生来持っている大きな風景

コーヒーフレーバーの納豆なんて、あるんですね!

「うまくやろう」と意識が働くと、余計なところに力が入ります。そうすると、普段はしていなかった動きがうまれ、怪我をしたり、目の前の道具などをねじ伏せようとします。そうすると、そこに調和が失われ、自分らしい走りや自分らしい演奏や自分らしい書体が消え、味気ないものとなり、それが演奏なら音は割れます。

せっかくその人が生来持っている大きな景色があるのに「うまくやろう」としたことで、それがそうはあらわれなくなってしまうのは、惜しい以上のことです。

そして、何をしても、何かより大きなものの一部にできる力というのもあります。演奏で言ったら「立ち上がりたくない」「いつまでも聞いていたい」という感想につながる感覚です。

でもそれを表すには、謙虚さが必要です。大人から見たら昨日と同じ風景の中で、目をキラキラさせて無邪気に遊び続けるような、そんないのちを惜しむ感覚ともいえます。昨日と同じ風景だと舐め切り、ここにいる楽に浸る姿勢とは、真逆です。

初出:2021年2月5日