を変えたくない!と強く思っているのです。

会議で「でもやっぱり前例がないですからね」「毎年こうするって決まっていますから」となってしまうのも同じで、そうなるとそう発言した人はもちろん、その決定をOKとした会社自体も「現在は大事でない」と思っているし、どんなに口でビジョンをうたっていても、未来を大事だなんて思っていません。

さて、上記で書いた状態は、いずれも冷静さのない、不安に満ちた状態であると、あなたは認識されてきたでしょうか?

不安になりやすいなら

おはようございます。吉野実岐子です。昨日の続きです。

「自分が背景にされてしまうのは、重要だと思われていないからだ」と言う理解にとどまらず、「新しいと認識されることは、相手の中での優先順位が上がることだ」と認識していたでしょうか?

そこまではあなたの中で理解されていたとして「新しいと相手が認識している時、相手の世界は揺らいでいる」ことも、認識していましたか?

つまり、目の前に過去を置いていなければ、常にあなたは、自分の中の優先順位が変わり続け、自分の世界が揺らぎ続ける状態にあるはずなんです。

そして、その状態にないなら、あなたは不安になりやすいはずなんです。

全部自分でやりたい?

おはようございます。吉野実岐子です。

親が病気を抱えていたり、十分に養えないような貧しさの中にあって育つと「全部自分でやりたい」という傾向が、過剰になってしまうことがあります。自立という価値観を強く持っていたり、独立心旺盛だったりします。

子供だったその人にとって「自分で全部できる」ことが、その人を安全にしてくれるやり方だったのでしょう。だから、大人になった今でも、その人の中では「自分で全部できる」ことが、過剰に高く評価されています。

また、他のやり方を十分に探す可能性は、子供から大人になって増えたのですが、そこも閉ざされたままになってしまっています。子供時代のまま、アップデートされていないのです。他のやり方という別の選択肢が、その人の中では完全に奪われてしまった状態に、あの頃からずっといるんです。

「自分で全部できる」と思わないといけないところまで、とことん追い詰められてきた子供だった自分に、今どんな言葉をかけてあげたいでしょうか?大人になったあなただから見える、あの頃にあった別の選択肢を、あなたからその子に教えてあげることはできますか?