奥でミシンを踏む洋服屋さん

これは、使ったら楽しそうです。

先日、佇まいが素敵な洋服屋さんに白い猫がいるのがみえて、服は不要でしたが、猫に惹かれて入りました。

性格の良い猫で、でも店員さんが尻尾を触ったら、機嫌を損ねて奥へ入っていきました。だから私も奥に目が向きました。そしたら、奥には洋服を作るスペースがあって、ミシンが何台もあり、まさにミシンを踏んでいる方もいらっしゃいました。

お店だって、本来は作る場所と売る場所が地続きであるのが自然だと、はっとしました。大都市に長く住んだので、切り離された一部分だけを見る生活を長く続けました。

洋服はどこかで、かなり多くの場合海外で作られ空輸され、その出来上がった姿だけを見て、どんな風に裁っているかやどんなデザイン画なのかをみることもなく、むしろそれは許されない感じでした。まるで誰かの指先にだけ触れるようにして、その誰かが誰なのかもわからないまま、洋服を買っていました。デザイナーを知ることができても、それは雑誌などのメディアを通してで、やはり切り離された状態ででした。

奥にミシンがあって、ちらっとデザイン画が見えて、そのことに自分でも驚くほど安心しました。本来あるべき姿に近ければ近いほど、人は安心できるんだと思いました。

「顔が見えると安心する」という疑いから入る態度とは、全然違うのです。もし家で洋服を作っていたら、作りかけの洋服を何度も見ることになって当たり前です。そういう自然な姿がそこにはありました。

途切れていないから、痛みがないのです。途切れていないから、隠されたりしないのです。そもそも隠されるべきものがないのです。

「プロセスをオープンにしましょう」という眠い日に目をこじ開けるような無理は、そこにありませんでした。店舗のあり方は、どうしたら安心を生めるかを、形を伴って見せてくれました。

形が与えられた安心を、わたしの苦手な洋服という分野で見せていただけたことと、奈良という器に、感謝でいっぱいです。

初出:2019年2月18日