芯の一番おいしいあなたで、人生をひらく。

新年、山の中や人のいない場所で迎えた方は、人がつくりだしたムーブメントとしての新年とは違う変化を、すこしは身体で感じられたかも知れませんね! さて、新年始まってすぐなので、昨年のわたしに、新しい世界を見せてくれたアプリを紹介します。 *spotify – 新しい音楽に出会わせてくれる、 *spark – とにかくさくさく動いてくれるメールクライアント 40過ぎたら、新しい人生がスタートしたという認識で、初心ですべてと出会っていくといいですね。 隠れた課題が出始める年齢ですが、こんなに積み重ねてきたのにと過去にしがみつくより「0歳です、バブー」な気持ちで、周りを見渡し、足元に感謝していきましょう。 そうすると、周りに都合のよかったあなたでなく、芯の一番おいしいいい匂いのあなたでこれからが展開し、第二の人生は第一の人生に比べられないほど良いものになっていくでしょう!

親密な関係 ≠ 性的な関係

誰かと親密になることを恐れる人の多くが、相手を征服して安堵するためではなく、自分が真のパワーとつうながることで男性らしく/女性らしくあることを恐れます。 それは、その人の中で、親密さ(intimacy)と性的であることの区別がついていないからです。まずはじめに、ご自身の毎日のプラクティスとしていただきたいのは、NOをいうことです。この状態にあると「断ると自分勝手なんじゃないか」「すぐ嫌っていうあの人は、自分中心よね」といった、NOを言うことの本質を理解していない状態にあるからです。 NOをいうとは、自分への尊重であり、相手への尊重です。NOをいうことで生じる責任を、自分で引き受けていくことで、あなたは力強くなっていって、真のパワーとつながる状態に近づいていきます。 親密さの示し方には、文化や世代により暗に共有されているものがあり、明示的ではありません。でも、人との関係というのは、時間をかけてはぐくむものです。だから、時間をかけて、確認していけばいいだけで、それは本質的な「あなたが親密さを恐れる」要因にはなりえません。 愛着障害でも、誰かと親密になることを恐れますが、それは以前のブログかメールマガジンで書いています。そちらを参考になさってください。

ネガティブには2種類ある。

みなさん、ネガティブと言われる状態を嫌いますが、それはある意味正しいです。その理由をお伝えしますね。 そもそも、ネガティブといわれる状態には2種類あります。1つは、苦しみに酔っている状態です。深刻で、自分中心で、苦しみを自分の1部と勘違いしています。そのため心の奥では苦しみが完全に消えることを、少し恐れています。この状態だと、ロマンチックな表現が増えたり、芸術系の仕事には利が生まれることはありますが、人生としては前進しません。一言でまとめるなら、欲望を追いたくないと言いながらも、欲望を結局肯定している状態です。 もう一つは、苦しみがあってもその苦しみを自らの人間性を高めるために使っていく、真剣な姿です。苦しみが自分の1部だとは思っていないので、苦しむ姿が周りに辛い思いをさせ、苦しむ自分が周りに迷惑をかける気を出していることに気づき、責任を取ろうとします。人生は前進して行き、人間性は高まります。闇から光を生む姿勢はこちらです。 ただし、初めから2つ目の闇から光をうむ姿勢には入りづらく、多くの人が1つ目の苦しみに酔う方を経験します。人生が一時停止する経験のため、ネガティブなものに首を突っ込むと、自分の手におえないと学ぶ方が多いのです。そして、苦しみを避けようと、なかったことにしようとしてしまうのです。本当に飲み込まれて死に至る人もいるので、初めから猛烈に苦しみに突っ込んでいくことに慎重になるのは、いきていく上で大事な姿勢です。 結論から言うと、人間だけが持っている創造性は、闇を光にかえられることです。つまり、2つ目に書いたことができるようになることが、人間の証ともいえます。だから苦しみを避け続けるのではなく、苦しみによって人間性を高めていくプロセスを選び続けることは、大きな喜びが待つ道です。ピンときた方は、よかったら、今月の単発コーチングにいらしてくださいね。お申し込み受付は、今夜21時までです。

痕跡と優秀。

みなさん、痕跡を残すのがお好きなようです。銅像/名前を刻んだ碑/神社でまつってしまった死者/人の名が付いた道路/いたずら書きなど、道徳的な観点を抜きにして羅列すると、様々にあります。 大切なのは、なぜその痕跡を残すのか、です。後に続く人類の道しるべとなるように、必要なところにだけ残すのか、亡くなった後も思い出してもらいたいという欲望からなのか、あるはずのものを埋めるための心の荒み(欲望)からなのか、動機は目に見えませんが、その動機が後世に目に見えないまま影響する力は大きく、あやまちは改めていく必要があります。 他にも痕跡はあります。二酸化炭素が増えて、空気中の大気組成は変化しました。深刻な海洋汚染を引き起こしていることが明白なプラスチックや、消えるのに天文学的な年数を必要とする放射性物質などは、すべて痕跡です。 産業革命後、さらには第二次世界大戦後に加速度的に増えたことは、誰もが実は知っていることです。地質学などでは、「人間の活動が小惑星衝突や火山の大噴火に匹敵するような恒久的な痕跡」を残していると指摘されています。 こうした恒久的な痕跡が残るものは、日々のニュースやお買い物・日常会話のレベルでは「人間の進歩」として、多かれ少なかれ片づけられてきたものです。後に続く人類の道しるべとなる類の痕跡には、到底見えませんが、こんな風に地球を穢し汚すことを続ける態度を、わたしたちは今すぐに改める必要があります。IPCCが検討するような温暖化抑制のために、硫酸エーロゾルを散布するような方法は、蚊の多い地域に遺伝子組み換えした蚊を放つようなもので、決して解決策にはならない、大筋から逸れた発想ではないでしょうか?こうした操作はソリューションでなく、単なる責任転嫁に過ぎません。 清さを見失った「優秀な」人間たちは、脳内だけで正しいことをしようとしては、地球にとってむしろ迷惑なことばかり思いつく存在になり果てたことにも、気づけない「優秀さ」をお持ちなようです。もちろん、無意識に人間社会というシステムを持続させる行動しかとれないのが「優秀」であるのは、言うまでもないことです。「優秀」は、そう設計されていますからね。

オリジナリティ

さびしさは、多くの方が何かいいものとして評価している思いの1つです。さみしがり屋だとかわいいとか、さびしさがあったから出会えたんだとか、何かと正当化されます。 さびしさの語源を知っていますか? さぶ(荒ぶ)から始まっているのです。 つまり、さびしいとは、あるはずだと心が思うものがなくて、心が荒れている状態なのです。 例えば、認知症になって、既に亡くなった人を求めて、さびしいと言う人の姿は、客観的に見てそうなのだとわかりやすいでしょうか? 好きなアーティストが引退することになってさびしいのも、同じです。転職したりして、嫌だったはずのあの人がいないことに、さびしさを覚える人もいます。その人にものすごく気持ちを向けていたんでしょう。 ここまで見てくると、さびしさというものの中身の曖昧さと脆さが、皆さんの目にも映ってきたでしょうか? そう、さびしさもまた、心身に負担をかける欲望なのです。 さびしいと孤独だと、みなさんおっしゃいます。しかし、孤独にこそ(孤立ではない)、自分の色合いが出るものではないでしょうか? みなさんが好きな自分らしさやオリジナリティーは、そこからスタートするのではないでしょうか?

リカバリーこそ投資。

運動が続かない方を見ていると、二つの特徴をあげられます。まず、目的は明確でも、目標が他律的です。次に、トレーニング(運動)を投資だと捉え、リカバリーに向けるお金も時間も少なく意識も希薄です。 目標が他律的とは「誰かに褒められよう(すごいと言われよう)」という欲の強さをベースに持ち、その欲深さで不快を乗り換えてしまおうという、自分を無視する行為です。踏み潰された不快は三ヶ月もすればたまり、欲深さを凌駕しますから、運動は続かなくなります。 そして、とにかく運動量や運動強度を上げ、神経が興奮するため得られる高揚感から、トレーニングを投資のように発想しては回復が追いつかないのに、そんな自分は見捨てます。 だから、怪我するか目的未達かどちらかになります。リカバリーが投資だと知っている人は、それが次のトレーニングへの準備であるという連続性を生きています。だから、筋肉を損傷するようなストレッチはしないし、筋肉の発達をまてずに軟骨などがダメージをうけるような頻度で運動はしません。 初動負荷トレーニングは、いわゆるトレーニングと違い、筋肉を柔らかく保ち、脳を刺激して筋肉が有機的に働きやすいようにするものなので、一般のわたしたちからみた位置付けとしては、ストレッチに近いでしょうか? 優れたアスリートは「いかに筋肉を柔らかく保つか」にフォーカスします。初動負荷トレーニングで血中の酸素量増やせば、疲れにくく怪我の回復も早くなります。初動負荷トレーニングも、リカバリーの一部です。 上記、運動の例で書きましたが、勉強や仕事でも同じことが言えます。自分にプレッシャーをかけがちでできることを増やしたい方ほど、自分を無視し見捨てる上記の行いを、日常でふんだんになさっています。 へっぴり腰の方なら、目標は自律的に、リカバリーこそ投資を合言葉にしましょう。しかし、自らを変容させる意志があるなら、コーチングにいらしてみる方が、圧倒的に安全で自由ではやいでしょう。

否定された?(一)

もしみなさんが、札幌に行きたいのに福岡行きのチケットを用意していて、そのことを指摘してくれる人がいたら「教えていただいてありがとうございます」と口をついて出ませんか? それまでに何度も確認されたはずなのに、札幌に行きたい自分が福岡行きのチケットを持っていると、これまで気付かなかったことに驚き、これまでに何をしていたのか振り返り始めたりするでしょう。 ところがおかしなことに、現実において、行き先と違うほうに向かう道を選んでいると指摘されると「否定された」と受け取って、教えてようやく気づかせて下さった相手を恨んだり憎んだり拒絶したりといった、トンチンカンな対応をする方が多くいらっしゃいます。 相手に感謝できないだけでなく、自分を振り返ることすらしません。一方で「行き先と違うほうに向かう道を選んでいるんだね。いいね」と、さらにあやまちを進める方に背中を押す相手に「そう言ってくれて安心する。ありがとう」と伝えて、味方であるように感じているでしょう。あなたのあやまちを推し進める相手は、本当に感謝すべき相手でしょうか? 「否定された」と受け取りがちな方が、極めて頻繁に見せる態度や生き方について、お伝えしました。本当にぎょっとするほど、しょっちゅうお見受けします。

決め手は小さな違い。

今年初めてらっきょうを漬けましたが、酢が足りなくなったのをいいことに、三年ものの自家製の梅酢を加えたので、楽しみです。おはようございます。吉野実岐子です。 ある有名人の方(Aさんとします)が、所属するチームとしても、さらにはその中のメンバーとしても、脚光を浴びていました。 ところが10年以上経ち、チームにはあまり光があたらなくなり、当初はそこまで脚光を浴びていなかった方(Bさんとします)が、脚光を浴びはじめました。 インタビューでAさんは「Bさんと自分は何が違ったのだろう?」と不思議そうに首をひねっていらっしゃいました。 おそらく、AさんはBさんとの軌跡の違いを振り返っては、大きな違いを探してきたのではないかと推測します。そして、小さな違いについては「スタイルの違い」「個性の違い」のように分類してしまっていたのではないかと、推測します。 実は、Aさんの思考パターンにはまる方はとても多いのですが、AさんとBさんの未来のひらけ方を決定づけたのは、Aさんが「スタイルの違い」「個性の違い」のように一括りにしただろう、小さな違いなのです。 だから、大きな何かは振り返っても振り返っても、見つけられないのてす。今、うまくいっていないみなさんは「スタイルの違い」「個性の違い」のようなくくり方をした、ガラクタ箱に押し込めたような小さな違い達を、ひとつひとつきちんと見てみると、道がひらけるだろうと思います。

何が可能になる身体を創りたい?

おはようございます。吉野実岐子です。5月5日(土・祝)ワークショップ「Heart Opening Moments」では、ご希望があれば、ベランダ産のレモンバームティー〔無農薬)も、お出しできます。 みなさんは、何が可能になる身体を創りたいでしょうか?特に都市在住の方にとって、一番ニーズを満たしそうな提案をするなら、「災害時にちゃんと逃げられる身体」は欲しいでしょうか?「楽しくはなさそうだけど、確かに必要だね」と、多くの方が頷きそうな気がしています。災害時に車が使えないことは多いので、車頼みの田舎の方は、やはり同じニーズを持っていらっしゃるのではないかと思います。 だとしたら、災害時に何時間歩くことになりそうかを想定しましょう。仮に5時間だと思うなら、5時間歩き続けることが可能になるよう、続けていきます。30分くらいから始めましょうね。災害時だと思いリュックを背負っていたり、子供の手をひいているかもしれません。そうしたら、段々とリュックを背負ってみたり、リュックの重さを変えたりして、少しずつ運動強度を上げていきましょう。 生まれつきの肩の形状にもよりますが、リュックだと身体の左右をバランスよく使いやすいので、片側だけで重いものを背負うより、怪我が少ないでしょう。肩の形状からしてリュックが苦手な方は、そんな自分にも合うリュックをとことん探したり、何か調整方法を知っておくといいでしょう。 そうやっていく内に、色んな等身大が見えてくると思います。現実に機軸を置いた、自分の思考の等身大を知れば、妄想して変な気を出す時間はぐっと減るでしょう。疲れたときにかけられたあたたかい一言はきっと全身にしみて、頭だけシュルシュル回転させて言葉を返すことは、できなくなるでしょう。そうやって、色々なこと・物・人と調和を生みやすくなっていき、あなたに災害時にも必要な「心」も戻ってくるでしょう。

できていたことができなくなったら?

おはようございます。吉野実岐子です。 できていたことができなくなると、できていた状態に近づけようと、そこに理論を求め始めるようになります。そこで初めて開ける視野があります。 例えば、気づいたら日本語を話せていて、助詞の使い方を迷ったことなどなかったのに、海外で何年も暮らすうち日本語が崩壊するのです。そこで初めて、助詞について真剣に学んで、それがすごく面白かったり、いわば日本人の精神構造みたいなものに触れられたりします。あるいは、脳の使い方に関心を持ち、こんな分野があり、こんな研究をしている人がいたと感嘆し、そこから会話や人脈がうんと広がるのです。今までは何となくできていたから、人に説明できなかったのが、人に教授できるようになるのです。 そうすると、何も考えずにできていた時より、知識も能力も人としての器も、ずっと広く深く強く大きくなれます。そして次回、できないと言う状態が訪れたら、とても面白く感じられるはずです。 すべてはフラットで、どんな時もマイナスもプラスもなく、ただ次が開けているだけです。起きただけで、何かが決定付けられるようなことは、ありえないのです。

毎日を面白くするコツ。

最近は、右足首を柔らかくしています。おはようございます。吉野実岐子です。 メルマガにも書きましたが、わたしたちはそれぞれの道で、たましいが震えるような挑戦をしていかないと、心ない道へと堕ちてしまいます。自己憐憫や被害者意識に塗れ、プライドだけがぶ厚くなっていき、高潔さから遠のいてしまいます。 何といっても、毎日を面白くしてくれるのは、自分への厳しさではないでしょうか? 「自分に厳しくする」を履き違えて、自分を責めることだと思っているなら、保証を求める欲に気づけるまで、自分を深めていないからです。できないからと、自分を責めたりする動きは、保証を求める欲が起こしていきます。人生にありえないはずの保証を求めること自体が、もう心ない生き方です。 「自分に厳しくする」姿勢は、目を逸らさず何か(通常はしごと)に向かい続けて、結果的に得られるものです。何かに向かい続けていくには、自分にとっての嘘偽りのない挑戦を続けていく必要があります。そうでないと、心なんて折れてしまうからです。「このくらいでいいや」は、心が折れた状態です。 面白い人生を、面白い毎日を、生きませんか?

盲点はスイートスポット。

マッシュポテトにしそとしらすを混ぜると、おいしいです!おはようございます。吉野実岐子です。 毎月大掃除をするようになって、4〜5年が経ちます。先月初めて、押し入れから物を全部出したときに、出されたものが置かれた部屋にも、がらんとした押し入れにも、うーっとなりませんでした。つまり、大掃除48〜60回の後に、ようやくこの状態を作り出すことができました。 布はスポンジみたいに汚れた気を吸うので、どんなにきれいに洗っていても、不思議な位それらが置かれた部屋は、身体にとってきつかったのです。そしてそれらがあった押し入れも、きつかったのです。 (同じ理由で、手芸屋さんや古本屋さんやアンティークショップが、無理です。つまり、住む部屋や働く場所に、アンティークや古本や服も含め大量の布を置いておける人は、すさまじく感覚が鈍り狂っています) きつくなくなったと言う事は、私の生活全体を通して、私が以前よりもずっとましな気を出すようになったと言うことです。言い換えれば、人としての質が向上したと言えるでしょう。2月にうれしかったことの1つです。 大掃除はやっていくうちに、どんどん楽しみになってきました。毎回、不思議な位、盲点が見つかります。そして、盲点がいかにスイートスポットであるかということが肚に落ちます。そうすると、他の場面で盲点が見つかったときに「うれしいな」と甘い気持ちになるのです。やってみて、この気持ちをぜひ経験してくださいね。

品位ある苦しみ。

早春のオンラインWS「循環と再生 Episode1:かわいい心」は、明日夜21時が〆切です。おはようございます。吉野実岐子です。 雪が空からざぶんざぶんと降っていた午後、Aldo Ciccoliniさんの本を読み終えました。久しぶりに立て続けに「そう、それ!わたしその言葉を探していたの!ありがとう」という思いが、ぼこぼこ湧き続けながら、読み終えることのできた本でした。近くに住んでいたら、絶対に仲のいい友達になっていただろうと思います。幸せな気持ちになりました。 戦争経験者であり、三年もの間ピアノから離れざるを得なかった彼から紡がれる「苦しみ(戦争に代表される)は人間を低め、その尊厳を失わせる。あまりにもわずかな尊厳しか残っていないとき、人は生きること、物を見ることを容認できない。しかし、音楽は苦しみを品位あるものに回復させ、わたしたちの代わりに苦しみを取り除いてくれる。音楽とは、神の存在しない教会(参考:Aldo Ciccoliniさんは戦争を経て、無神論者になった)のための祈りである」(抜粋&要約)という言葉に、ハッとして息が止まりました。 苦しみを品位あるものに回復させ、取り除いてくれる音楽だからこそ「弾きながら、喜びを感じるように学び続ける。それが清潔な演奏をするということ」(抜粋&要約)を、Aldo Ciccoliniさんは体現し続けたのです。さらに「音楽に注ぐ眼差し自体が、ひっきりなしにわたしを超えさせようと、疲れを知らぬ探求に追いやり、毎日の人間を豊かにし、気品と尊厳を持って、人生の様々な試練を乗り越えさせる」(抜粋&要約)という、こんなにもピアノが必要で、そのことに頭を垂れ続ける謙虚な人生を送り、きちんと完了されたのです。 あらゆる芸術は、特に経済の文脈で「意味がない」と言われたり、オプション扱いされます。しかし、あらゆる芸術すべてが、本質的に「苦しみを品位あるものに回復させ、わたしたちの代わりに苦しみを取り除き、そうやって毎日の人間に気品と尊厳を育み続けてくれる」ものではないでしょうか?わたしもまた、あらゆる芸術が、人間に気品を取り戻させ、尊厳を育み続けてくれるものだと、信じています。一言に集約するなら、芸術はわたしたちの心を可愛くし続けて、清潔な仕事を残せるようにしてくれるということです。

今年こそ、変わるには?

新年に入り、新調したリップクリームがお気に入りです。おはようございます。吉野実岐子です。 まだ今年に入ったばかりですから「今年こそ、変わるぞ」と息巻いている方も、いらっしゃるかもしれません。その鼻息のあらさ、大事です。 だから、今日はすんなり変わっていく人と、なかなか変われない人がどう違うかをお伝えし、みなさんにかかっているエンジンを活かしていただこうと、思っています。 なかなか変われない人がしていて、すんなり変わっていく人がしないことは、ジャッジです。すんなり変わっていく人は、提案されると「まぁ、やってみようかな!やってみて嫌だったら、明日はやめればいいし」と、来た波にすーいすいと乗っていきます。なかなか変われない人は「効果をあまり感じていない。これよりいいものがあるはずだ」と言い訳の方に乗っていってしまいます。 例えば、健康的に筋肉を備える人は、結局、規則正しい生活をしていたりします。すいすい変わっていく人は「ほぉ、じゃあとにかく明日から規則正しい生活をしてみて、自分の中にどんな感触が生まれるのか、観察してみよう」と発想します。一方で、なかなか変わっていかない人は「規則正しい生活をしても、筋肉なんかつかないよ」や「数日してみたけれど、筋肉とは関係ないでしょ」とジャッジします。そしてハードな筋トレにトライして「筋肉痛になった。効いてる」と高揚したり「プロテインをとったら、筋肉が太くなった」と自分を正当化します。 しばらくすると「もっと良い筋トレ方法がある」「こっちのプロテインのほうがいい」などとジプシーなります。すっかり、規則正しい生活の事は忘れます。 3年後、あるいは5年後、健康的な筋肉を備えているのは、「昨日も嫌な感じはしなかったから、とりあえず今日もやっておこう」と軽やかに続けていた人たちです。すいすい変化していく人たちは、こちらを常日頃としています。 ジャッジしては「わかった」という状態を作り出して、実は停滞していたことをまだ自覚できていない方は、もっとすいすいスムーズに自分も変容させていく可能性がどーんと開けています。 ジャッジして思考停止になっていた時間を減らしていければ、今まで超えられなかったものを超えていける一年になるでしょう。

ゆるふわ?ヘタうま?

年末、こぐまくんに「お餅どうやって食べるのが好き?」と聞いたら「納豆と一緒に食べるのがすき」と言われ、びっくりしました。おはようございます。吉野実岐子です。 数年前からでしょうか。髪型にしろ何にしろ、ゆるふわが持て囃されてきたと思います。 でも、髪型のように形あるものだと、わかりやすいように、実際にはゆるふわは高度な手法です。ゆるふわにしたつもりのだらしなさは、よく見かけます。 ヘタうまにも通じるところがあるのかもしれません。見ていられるヘタうまは、実はとても丁寧に作られていて、そう見えればいいといった乱雑さと無縁だからです。 ゆるふわもヘタうまも、息を抜けるような、風が通るような感じがありますが、それは乱雑どころか、誠実にうまれています。メリハリがあり、途中目をつぶったりはされていないのです。 ゆるふわ風やヘタうま風を目指そうと、虚栄心に火がつくなら、今日のこの記事を思い出してください!創造性や創造力は、乱雑さとは疎遠で、誠実さと仲がいいのです。

フォーカスは「使わない」より「使う」に。

漫画『はたらく細胞』を読み「ムササビくんは乳酸菌だ」と思いました♡おはようございます。吉野実岐子です。 節約をがんばっていると、何だかきつくなってくるのは、なぜでしょうか?それは「使わない」にフォーカスしながら「使う」という、真逆の方向への動きを同時に走らせる、難しいことをしているからです。 「食べない」にフォーカスを置きながら、「食べる」をしても、同じようにストレスがたまるでしょう。「見ない」に焦点を絞りながら「見る」ことをしたら、視野が変なことになりそうです。 大きなお金を手元に置きたいから、節約に励まれるのだと思います。それなら「使う」ことにフォーカスしましょう。お金は稼ぐより、使う方がずっと難しいのです。それが腑に落ちていないと「使わない」にフォーカスを置くというあやまちに足を突っ込むことになります。 どう使うと、心の底から湧き上がる喜びが、あなたに「あぁ、こういう使い方をしたかった!」と言わせるのか、しっかり考え抜いてみる機会を、今月中に持ってみましょう。その上で使っていくと、「使わない」にフォーカスしたときには見えなかった浪費が、ボロボロ出てきて、唖然とされる方も多いだろうと思います。 他律していて、躾ではなく罰を受けてきた育った環境にいた大人達に、その根本の責任を返せるでしょう。

鍵は三つめの価値観。

おはようございます。吉野実岐子です。 引越しや転職の際は、どんな価値観を満たし続けたいかを、最低でも3つはクリアにしておきましょう。 なぜなら「家で過ごす時間+会社で過ごす時間+移動時間=一日」の方がほとんどだからです。必ず帰る場所である家と必ず行く場所である会社ですから、そこにいることで満たし続けられる価値観があるわけです。 例えば、自由/安心/洗練を求める人がすむところに、自由/安全/洗練を求める人が住むことは、まずないでしょう。コミュニティの絆の強さに安心を感じられても、天災の多さに安全は感じられないからです。天災の多いところは、大抵コミュニティの絆が強いでしょう。安全なところに住んでいるから、安心できるかというと、安全と安心は地続きではありません。また、安心だから安全という方程式は、そもそも成立しません。 ですから、ひとつひとつの価値観を丁寧に洗い出すことが、重要です。その上で、三つめの価値観がもっとも重要です。なぜなら、大体この三つ目に、みなさんの欲がぎゅっと詰め込まれるからです。三つめの価値観をクリアにすることで、例えば洗練と虚栄心の違いをクリアにするといった、普段思考が止まっているところに、メスが入り、さらに深く自分を知ることができます。 パートナーがいる方は、三つめまでクリアにした上で、互いにシェアしていく必要があります。二人にとってのトップスリーと、自分にとっての価値観トップスリーは、また違うはずです。差異は暮らしの幅にもなりますから、違っていいのです。ただその違いをなかったことにはせず、二人できちんと見て、知っておくことが大切です。

なぜ、この人と結婚しちゃったの?(二)

Good morning! 吉野実岐子です。 昨日の続きです。子供の頃から欲しかった何を満たしてくれると踏んだ相手を選んだのかクリアにできたら、その後は、夫婦の間で改めてビジョンの共有をしていく必要があります。 ビジョンの共有というと「老後は毎週温泉に」「世界一周しよう」のような、非日常感溢れることばかり出てしまうなら、それも大事にしつつ、日常において「これはない」「これは嫌」というラインもはっきり出して、共有していきましょう。むしろ、こっちの方が重要です。 非日常←→日常の横軸と、これはぜひやりたい←→これはないの縦軸で、4つの領域それぞれに合意したものを書き込んでいくのも、一つの手です。また、やりたいことを一緒にやる必要はありませんが、その際「これはサポートする」のか「これはサポートもしないがどうぞご自由に」なのか「これはやらないでほしい」なのかといった態度も、クリアにしておくといいでしょう。 全部をまとめてやろうとせず、何回かに分けて、そのプロセスを楽しみながら行ってみて下さいね!20代の結婚は、たいてい相手ではなく、自分の描いたイメージを見ています。現実を知ることで、さらにリアルな自分をしって、実際に機能する絆を深めていけます。そうすると、安心して未来を眺められるようになっていけるでしょう。

埋めないから、面白い。

どこから来るのか、虻の季節に入りました…おはようございます。吉野実岐子です。 何年も会っていなかった肉親に会うと、お互いに気恥ずかしいような、うれしくも気詰まりするような感じになりやすいでしょう。 何回か会った後にまた関係が途切れてしまわないためには、連絡のつかなかった空白の時間を埋めようとしないことです。まして、会えなかった時間をなかったことにしようと目を瞑るのは論外です。 空白の時間をそうやって否定すると、会う前から罪悪感を持つようになるのです。せっかくの再会が、毎回罪悪感を育てる時間になるなら、会うことのハードルは高くなり、関係がまた途切れかねません。 空白の時間はそのまま尊重してください。過ぎ去った空白の時間をどうにかしようとは、思わないことです。埋めなければと焦っても、不可能なことは不可能です。 それより、その空白があるから、可能になる面白さをみていきましょう。空白があるからこそ、世間で共有されている”ザ・家族” にはない、面白い関係を築いていけます。 周りが「そんな幸せの形もあったのか〜」と、あなたの話を聞いて思わず緩んで楽になれちゃうような関係性を築いていけるでしょう。そして、そこに向かって、関係者みんなが自分達の創造性に自信を持っていき、充実した晩年を迎えることになるでしょう。

いい地球環境をのこしたい?

2週間以上の長雨対策が、まだできていません・・・。おはようございます。吉野実岐子です。 「いい地球環境をのこしたい」と願っては、すぐ自分のできること探しに走っていませんか? まずは「いい地球環境」について、ビジョンを思い切り描く必要があります。白熊の数が戻るなら、きっと数が戻る虫もいるでしょう。樹木回復のため、一時的に立ち入り禁止区域を設定する必要もあるでしょう。「もちろん、そうしよう!」と、諸手をあげていえますか? 例えば、紀伊半島などほとんどが人工林です。それなのに、大自然だと思い込んで、そのイメージに酔ったりはしていませんか? あなたの願う「いい地球環境」には、今すでに地球上に存在する何がないのでしょう?まずは3つあげて、それらが無くなるためのドミノ倒しとなる行動を、はじめてみませんか? さらに、あなたの願う「いい地球環境」には、今すでに地球上に存在しない何があるのでしょう?あなたのビジョンと現実を比較すれば、3つくらい簡単に見つかるでしょう。その3つが、地球上に存在するようになるために、あなたからはどんな働きかけをしますか? ほんとうに「いい地球環境」を願うなら、必ず清いという状態を感じて、経験からそれを理解する道に入っていくでしょう。 ほんとうに「いい地球環境」を願うなら、家系を含む身の回りの整理を徹底し、思い癖もどんどん処分して、過剰に人に求める(過干渉もそのひとつ)ことなど一切なくなって、願いがひきだしたあなたの勇気は、あなたを外へ外へと連れ出し、人前にあなたを立たせることでしょう。

【秋休みのお知らせ】

台風十二分にお気をつけくださいね。おはようございます。吉野実岐子です。 多忙でして、ブログ上では、少々秋休みをいただきます。 ハロウィンシーズンですが、20代にはハロウィンの仮装で賞をいただいたこともあります。もっともクレイジーな友人のおかげですが、自分の枠を超えるありがた〜い経験でした。 仮装される方は、ぜひ手作りして、創造性のど真ん中を表してみてくださいね!ハロウィンはいたずら文化ですから!いたずらは創造性を育みますから! みなさまが、豊かな時間の中で、安全に暮らされ、幸せに向かう明日を丁寧に描いていらっしゃることを、祈念いたします。

何と代えているの?

健康な樹木の内側には、わたしたち人間と同程度の水分が含まれていて、寄生虫も溺れ死ぬんだそうです。すごい!おはようございます。吉野実岐子です。 お金はあらゆるものの「代わり」です。「当たり前だよ」と思われるでしょうか?「ほら、この品物と交換したじゃない」「このサービスの代わりを、お金で表したんだよ」と仰るでしょうか? そうではないのです。そうではなく、お金にどんなビジョンの代わりをしてもらったのかを見て下さい。同じ花束を買っても「とりあえずこれを渡せば問題ないよね」とお金を払う人もいるでしょう。この場合、お金は無難の代わりだったのです。その花束に「ありがとう、幸せになってね」という思いを込めて、お金を払う人もいるでしょう。この場合は、お金は幸福の代わりだったのです。 ひとまず落ち着きたくてカフェに入ったなら、お金は安心の代わりをしています。喉がからからで倒れそうだったのに敢えて、効能の高いハーブティを頼んだなら、お金は健康の代わりをしていたでしょう。無難や安心の代わりにお金を払っているなら、つまりそれらがreplaceableなものだと判断して、お金を使っていることになります。安心じゃなくても、安心の代わりになる似た何かならいいし、無難じゃなくても、そんなような雰囲気で思えるならそれでいいと思っているということです。 そういう状態にある方で、自分をよく知り理解している方は、ひとりもいらっしゃらないことをお伝えしておきます。

切りっぱなしの手ぬぐいのように。

サンシャワー展(森美術館ほか)に行けてよかったです。おはようございます。吉野実岐子です。 田舎の面白さのひとつは、末端がみえることだと思います。例えば、東京など大都市で話題になったブランドには、いくつものメディアにのり、行列ができ、でも回転も早く「そういえばあったね、あれどうなったんだろう?悪くなかったよね」と思えるものがあります。 そうしたブランドが大都市では少ない店舗は着実に持ちながらも、あの勢いを失った先でどうなったかというと「こんな田舎では鳴り物入りでやってきている、しかも田舎でしか知られていないブランドとコラボしている」といった「あれどうなったんだろう?」の続きがみえるのが、面白いです。 田舎だとそんな話題の製品にとびつく若者もいないので、コラボ先もおばあちゃんおじいちゃん受けする渋いブランドだったり、だからこそ商品やサービス自体は平板になっていて「よくあるものになってるよ。それコラボする意味あるの?」とツッコミたくなりますが「おじいちゃんおばあちゃんにとっては、そのブランドしか知らない(認めない)」ので、コラボする意味があるんですよね。 そういう今までにない流通経路が見えてくると、都市で創られたいろんな仕組み(ブランドの裏にも仕組みあり)の先が、手拭いのように切りっぱなしになっていて、その切りっぱなしの先がどんなものに触れていくのかを見せてくれる様は、面白く感じます。「なんであんなに綿密につくったのに、浸透しないんだろう?」と、都市でシステム作りを頑張るみなさん、その答えは田舎にあります。 限界/適用領域の設定がしきれていないと、その先はせっかくはったネットを超えて、その先のフェンスに絡まる朝顔のように、思わぬ展開をしたりするし、その手を入れきれなかった0.1%が、結局つくったシステムを壊すというか、より大きなシステムに属していくという実は予定調和の道を辿らせるというか、その辺りをまざまざと見れるのは大変面白いです。

一周回って「違う星」。

杏ジャム、レモン汁不要で、砂糖と杏だけでつくれるんです。おはようございます。吉野実岐子です。 一時期はインターネットに頼った生活をしていました。だからこそ、名張に来ることもできました。 しかし今は、各種情報流出などで、ネットへの信頼が落ちたことはもとより、特にネットという仮想空間と現実空間に大きすぎるギャップが生まれてきたこともあり、この二つを「地続き」というより「違う星」のように、扱っています。 例えば、旅に出ようと思ったなら、一度事前にベストをシミュレーションします。その段階ではネット使いまくりです。その上で、現地ではそれを破棄したまっさらなところから、直感で行動します。仕事ではこれが常でしたが、プライベートでもそうし始めた自分には、驚きです。しかしこの方が、心身をまもれる上、出会うべきに出会えます。 ネットとリアルを「地続き」のようにみなしていたときは「リアル店舗にいく代わりに、ネットで買おう」や「ネットならうまく探せば、もっと安く早く手に入る」といった発想や行動をしていました。 うんとネットにお世話になった時期を経て、一周回って、足でかせぐことを大事にし始めた自分を面白く思っています。 ネットに頼ったのは、身体の辛さゆえで、本来のわたしは足で稼ぐ派だったことを思うと、ここまでの自分が愛おしいです。 しかし、一周回って「違う星」の感覚になるとは、どんなことにも真新しさがあるのだなと、幸せです。昨日の名張は、初蝉・初ひぐらしでした。今日は七夕ですね。

貴い仕事

北陸に、今年中にあともう一回は行きたいです。おはようございます。吉野実岐子です。 ジップロックをお財布代わりやアクセサリー入れにする方が、いらっしゃるんですね。ネックレスなどもつれず、使いやすいそうです。ジップロックが機能面でユニバーサル・デザインだったということでしょうか? 形を得たことで使ってみたら、自分の隠れたニーズに気づくこともあるでしょう。わたしはiPhoneを持ってから「メモとしての写真を、必要としていた」ことを自覚しました。 地図をパシャリとすれば、ガイドされながら方向がくるくる変わって、拡大している内に、余計に混乱が深まるようなことがなく、助かります。見づらいものもパシャリとうつして、拡大すれば実によく見えます。蝶々の羽のこまやかなつくりに、感動したりもできます。 スクリーンショットもよく使います。お気に入り登録するより、必要なところだけスクリーンショットにすれば、ネットのスピードに影響を受けず、まるで画像にアンダーラインをひいたかのように、必要なところだけ再閲覧できて、無駄がありません。 ジップロックのケースもそうでしょうが、iPhoneの場合も形なきアイデアから、形あるものになったことで、隠れたニーズや強めたい価値観を自覚できるのは、とても面白く感じます。目に見えない存在を正確に感じることも大事ですし、目に見えないアイデアを創りだすことも大事ですし、それらに形を与えることも大事です。どれもが、貴い仕事です。

ディープ奈良。

おはようございます。吉野実岐子です。 名張は三重の端に位置しているため、京都にいた時より奈良へのアクセスが良くなりました。万葉集にうたわれる香具山・畝傍山・耳成山が、身近です。どれも標高200mにも満たない山々です。富山の氷見市立博物館に行った際、展示に「耳成山が縄文期以前に噴火」とあったと記憶しています。名張に住んでいなかったら、見逃しただろう記述でした。「おぉっ、こんなマイナーな山の名がここに」と思ったら、ずい分昔にはむしろ藤原京があったエリアという落ちでした。 ざっくりした話をしますが、地図で奈良県をみると、山でないところが奈良盆地です。奈良盆地は、平安京への遷都以前は、人間社会にとっては中央とされてきた場所ですが、かつて奈良盆地自体が湖だった時代があるそうです。奈良への引っ越しを検討していた際、どこも海抜が低くて、ため池が多かったことに、合点がいきました。 この五月、耳成(みみなし)の辺りは、まほろばキッチンに伺うために、15分ほど歩きましたが、各駅しか止まらない駅なのに、駅から15分歩いても、細かい路地がびっしりあって、古い一軒屋が多々あり、どこに誰が住んでいるか、自治会によって一覧表示されていました。後日調べたら、香具山・畝傍山・耳成山と藤原京の跡は、歴史的風土特別保存地区に指定されていました。 昨年、奈良の吉野に数回行ったとき、お土産屋さんで見たことのない漢方薬が売られていました。それこそ、富山の薬売りが売っていた姿がイメージできる薬です。また、奈良のお寺では、しばしば漢方薬をふんだんに使った入浴剤が売られています。それがとてもよく効くことは、もっと前から知っていました。そしたら、奈良は漢方の材料となる薬草の産地であり、大和当帰など奈良産の生薬の栽培に、力をいれているようだということも、わかってきました。奈良県産の大豆(初めて聞く品種でした)を使ったお豆腐なども、ちょくちょく見かけるので、東京もんからしたら、ちょっとディープな奈良に触れられた気がして、うれしい昨今です。 京都は割と、同じものをネットでも見かけましたが、この辺りでは、同じものをネットではほぼ見かけず、足を使うことに意味があります。縄文期に戻ったかのような感覚で、面白い方へ足が向く感覚を喜んでいます。

とにかく回転させる。

おはようございます。吉野実岐子です。 毎月の大掃除が続くコツを聞かれたのですが(1)ハードルを低く設定し (2)とにかく回転させる ことです。 例えば、わたしが毎月の大掃除を始めた何年も前には、書類は毎月の大掃除からは、外れていました。本棚から抜きとって、本棚を拭いたら、そのまま戻していました。でも、とにかく毎月やっていたら、毎月気になりながら戻す書類を無視できなくなっていき、書類整理もいつの間にか、毎月やることにエントリーしました。 できる総時間も限られますから、今月はこのファイルの中身チェックは時間切れ、ということもあります。それはそれで、本棚は拭いたし、他の書類は整理したし、その月の大掃除は終わりでいいのです。 ひたすら毎月、大掃除を回転させていく方に重きを置いて、そのためにクリアするハードルを低くしてみてください。 毎月やっていると、必ず大掃除は小掃除になっていきます。そうすると、数ヶ月前に時間切れだった分にとりかかる時間は、自然と生まれます。 毎月がきついなら毎シーズンに、押入れから物を全部出すのはうんざりなら、まずは手をいれられる場所だけ掃除と、ハードルを下げてみましょう。 やるほどに小掃除になっていき、お部屋全体が軽くなって、家族みんなの眠りが深くなるでしょう。心身がどんどん軽やかになるでしょう。

愚痴はUターン。

カルトについて、わかりやすいページを見つけました。「関係ない」と思わず、今一読してみてくださいね。おはようございます。吉野実岐子です。 愚痴は自分を慰める行為だと、認識していますか?痛みという希望から、自分を遠ざけてしまうのです。慰めてしまうのは、思考停止で抑圧で、クリエィティブになれるチャンスを自分から奪っています。 愚痴はUターンです。前進しません。例えば、死なないように生きることもUターンですが、愚痴が多い人は、まさに死なないように生きています。 本当の自分の気持ちがあらわせないから、愚痴になります。つまり、自分の気持ちにアクセスできないことに、課題があります。 そして、そんなときは思いっきり環境のせいにしてしまう視点に、一週間くらい滞在するのも、手です。「字が下手なのはペンのせいだー」「物の置き場所がわるいから、喧嘩になるんだ!」といった感じです。 正々堂々と胸をはって “環境のせいだweek” を過ごし、極みと思われるベンを見つけて買い換えたり、物の位置をこれでもかと変えてみてください。徹底して環境のせいにし、変えられるところをとことん変えると、いつの間にかUターンラッシュから抜け、すいすい前進しているでしょう。そして、その環境を選んだのは自分だったと、はたと腑に落ちるでしょう。

絶妙な調和?

おはようございます。吉野実岐子です。 名張に住み始めてから、日常において「ちょっとこれだけ見にいって、選んでおきたい」ということが、かなり難しくなりました。ある程度買物の選択肢がある都市部に行くには、特急を使うことになります。電車の本数と行先の関係で、急行のみで移動しようとすると、異様に時間をとられ、終わるべきがちっとも終わりません。 ひとつひとつは大したことないけれど、どんどん片付けてしまいたいことを、思うままにすると、交通費と肉体疲労が、割に合いません。だから、どーんとまとまってから出かけるようになりました。結局、特急を使うなら、それが京都でも金沢でも東京でも一緒だという感覚になってきた昨今です。 洋服も、東京でいいと思ったり、あるいはわたしがシンプルに好きなものを買うと、名張では不調和で完全に不協和音になります。京都でも、若干ズレはありましたが、ここまで目立ってしまう感じではありませんでした。また、ぬかるむことが多く、虫が多いため、そうした事実も鑑みて買物することになります。 先日、中目黒でサンダルを見ていたとき、明らかに「そっちは名張では浮きまくるよ」という声が、わたしの中に生まれていました。果たして、わたしのあり方が調和し、肉体ももつ土地とはどこなのだろうと、考えました。 そして、多分そんな土地はないし、必要もないと思いました。でももしあったらステキだなと願う気持ちもあります。便利さと生きる実感はまるで違う軸だし、わたしが自然体でいること・自然体自体が刻々と変化していくことも、また別の軸だと捉えられます。 この間、郵便受けから英語の雑誌がでてきたとき(pdf版を年間購読しており、紙媒体が送られてくると思っていなかった)、取り出しながら、名張との余りの不調和具合にギョッとしたのです。ギョッとした自分にもびっくりです。ともあれ楽しみながら、変化しながら、絶妙な調和を生んでいく予定です。

生きるとは、工夫し切って生かすこと。

おはようございます。吉野実岐子です。 氷見市立博物館(富山県)に行った際、刈り取った稲が、籾と藁に分けられ、籾は玄米(白米+米ぬか)ともみ殻に、藁は藁と藁しべ(馬小屋の敷物・かつての藁布団・かつて畳の代用だったものの材料)と藁灰(石鹸や重層の代わりの他、肥料や火鉢保温材)に、それぞれ細かく分けられ、その先に用途があったことを知って、生きるってこういうことだなと、しみじみ思いました。 生きるって、どこまでも用途があって、また用途を生み出すための工夫を人間が怠らないことだと、思ったのです。上で言うと、白米はさらに、ご飯・お餅・酒造米・米菓材料になります。糠は糠床や糠袋(石鹸の代わり)になります。籾は、卵やりんごを運ぶ際のクッション材や枕の材料や、燃やした後肥料になっていくのです。 江戸期には、藁に至っては、綯う物・敷物・入れ物・履物・着物と、主に5種類の用途があったそうです。綯う物としては、左撚りにすればしめ縄・結界縄に、右に強く撚れば漁業用の堅縄に、右に強くはせず撚れば、物を縛る縄になります。敷物としては、むしろや畳床になります。入れ物としては、米俵などの俵などになり、履物としては草鞋・草履・長靴などになり、着物としては蓑などになったそうです。先人の創造性に圧倒されますが、まだまだその他の用途もあって、土壁の補強材に屋根の材料に、納豆床・燃料・外虫除けの火串などになったそうです。 考えるのを止めて、捨てる/買うに移行して、創造性を鈍らせるのではなく、改めて工夫し尽したいと、先人に頭が下がった時間でした。創造性をとことん生かし切ることこそ、自分と社会と地球をダメにしないことではないでしょうか?