「10階建てのビル」という規模感

おはようございます。吉野実岐子です。 3億6000年前の石炭紀、巨大化したシダ植物は、10階建てのビル以上の高さがあったそうです。今のサイズの人間たちが、そんな中を歩くのは、風が吹いた時など大変そうだなと思います。車で移動していても、風にあおられたシダの葉が車にベチベチ当たり、場合によって車がぺしゃんこになったりするのかもしれません。 恐竜が繁栄する基礎は、こうした巨大植物が作ったと言われますが、恐竜は10階建てのビルほどの大きさながら、ゴジラのようにのしのし移動するのではなく、人間より早く動いていたと推測されているようです。 そして、ウィルス(細菌類の1/10から1/100の大きさ)が細胞に入ることは、やはり人間が10階建て以上のビルの中に入る位の規模感があるそうです。 こんな風に考えると、ゴジラがいかに可愛らしいかを、思います(笑)。そして何より地球が続くのなら、地球にとってのウィルスとなった人類が消えた後、どんな世界が広がるのか、とても楽しみになります。巨大化し、あるいは勢力を持ったものは、必ず淘汰されます。

山うどの葉を飾る

おはようございます。吉野実岐子です。 今年は、山菜類がいつもより流通していなかった印象を持っています。輸送に問題があったと言うより、山菜自体が取れなくなってきているのかなと思いました。価格も例年より高めでした。 そんなこともあって、今月に入って再び山うどを見つけたときは、踊りだしたい位の気持ちになりました。そして、ずいぶん葉っぱか育っていたので、その柔らかい佇まいにうっとりして、今は家で生けています。つまり、山うどの葉が、わが家では飾られています。 商業的に生産されたのではない、つまり、山に入って取らせていただいたようなものは、その山を背負ってるのごとく尊厳をたたえた美しさがあります。この部分は、決して商業的に生産できません。つまり、一番大事なものが失われつつあるのです。

ウルメイワシにハッとする。

おはようございます。吉野実岐子です。 辺鄙なところに住んでいると、ちょっと買い物できる範囲が狭まっただけで、食卓に大きな影響がでます。そこで、日持ちするたんぱく質を探そうと、二月に丸干しされたウルメイワシを買ってみたんです。 三月に、お天気の上では五月のようになったり一月のようになったりして、もう訳がわからなくなりながら、やたらと強い紫外線のもと、急に思い出したように筍ご飯を炊いたり、うどの酢味噌あえを作ったりしてみました。そして、丸干ししたウルメイワシを炙ったものを添えたら、めちゃめちゃご飯がすすむんです。 ウルメイワシの硬さがこんなお天気の中で地に足をつけることを助けてくれる感じがしますし、サイズも小さく保管も楽で、蕗の薹など春の味覚と一緒に頂いて、ほっとする時間をもてました。カレーライスのような「みんな大好きお手軽料理」では得られない深い安心感を、ただ炙るだけでいただけるなんて、最高だと思いました。 半減期が12年強であるtritium入りの水をさらに薄めたものは誤解を招かないようtreated waterと呼ばれるそうで、ウルメイワシからしたらいずれにせよ死活問題ですし、それが口に入るすべての生き物にとっても死活問題です。世界でこれまでに随分な量が海洋放出されてきたそうで、そうした汚染問題は映画”Seaspiracy”でも触れられておらず、残念に思いました。 そんなことを思いながら、一生懸命努力して、やっとの思いで春を感じています。そして、バードウォッチングが趣味で鳥に詳しい人ですら「ツバメ?そういえば、一匹も見てないなぁ」と普通に話す、そんな壊れた人間たちが、壊れた地球に住んで、さらに地球を壊しています。

配合を変えただけ!

おはようございます。吉野実岐子です。 少し前に昨年つくった醤油を使い終わり、1年間途切れず使いたければ、4倍の量をつくらないといけなかったことが分かりました。ただ、手元に「ない」時期もとても貴重なんです。何事においても言えます。 そして、容器二つ分作ったヘアバームも、一つ使い終わったので、新たに作っておくことにしました。蜜蝋:シアバター:椿油の配合を変えてみたんです。椿油とシアバターを多めにし、蜜蝋をうんと減らして、緩いものにしてみました。緩すぎて固まりにくかったほどです。 そうしてみて、驚いたのは、配合をちょっと変えただけで「今までの配合のヘアバームではできなかったことが、可能になった」ことでした。これが商品を買う場合なら、材料には目が行っても、配合率は書かれていないし、配合率には意識が向かないだろうと思うんです。そうして、なるべくいいものが入っているものを選ぼうといった意識になって、行き止まりがくる感じではないでしょうか? でも、自分で作ると配合を変えることで、こんなにもできることが変わる、即ち現実が変わることに驚きました。同じことは、配合を変えられるすべてのことに言えるでしょう。料理にしろ、壁に塗るペンキにしろ、自分で配合を変えられるものは、材料はそのままに、配合を変えるだけで、新たに可能になることがたくさん手に入るのです。 シンプルだけど、これって素晴らしいことだな!と思いました。そして、もうすぐ発表するワークショップでは、実はこの「配合を変える」をやっていくんです。人生の配合を、日常の配合を変えていくことで、現実においてできることがぐんぐん増えていくんです。

きれいな魚はもういない

おはようございます。吉野実岐子です。 毎年寄付していますが、6年前からなるべく小さな規模の団体に寄付するようにしきました。大きな環境保護団体は、企業と何ら変わらない印象を持ったからです。 肉はほぼ食べない生活ですが、この数年は安全性以外の面からも、魚を買うことを躊躇うようになっていました。大規模漁業のきな臭さが、魚1匹からも匂ったからです。 そこで先月、ドキュメンタリー映画を観て知らなかった事実に圧倒されました。森林が失われる速度の約160倍にあたる、サッカーコート×4316の海底が(オーストラリア+タイ+トルコ+ほぼEUの面積に該当)、毎分漁業により破壊され、失われていました。 魚が水中を泳ぐその動きが、とんでもなく大きな温暖化のブレーキとなっていて、2048年には海が空になる現行の漁業を続ければ、地球は生命維持装置を失います。さらに、エボラ出血熱のパンデミックは、こうした魚の強奪が原因でもあるのです。 ちなみに、オメガ3脂肪酸は 藻類が作り魚は仲介役だそうです。となると、きれいでない魚はもう食べない、つまり寿司屋の前や鮮魚コーナーを、素通りもしなくていいんだなと思えてきます。人は、何のために地球にいるのでしょうか?

不快だから一体化する

おはようございます。吉野実岐子です。 「男なら肉(を食べなきゃ)」のような、自分の外から来たものに侵略されると、本来は不快なのです。肉を食べたくて、自然と食べているわけではなく、いわば宗教だからです。 でもそうすると、今度は「肉は身体に悪い」と言われれば「自分を否定された」ように感じるのです。不快だったものだからこそ、一体化してしまうんです。それは、受け入れて消化して調和した状態ではなくて、ひっついて癒着して互いに執着するような不調和の状態です。この不調和の状態に入ると、ものすごくこだわれるようになってしまいます。 肉を食べることが宗教ではなく、自然な欲求ならば、どんな言われ方をされようと「自分を否定された」ようには感じません。不快を感じていないものだからこそ、癒着して一体化したりしないからです。どうやって解したらいいかわからない魚の網のような絡まり方はせず、するっと解ける調和した関係なら「自分を否定された」感覚は、生まれえないのです。 上記「肉」だけの話をしていないことは、伝わっているでしょうか?ご自身が執着するもの・好きだと思っているもの・必要だと思っているものに置き換えて、読み直してみて下さいね。

ゴミのでないシャンプー

おはようございます。吉野実岐子です。 使っていたシャンプーボトルが空になったので「ボトルを捨てる」「詰め替える」「ゴミが出る」といったストレスから解放されることにしました。 もちろん、固形石鹸を使えばどちらも叶います。でも、やはり固形石鹸だと、髪がゴワゴワしてしまうのです。指通りもどんどん悪くなっていくし、洗いづらいのです。これまで種類を変えて試しましたが、結果は同じでした。 そこで、流行のシャンプー・バーに替えてみることにしました。溶けやすい特徴があるようです。自分で石鹸に穴を開け、つるせる紐を付けるか、あるいは、包丁で薄めに切って、少しずつ浴室に置くようにする手もあるでしょう。わたしは後者にして使っていますが、泡立ちも泡切れも、石鹸とは全然違いました!液体シャンプーより泡立ちがよく、時短になります。しかも、今までになくわたしの髪に合っていたという、うれしいおまけ付きでした。 今回は、間に合いませんでしたが、シャンプーも自分で作れるのかもしれませんね。そうしたら、切れたとしても、ただ作ればいいだけです。ワンクリックする必要も、荷物を受け取る時間を調整する必要もないなら、一番ストレスがありません。 後で、時間を作って調べてみようと思います。バーの形なら、作れそうな気がしませんか? 地球に負荷が少ない方向に進めば、自分が楽できますから、ありがたいことです。

家は消耗品

おはようございます。吉野実岐子です。 自転車や車などの消耗品については、都市部を中心にシェアリングが広がっています。家については、まだまだ駆け出しの段階でしょう。未だに、家は消耗品ではなく資産だという感覚が強いのでしょう。 一般に高額とされる買い物には「一生ものです」「三世代に渡ってお使いいただいています」といった言葉がつきまといます。これが暗に「資産ですよ。消耗品じゃないですよ。価値は下がるどころか上がるかもしれません」というニュアンスを添えてきます。あなたが10歳でそれを買うなら、人生80年だとしてあと70年使えますが、あなたが50歳でそれを買うなら、使用可能期限は30年です。 少なくとも経済という文脈においては、どんな物も買い手がつかなければ、その価値は0円あるいは負債に過ぎません。空き家を取り壊すにも、お金がかかります。空き家を取り壊したとして、空き地に生えた雑草を定期的にかるといった労働もついてきます。「それはリセールできるのか?」という観点から見ると、物語に囚われ消耗品を資産だと勘違いしてしまう罠から、抜けやすくなるかもしれません。 どんなにエシカルな消費であっても、土にもかえらずリセールできないものは、ゴミになることを前提にお金と向き合うと、お金があなたを助けてくれる機会が増えてくるでしょう。

生来持っている大きな風景

こんな洗剤があったなんて!おはようございます、吉野実岐子です。 「うまくやろう」と意識が働くと、余計なところに力が入ってしまいます。そうすると、普段はしていなかった動きがうまれ、怪我をしやすくなったり、目の前の道具などをねじ伏せようとしてしまいます。そうすると、そこに調和が失われ、自分らしい走りや自分らしい演奏や自分らしい書体が消え、味気ないものとなるだけでなく、例えばそれが演奏なら音は割れます。 せっかくその人が生来持っている大きな景色があるのに、「うまくやろう」としたことで、それがそんな風にあらわれなくなってしまうのは、惜しい以上のことです。 そして、何をしても、何かより大きなものの一部にできる力というのもあります。演奏で言ったら「立ち上がりたくない」「いつまでも聞いていたい」という感想につながりやすい感覚です。 でもそれを表すには、謙虚さが必要です。それは、大人から見たら昨日と同じ風景の中で、目をキラキラさせて無邪気に遊び続けるような、そんないのちを惜しむような感覚ともいえます。昨日と同じ風景だと舐め切り、ここにいる楽に浸る姿勢とは、真逆なんです。

ついに会えたオオバン!

こちらで今私が住む地域で、会えるはずの水鳥について、書きました。そして、季節が変わり、ついにその中の「オオバン」に会えたのです。 買い物帰り「あれ?ずいぶん小さい鴨みたいな水鳥がいる。やたらと小回りがきき、動きがいい。よく水の中に潜るなぁ~」と驚いて、とりあえず写真を撮っておいたんです。 そして拡大してみると、くちばしや額が白く、羽などは真っ黒だったので、迷うことなく「オオバン」だとわかってすっきりと嬉しかったです! 鳴き声を調べたら、とても馴染みがある声でした。「あちこちにいたんだなぁ、私が認識しなかっただけで」とまた嬉しくなりました。 激しい気象異常で、鳥も飛び方から変わってきました。梅の花なども、ずいぶん小さくなりました。この変化に、生き延びようと皆対応しています。そして、人間だけが、加害者でもあるのです。

「それ、欲しかった」をさくっと見つけるコツ

おはようございます。吉野実岐子です。 「動線を整え、空間を増やす」という、仕組み部分のテコ入れ後は、単なるすげ替えを行っていきました。いわば、機械の部品だけ取り換えるような感じです。 まず「頭は球体なのに、ピン止めが直線であるから、後れ毛も落ちるし、痛くなるのでは?」と思っていたら、こんなピンがありました。上記二点とも、解決してくれました。夜まで一度も、ピンをさしなおさなくていいのが、最高です。 そして、仕事道具の一つであるヘッドセットが、頭のカーブに合わないため、耳がだんだん痛くなるのです。しかし、いちいちコロナ感染者数が爆発している中、ヘッドセットを多数取り揃えた都市部まで行き、延々ヘッドセットの試着をするのは、非現実的です。そこで、耳当て部分だけ分厚くし、耳の痛みがましになるようにしました。 さらに、スケジュール帳の右端を切って目印にしているのですが、そこにフィルム付箋のようなものがあると、よりページを見つけやすくなると思っていました。そこで、まさにフィルム付箋を買いました。 他にも色々やりましたが、仕事しながら不快に感じていた三点に絞って、ご紹介しました。「具体的にこういうところが嫌→そうなる理由の仮説→こういう商品があるかも/こういうシーン用に作られたものがあれば代替できるかも」と発想すると、さくっと見つかります。

まだおいしくなれる幅

おはようございます。吉野実岐子です。 醤油もろみ自体も商品として売られていますが、醤油をつくれば、醤油もろみも手に入ってしまいました。醤油を作る際、もろみは優しく絞るのが理想だそうですが、醤油の方をたくさん取りたかったので、わたしはぎゅうぎゅうに絞ったんです。 ぎゅうぎゅうに絞ったもろみは、いわば色のついたおからです。一見すると、味噌にも見えました。大体、魚の切り身2つが入る程度のタッパー×2つ分、手元に残ってくれました。 まずは、少量のお酒で解いて魚に塗っておいたり、野菜炒めなどに入れたりといった、いわば塩麹や醤油麹のように使ってみました。また、大根やセロリを漬けてみたりもしました。 さらには、隠し味として、カレーや味噌汁に入れてみましたが、想像以上に味噌汁がおいしさを増してくれて「まだおいしくなれる幅」に、感動しました。多分、シチューやおでんも、おいしくなれる幅を見せてくれるんじゃないかと思っています。 多分、クリームチーズに少量混ぜたり、お汁粉ごく少量いれても、おいしいだろうと思っています。柿チーズトーストなどにも、合いそうです。 醤油麹や塩麹も、手軽で十分おいしいのですが、フルーティな香り高いもろみを知ってしまうと「もろみを使い切るまでは、醤油麹や塩麹づくりはお休みにしよう」と思っちゃいます。 いろんな調味料を買い、台所で実験することではいけない新しい冒険に、手作りは連れて行ってくれるような気がしています。

苦痛に思う状態

おはようございます。吉野実岐子です。 うまく言葉に表せない苦痛を感じる状態があると、こういう方になびいてしまうのかもしれません。 ただ、それはご自身が「この何とも言えない苦痛は、何か間違っているからだ」と、否定から始めていることにも拠ります。実際、間違っているからではなく、行動や反応の選択肢が限られた結果、苦痛に思う状態がうまれていったのです。 だから、ご自身にとって必要な選択肢の幅を増やしていこうとすることが、深い心にも配慮した、統合への道です。 そして、必要な選択肢の幅を増やす一つの方法は「意識的な基準・価値観によって、合わないと感じる自分の一部を排除したことが、不安やストレスになっていると後に何となく知る」ことを、決して意識的には成し遂げないことです。

ガードの固さ

A4をA5サイズで、A3はA4サイズで持ち歩けるフォルダーを重宝しています。おはようございます。吉野実岐子です。 あなたのガードが固いと「もっと心開きなよ」「気楽にやればいいんだよ」なんて、まるで悪い状態にあるかのように、周りから言われるかもしれません。あんまりそういうことが続くと「自分は変わらないといけないんだ」と意識的になって、自分で自分をこじあけるようなセミナーなどに、深い心では望みもしないのに流れついたりすることも、あるのかもしれません。 そうして「感情を発散できたら、確かにスッキリした」「心が開けると確かに周りと関わるのが自分でも楽だ」といった経験が、意識への思い入れをより強めてしまい、そうとは意識できずに、みなさんの深い心はどこかへ追いやられていくのかもしれません。そうして、自己否定から始まる「ありのまま」を目指していくとき、それは常に変化を目指すみなさんの深い心とは、違うところへ、そのまなざしを置き始めます。 やがて、精神病性障害や自殺や原因不明の症状という実を結んでしまうことだって、その先にはよくあるのです。だから、みなさんの深い心は、確かにあの時、抵抗してくれただろうと思います。というのは、ガードの固さ自体も、またリソースだからです。その人が経験してきた範囲においては、それはベストチョイスだったのです。 そこに、意識的に何かする動きが加わると、実際ガードはますます固くならざるを得ません。そして、ガードが固くなるほどに、より強烈な外圧が加わっていく流れに、意識的に心身を置いているのです。そうしたら、自我が分裂したり、回復不能と呼んでもいい領域にまで及ぶ混乱がうまれてしまうのは、当然でした。 変化に赴くことを避けようとする深い心は、また常に変化を目指しています。別のやり方を探しているだけなのです。いかなる外圧があろうと、深い心は疎外されるべき存在ではないでしょう。まずはその深い心に、十分な配慮を手向けてみてはいかがでしょうか? そして、それこそが統合への道です。そして、そのことに配慮できないセミナー開催者自身、自己分裂し、深い混乱にあるのは、言うまでもありません。

深い心を知る余裕

したいのにできないことがあるとき、あなただけは、自分の能力や性質だと思うものを責めることから、すっと離れてみませんか?意識でそれを望んでいても、そこに逆らう深い心の語りかけがあるのです。(それに、意識はほぼ古細菌です) 一呼吸おいて、その深い心の語りかけを確かめてみる余裕を、持ってみませんか?その深い心は、本当にあなたをつまづかせようとして、意識に逆らうのでしょうか?あなたの深い心は、あなたの邪魔をたくらんでいるなんてことが、本当にありうるのでしょうか? 意識で捉えられないだけで、実は、その深い心が、結局のところ何かとても重要なことをなそうとしているかもしれないと、思いを巡らせてみると、どうでしょうか? 深い心を敵とみなす「~したい」という意識の方が、浅はかだったなんてことが、実によくあるのかもしれません。

古細菌

私たちの体の一部である皮膚や粘膜は、古細菌・真菌・ウィルス・細菌などの宿主となっています。 食べ物・洗濯の頻度・お風呂に入る回数や入り方等・寝具の洗濯の頻度等で、その分布は常に変わり続けています。ざっくり言うと、その分布が変わることで、私たちの免疫異常だって生まれています。 みなさんが、どんな古細菌・真菌・ウィルス・細菌などとどんな風に一緒に暮らしているかは、どんな疾患にかかるかと関連があります。 腸にかぎっていっても、抗生剤を過剰にとったり、農薬や添加物を摂取すれば、古細菌という強アルカリや超高温などの劣悪な環境でも生き延びられるものが、腸内で繁殖します。いわば、初期の地球の状態が腸内で再現されているようなものです。当然、善玉菌はやられてしまっています。 何でもバクバク食べて、体内環境がおかしくなったりしている人は、いわばお腹の中が恐竜誕生前の地球の状態に近いと表せます。 ここから、話はぶっ飛びますが、この古細菌はわたしたちが意識だと思っているものも、生み出します。さらに、論理が飛躍してるのを承知でざっくりとした傾向として話すなら、観察可能な事実として「意識的な人(無意識と意識のバランスが崩れている故にそうなる)ほど、体内環境は崩れている」傾向があります。 生活をととのえるという古細菌が減る働きかけをして頂くと、意識と無意識のバランスはよくなり、意識と無意識は統合され、気づくと肌荒れや体臭や妙な思い込みがぐんと減ることを、多々目の当たりにしています。

この年末年始こそ、やりたいこと。

「睡眠時間を削るのがやる気」のような変な根性論に、すぐ逃げ込んで工夫をさぼっていませんか?眠らないでいると、人間の精神活動は必ず乱れます。 ノンレム睡眠・レム睡眠の両方を耳にしたことがあると思いますが、「ノンレム睡眠は深い眠りだからよくて、レム睡眠は浅い眠りであんまりよくない」といった変な解釈をしてはいないでしょうか?どちらも必要だから、わたしたちに備わっているのです。 まず、ノンレム睡眠は筋肉の緊張が少しずつ緩みながらも、その緊張がある程度残る状態です。脳波で見ると、脳の活動が次第にゆっくりとしていくさまがわかります。 そして、レム睡眠は、筋肉はほぼ完全に弛みますが、眼球を動かす筋肉だけは動きます。脳波で見ると、昼間の目覚めた状態と近く、夢を見て脳内のお片付けをします。そして、このときの筋肉がほぼ弛んだ状態が、空を飛ぶ夢/どんどん落ちていく感覚の夢/金縛りにあって声が出ない状態、となることが分かっています。そこから「なぜだか眠るのが怖くて、眠いんだけど眠りたくない」という葛藤を抱えることがあります。そして、レム睡眠中に目覚ましが鳴ったりすると、目覚めに不快感が残りやすいと言われています。また、脳内のお片付けができているという意味でのいい夢とは、昼間の論理的な発想からは考えられないような飛躍を含む夢だと言われています。 また「明るい夢の方がいい」という決めつけが危険であることも伝えておきます。特に精神病性障害からの回復期、夢は明るく、起きてみたら現実が暗いとなって、その落差が自殺へつながるという指摘もあります。 睡眠時間は、多くの方が圧倒的に不足しています。そして、子供の時は大事にしていた目覚め心地を蹴っ飛ばして「でもまぁ、6時間(→寝不足です)寝たからいいんじゃない?」のように、自分を丸め込んでしまいます。が、心地よく目覚める「あーよく寝た!」と思わず伸びをしてしまう感覚が週に何度もあるのが、健康的な状態です。ぜひ、①睡眠時間をうんと伸ばし ②上記の知識で「あぁ金縛りが嫌だと思ってたけど、レム睡眠特有の状態をわたしはちゃんと捉えていたんだ。だから、大丈夫なんだ」と認識を改め ③目覚め心地をよくする ことを、この年末年始に集中的にやってみてください。

まんべんなく身体を使う

「いい」とされる運動を選び抜いて、身体を動かしていませんか?子供が遊ぶように、斜面で農作業をするように、まんべんなく身体を使おうとする方が、身体はゆるみやすくなります。例えば、スマホに夢中な生活では、自然とまんべんなく身体を使う展開は望めないでしょう。 まんべんなく身体をつかえれば、自然とリンパや血液の流れは改善されます。それによって、排泄機能が高まってかゆみなどの症状が減ったり、美肌にかわることは、大いにあります。滞りを改善しないで、サプリメントを飲んだりしても、肝臓の負担も増すため、逆効果になることがあります。 まんべんなく身体を使えていないと、例えば硬くなった肋骨が下がって、呼吸器の負担が増します。そうすると、こばわりを弛めようと自然と咳が出たりします。 特別なサプリメントなどを探すよりも、まずは「まんべんなく身体を使う」という子供やスーパー元気なおじいちゃんおばあちゃんがしていることを、生活に取り入れてみませんか?

情より理が先

先にあるものを尊重しない友達感覚は、後にあるものを不安にさせ不自由にさせます。例えば、親が子と同等であるように振舞うことが、該当します。また、会社の先輩が会社の後輩に、毅然とした態度で自分たちが先だとあれないことなども、該当します。 先にあることを優越感と捉えることも、後にあるものを不安にさせ不自由にさせます。虐待やパワハラはその一例と呼べるでしょう。 秩序は人を縛るものではありません。そこに秩序がきちんとあるとき、わたしたちはみな自由で満たされた感覚を得ていきます。皆さんが酔っ払ったように、先にあるものを尊重しない友達感覚を生き、先にあることを優越感と捉えることが、後に続くものを不安に不自由にさせていることを自覚できると、現実は変化し始めるでしょう。 情より理が先に来るのです。

緊張の裏にある愛

”危険だから「来ちゃだめ」と伝えただけ。それまでご機嫌だった相手は、それを聞いてびくっと震える。”そんなことが、これまでの人生の皆さんの経験の中に、あるだろうと思います。(どちらの立場であれ) これは、お互いに傷つけるつもりはなく、相手を守ろうとしたり、自分に正直な行動をとっただけです。でもこんなふうに身構えていることが増えると、その筋肉の動きのパターンが、刻まれます。 私たちは身構える時、そうすることでダメージを小さくできているつもりです。でも上に記したように、エネルギーの流れが阻害されます。そしてその結果、このエネルギーが阻害された姿勢を保つために、つまり自分のエネルギーを阻害するために、寝たり食べたりすることで得られるエネルギーが浪費されます。この姿勢が繰り返されていく時、身体の動きには緊張が伴うようになります。 天ぷらを揚げていたから、小さい子に危険だから「来ちゃだめ」と伝えただけだったとしても、お母さんに庭のお花をあげようとルンルンだった相手は、それを聞いてびくっと震えます。それは、そこにあった愛(と一般には表現されるもの)というエネルギーが遮られて、完了していないからだと表すこともできます。 みなさんが「来ちゃダメ」と言われた側だったとしたら、思い出せることは、ネガティブと呼ばれる感情や緊張のような不快とカテゴライズされる感覚だけかもしれません。でも、当時の自分の願いにフォーカスすれば、自分にも愛があったし、怖い顔で鋭い調子で「来ちゃダメ」といった相手にも愛があって、相思相愛だったことがわかるだろうと思います。 そうしていくと、身体から余計な緊張がとれていく(=エネルギーを阻害するパターンが消える)だけでなく、あの時自分にも相手にも深い愛があった(という表現が一般には可能であろう)ことが腑に落ちて、人生にスムーズさが戻ってくるでしょう。

フレキシブルに対応してもらえないのはなぜ?

「自分だけ、フレキシブルに対応してもらえない」「あの人には先生はいいよっていったのに、自分にはダメだといった…えこひいきだ」と思うような経験がおありでしょうか? えこひいきのケースもありますが、まず検討したいのは、あなた自身のバウンダリーの健全さです。バウンダリーが不健全である場合、フレキシブルな対応をされると、ここぞとばかり相手に寄りかかったり相手に侵入したりします。だから、不快になった相手は、あなたに対し柔軟な対応はしなくなります。親切をしてお礼を言われるならまだしも、恩をあだで返されたのでは、あなたからは手を引こうと相手が判断するのも、当たり前です。 バウンダリーが不健全な方は非常に多く、雑にいうなら無自覚でも、周りから不安定に見えている人は全員該当します。その意味で、プロフェッショナルの少ない昨今でもあります。

幸せなパートナーシップはどこにいったの~

「Zoomがうまく使えない…、やっぱり自分はダメだ」「もう一度髪を染めなおしてほしいと美容院に言いたいけれど、気を悪くされて次から行きづらくなると嫌だな…」そんな風にして、出口のない怒りが蓄積されると、脳内の身体感覚を感じる部位が過活動になってしまうことがあります。身体感覚を感じる部位に血流が集中してしまうと、頭痛や腰痛や首や肩の痛みとして表れるんです。(「転換性障害」なんです) また、怒れば孫悟空のあの輪の部分に該当する箇所にやっぱり血流が集中するから、脳内の他の場所の活動は低下します。そうすると、やる気と関連の深い箇所の活動レベルが低下するから「やる気が出ません…」「怠いです」「時間が足りません」といった状態が生まれます。血流が改善すれば、脳内の他の場所の活動が通常レベルに戻れるので、やる気が復活したり、体力がUPしたように動けたりします。その結果「あれ?時間が足りる!」となったりします。 表現されていない怒りがたまると、記憶を扱う海馬に影響が及び、記憶が飛ぶような感じになります。また、扁桃体に影響が及べば、自分を大事にしてくれる人を攻撃して大事な関係を壊してしまったりして、「幸せなパートナーシップはどこにいったの~」となっていったりします。 「記憶力が悪い」と思うなら、湯船に最低15分は浸かることはもちろん、全身の血流を良くしましょう。

外的変化を内的変容に。

コロナが第3波に入っている今、求められる人材は、とにかく外的変化を内的変容に変換できる人材です。 過緊張でアドレナリンばりばりだと、それは成立しませんし、外的変化を待つ自分のない状態でも、それは成立しません。 脳の一部が過活動でも、恨みや憎しみを少しでも抱えた状態でも、やはりそれは叶わないことなのです。レジリエンスを高めようとする視点すら、全体はみておらず、そうはならずに終点を迎えます。 自分を含むいのちの営みをありのままに認められる状態にあるときだけ、それは可能になります。

あやまらないのはなぜ?

ASD傾向が強いほど、謝らないことを覚えておくと、日々の「あの人なに!ムカツク!」を減らせるかもしれません。ASD傾向が強いほど「謝るなんて、非効率だ」と考えるんです。そして、傾向が低くなるほど「理解はできないけれど、謝ることは必要なスキルだ」という考えになり、傾向がなくなると自然と謝ることができる態度が、当たり前になります。 「自分が悪いのかな?」と考えがちな人は、「あの人があやまらなかったのは、実は…」と、壮大な妄想を始めることもあります。それはそれで、また不健康なことです。あやまること自体が、その人の世界から欠落している場合もあることを頭に入れておくことは、相手を生かしやすくなることでもあり、自分もより生かされていく道です。何よりストレスを減らせます。 「自分が悪いのかな?」と考えがちな人は、実は人はみんな違うことが腑に落ちていないからこそ、自分の捉えた世界の常識に人をあてはめて、妄想していたりもします。ただ違うだけなんだということが、どしっと腑に落ちると、日々のストレスはさぁっと引いていくでしょう。

自分の基礎代謝、知ってる?

眼科で「もともとの目の状態からして、もう少ししたら矯正視力を少しだけ下げれば、老眼にならなくて済むよ。車の運転しないなら、それでいけるよ」と言われました。車が必須の地域で、車なしの生活をしているから、わたしは必然的に基礎代謝が上がったんです。 基礎代謝が下がれば、太りやすくなるのはもちろんのこと、夏がきつい場合にも基礎代謝を調べ、甲状腺の検査をした方が良かったりします。ちなみに、病院に行くと緊張する人が多いので、甲状腺の検査の値が狂ってしまうことが多いことが分かっています。だから、いくつかの病院で検査したり、自分が安心を感じるところで検査するようにすると、正しい現状を把握できて、明るい未来を構築しやすくなります。 基礎代謝は「基礎代謝×計算」で検索すれば、いくつものサイトがヒットします。計算方法によって、多少提案される数値に幅があるため、複数のサイトで数値を表示した方が、参考になるでしょう。そして、体重計の多くに、あなたの実際の基礎代謝を表示してくれる機能がついています。ちなみに、基礎代謝UP=運動すればいい、と思いましたか? 多くの方が、視覚に偏って情報処理をしているので、目に見えるきれいさでOKとするという、触覚や嗅覚や内臓感覚を無視した形で、きれい/汚いの判断をしては、間違えます。そうすると、目に見えないところで汚染が進んだ空間で、積極的に運動してしまって、難治性の病気の遺伝子のスイッチをONにするような、ややこしい厄介な未来を生んでしまいます。動植物がどんどん消えゆくこの地球で、どれだけきれいな空間など存在し得るのでしょうか? 改めて、AならばBのような、全体を捉えない発想から抜けて、何かを犠牲にした健康・何かを犠牲にした幸福・一時的な成功とは、縁を切っていきたいなら、プロの手を素直に借りるのが一番ストレスレスで安上がりでしょう。

葉は良くなり、根や幹が悪くなる

今日から、二十四節気では「霜降」にはいります。ここから「立冬」までの間に吹く寒い北風を「木枯らし」と呼ぶそうです。 先日、漢方薬局で「その説明わかりやすい!」と思ったのは「人を木に例えるなら、睡眠と休息・食事・運動が、根っこをしっかりさせて幹を太くする。漢方は、葉っぱが枯れ始めたりしたら使うもの。漢方で葉っぱは元気になっても、睡眠と休息・食事・運動がちゃんとしていないと、またすぐ葉っぱが枯れたり、木がぐらぐらしてしまう」でした。 さらには、本来なら血圧を正常化させる生薬なども、睡眠と休息・食事・運動を改善しないまま「これがいいらしい!」と飛びついて飲み始めると、逆に「高血圧の人には危険」と見える状態に入ることもあるそうです。つまり、根や幹に働きかけず「まだ未病の状態だから」と、葉にばかり働きかけると、逆に根や幹が力を失ってしまうという、逆効果にもなってしまうんです。 実は、よかれと思って、自分の根や幹が力を失ってしまうことをしている方は、コーチングでもよく見かけるんです。

できないことが魅力になる。

明日は全国的に、11月の天候から9月の天候へとうつるようで、夏日の予想の地域も多くありますね。みなさん、ご自愛ください。 さて、できることは強みに、できないことは魅力になっていきます。また、ある時点からは、できることは嫌味になります。 今まで頑張ってきた方、すなわち意識のボリュームがうんと上がっていた方は、できることを増やそうとしたあまり、それが嫌味の領域に入っていて、かつ魅力が表現されていないことに、なかなか気づけないようです。 ここからは、できないことが魅力の表現を助けてくれることに、喜んで降参していきましょう。そうすると、人生の自由度が上がっていきます。自分の感覚と合う人と出会いやすくなったり、優しさをいただきやすくなります。

プロとアマの違い

「話を聞く」というと、誰にでもできると思われるんです。では「話を聞く」プロとアマの違いがどこにあるかというと、そこに含まれる情報量の差です。プロは同じことを聞いても、アマとは比較にならない量の情報を、受け取ります。 自己愛が強すぎると、返された言葉という外見だけに囚われて、その中身の違いを受け取れず「話を聞く」プロの間を転々としてしまうかもしれません。何気なく返された言葉の中に詰め込まれた大事な物たちをどさっと見逃すだけでなく、それらがみずみずしく存在していることに、気づく気配すら持てないかもしれません。 自分たちの耳の中に閉じ込めたものを「話」だと思って、プロの前に行き、自己愛が強いから「あなたは自然の中に音楽を聴けなくなった音楽家のようだ」と言われても、それを否定しては自己愛を強めるということを繰り返していると、なかなか厄介な人生が展開することになります。 別の視点から言うなら、そういうことを続ける限り、チャンスを見逃し続けて、不自由なままになることになります。そういうことを続けていると、全面降伏か全面対決となってしまい、解決を目指せないからです。

人生の味気ない時期

今年は、ハリッサという調味料を愛用しています。チュジニア(アフリカ)のもので、ガーリック・レッドチリ・クミン・キャラウェイ・コリアンダーが入っています。 そして、調べてみたら、チュニジアはスパイス大国(?)なのです。こうしたスパイスをいくつももつ国は、フランスなどいくつかの国に限られているようで、その中の一つがチュニジアでした。 他に、クァラートダッカ(クローブ・ブラクペッパー・シナモン・ナツメグ・パラダイス)やタビル(コリアンダー・キャラウェイ・クミン・ガーリック・レッドチリ)やバラト(シナモン・バラのつぼみ・ブラックペッパー)などがあるそうです。 ちなみに、こうしたスパイスを入れても、味はつかないことにみなさんお気づきでしたでしょうか?子供の頃、カレー粉をそのままなめても、カレーの味はしなくて、紙でも舐めたようでした。 でも、熱を加えたり(炒める・温度の高いところに置いておく)、太陽の力を借りる(そもそもスパイスが生まれる過程で「干す」作業が含まれる)ことをしていくと、なんとも香しくおいしいと感じる味が生まれてくるから、不思議なものです。 頭がかたいと「味がしないから、味をつけよう」と、一辺倒に考えてしまいます。でも、全体性を生きていると、そのままだと味のしないスパイスが、全体に何とも言えない香しさや美味しさを与えてくれることを知っていて「人生の味気ない時期」がいかに自分の自由を生むかを理解できるから、大切にできます。

雲海

わが家の辺りは、よく雲海が出ます。さらに、ベランダまで霧に埋もれて、窓を開けようとして家が浮いている感覚にギョッとしたこともあります。電車に乗っていても、ホームが完全に霧に埋もれていたことがあって、雲海や霧は、日常のものです。 そんな日常に雲海(や霧)が存在している身からすると、東京のお高いホテルで雲海サービスがはじまっている(庭に霧を発生させて、送風するらしい)ことは、ひどく滑稽に思えるのです。きれいだと思う気持ちは、ある程度わかります。(あるところからは、怖くなりますよ!) しかし、日常に雲海があるということはそれだけ湿度が高く、そういう環境に合う生き物が一緒についてくるということで、そこには皆さんの嫌いな生き物も当然含まれます。でも、そうしたものを省いて、美しいと思えるところだけを切り取って持ち込もうとする姿勢が、あまりにも全体性をいきていない不自然な姿であるゆえ、滑稽に見えるのです。 朝10時頃まで、すぐ下の道も見えないほど霧が濃い日もあって、雲海もとんでもなく低いところにあったりすると、もうどっちがどっちかわかりません。だって、どちらも、水分です。。。でもこの感覚は、東京のホテルで雲海もどきを眺める人には、生じえないでしょう。部分しか切り取ってないからです。 こうした部分を切り取って持ち運ぶ姿勢は、昔からありました。非常によくあることです。しかし、だからこそいい加減、その不自然さに心身をひらけない私たちは、本当にどうかしてしまっています。