「昔はこうだったんだ」「こんなにすごかったんだ」は、その人が渇きの中にいるが故の発言です。それまでにした素晴らしいことや築いた財産や得た知識や豊富な経験が、ある時点からすごいものでなくなります。「よくわからない話ばかりして」「いつも自慢なんだから」と、その人自身が疎外される理由になります。
人生のステージが変わったことに気づかないと、いつの間にか一体感から外れます。渇きから、余分なものは手放せず、生前贈与で揉めたり「子供も孫も信じない」と展開もします。ところが、そんな中にも一見共通点を見出すのが難しい人との出会いで、人が変わることがあります。
例えば「けん玉でその技できるの?すげー!」と、見知らぬ子供に言われ、一体感を感じられ、余分なものを持っていた自分に気づき、どんどん手放します。一時期嫌だと思った自分の子供や孫に「あいつ、すごいな!」と思う瞬間が生まれます。周りが驚くほど身辺整理をきれいに始めて、その姿をみた子供や孫が「おじいちゃん、すごいなぁ。そういえば、〇〇成し遂げた人だった。ちゃんと見えていなかったな」と思い始めます。すると、関係者全員がどんどん健康になって、おじいちゃんも血圧が安定してきて、最後は老衰でみんなに看取られる展開が生まれます。
わたしたちは、「手放す」し「持たない」と、あらゆる人に尊敬の念を抱けます。一方、それが家族を含む人間関係であれ「手放せない」で「持つ」なら、その持つすべてが尊厳を妨げ、その人を渇きの中に留めます。共感で渇きは癒えません。
初出:2019年2月23日