看取りについて感情的になるなら、いのちを持ち物としてみているでしょう。わたしたちは常に、大きないのちに属しています。大きないのちの一部だからこそ、その大きないのちが、看取られるその人も看取る自分も、支えてきたのです。この感覚を生きていると、死への恐れは少ないでしょう。
そして、その点から「こんなに小さいのに、亡くなってかわいそう」「そんなに長いことお達者で、大往生ですね」といった会話をみれば、前者が何かを余分に失っていることもなければ、後者が何かを余分に得てもいないと気づくでしょう。
看取る人は看取られる人より、ただちょっとだけ長く生きます。どの道、看取る人も、看取られる人が行った場所にいくのです。「どうぞ先に行かれてください。わたしたちもそこに行きます」という姿勢が、目の前にたまたま開かれている生の状態を、肯定する姿勢です。一青窈さんの「ハナミズキ」という曲には、そうした正しい鎮魂の様子が、描かれています。
“僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃうどうぞ 行きなさい
お先に 行きなさい”
初出:2017年2月21日