「ついにできたかも!続いている!」「変われた!これだったのか」と思っても、また何だか崩れてくるのも、結局、不快に酔う脳のままだからです。
不快を究極的に一言でまとめるなら、それはもう他人の感覚になります。自分の感覚を生きず、他人の感覚を生きているとき、わたしたちは不快になります。
「あの人は最近こういうものに夢中だから、次の誕生日はこれをあげると喜ぶかな?」そんな良さそうに見える思考は、自分と相手は違うから、実は不可能へのチャレンジです。その不可能へのチャレンジを乗り越えるために、他人の感覚を生き始め「きっとこれが好きだ」という解をみつけて、誕生日には「何でこれが欲しいってわかったの?すごーい!贈り物上手だね」と言われて気をよくして、どんどん他人の感覚を生きるようになったりします。
どうしても止められないもの・ことがあるなら「他人の感覚を生きている時間が、自分の人生を占めてしまっていた」と、まずは受け取ってみませんか?
初出:2019年3月29日