誇りがあるから、限度を超えない。

新年が始まり、1ヶ月半ほど経ちましたが、元旦にもう一度戻って、リセットしましょうか?

たった数年やったら「オリジナル・メソッド」と銘打つなど、「自分が!自分が!」の世の中です。しかし例えば、有名な神社仏閣を見ても、棟梁の名前は書いてありません。自然がなくなったら人間がなくなるという「限度(恥)」を知っていたからでしょう。

かつて、宮大工は木を買わず山を買ったそうです。そうして、環境による地質の癖を見抜き、峠や中腹の木は構造材、谷の木は造作剤に生かしたそうです。木は生育の方位のまま使い、寸法ではなく木の癖で組むことで、揃えるという無理を強いず、左に捻じれを戻そうとする木と、右に捻じれを戻そうとする木を組み合わせることで、建物全体の歪みを防いだそうです。

「恥(限度)」を知っているからこそ、こんな判断もします。

「わたしは、法隆寺の最後の棟梁でっさかい、その誇り守って民家はつくらんようにしよう思ってます。それで自分の家もほかの人に作ってもろたんでっせ。」

西岡 常一さん
映画『鬼に訊け』のパンフレットより

「限度(恥)」を知るから、そこに誇りが宿り、NOも出てきます。

初出:2015年10月2日