苦しみを「品位あるもの」に回復させる。

スッキリしない時代に、こういう笑顔を見ると、スカッとするかもしれません。

雪が空からざぶんざぶんと降っていた午後、Aldo Ciccoliniさんの本を読み終えました。久しぶりに立て続けに「わたしその言葉を探していたの!ありがとう」という思いが、ぼこぼこ湧き続けながら、読み終えることのできた本でした。

戦争経験者であり、三年もの間ピアノから離れざるを得なかった彼から紡がれる「苦しみ(戦争に代表される)は人間を低め、その尊厳を失わせる。あまりにもわずかな尊厳しか残っていないとき、人は生きること、物を見ることを容認できない。しかし、音楽は苦しみを品位あるものに回復させ、わたしたちの代わりに苦しみを取り除いてくれる。音楽とは、神の存在しない教会(参考:Aldo Ciccoliniさんは戦争を経て、無神論者になった)のための祈りである」(抜粋&要約)という言葉に、ハッとしました。

苦しみを品位あるものに回復させ、取り除いてくれる音楽だからこそ「弾きながら、喜びを感じるように学び続ける。それが清潔な演奏をするということ」(抜粋&要約)を、Aldo Ciccoliniさんは体現し続けたのです。さらに「音楽に注ぐ眼差し自体が、ひっきりなしにわたしを超えさせようと、疲れを知らぬ探求に追いやり、毎日の人間を豊かにし、気品と尊厳を持って、人生の様々な試練を乗り越えさせる」(抜粋&要約)という、こんなにもピアノが必要で、そのことに頭を垂れ続ける謙虚な人生を送り、きちんと完了されたのです。

あらゆる芸術は、特に経済の文脈で「意味がない」と言われたり、オプション扱いされます。しかし、あらゆる芸術すべてが、本質的に「苦しみを品位あるものに回復させ、わたしたちの代わりに苦しみを取り除き、そうやって毎日の人間に気品と尊厳を育み続けてくれる」ものではないでしょうか?わたしもまた、あらゆる芸術が、人間に気品を取り戻させ、尊厳を育み続けてくれるものだと、信じています。一言に集約するなら、芸術はわたしたちの心を可愛くし続け、清潔な仕事を残せるようにしてくれるのです。

初出:2018年2月13日