奈良県内で、北京終町というバス停名に「北京?」と驚きましたが、北+京終(きょうばて)だったり、ネーミングは微妙な「空気ケーキ」という店で、甘党でないわたしが、二つ目も注文してしまった程、おいしいケーキが出されていたりします。
奈良は一覧できるような形で、情報がまとまっていません。例えば、全国の美術館や画廊の情報が掲載されているサイトに、奈良の美術館や画廊は少ししか情報を載せていないので、外から眺めると、美術館が少ない県なかと思う感じです。街中に地図はいっぱいあ理、パンフレットも各種ありますが、観光にがつがつしている地域には必ずある「こちらへどうぞ」の誘導がないのです。そこが奈良らしくていいと、私は思っています。
一覧できるような形で、情報がまとまっていないのは、わざとではありません。小麦粉を水に溶かしたら、だまが残ったような形で、情報は集まっています。例えば、本屋がまち歩きなど、多数のイベントを計画していて、他のNPOなどとも数多く連携していますが、その情報はその本屋に行って初めてわかります。一時的に滞在したい人が、ぱぱっと検索して効率よく回ろうなどと「利用してやる」という意識満々で奈良を見ると、きっと大仏さんと広い道があるだけのような、スカスカ感があるのだろうと思います。
京都はもっと明確に画策していて「おこしやす」と、どんどん誘導します。だからいつまで経っても、外部の人間は、内部の人間の手の内に留まります。コントロールが強いので、それが各種デザインによくあらわれています。奈良と京都は、フランスとドイツのように、まるで違います。浅くしか見えていないと思っている中に含まれる、深みへの入り口をきちんと残しておきたいので、今見えていることを書いて残しておくことにしました。
初出:2019年1月3日