止まらない悲鳴=自慢

護国寺にこんな物件があったなんて。

「あの頃は毎朝6時から仕事した」「家族を安心させるために家を買って、片道2時間通勤で夕食もまともに食べないで、毎日がんばったんだ」

こんな発言は、嫌われやすいかもしれません。でも、できたらもう少しだけ深く聞いてあげてください。そんな風に自慢するのは、その人が今でも「もう無理だよ」と悲鳴を上げ続けているからです。

わたしたちは、自分が消化できたことはあまり人に話しません。でも、未消化のことは何度でも話します。自分でも自覚のない悲鳴をうけとってもらえないと、話を盛ってでも、話し続けます。「またあの話!」と聞く側がうんざりするような話の裏には、途切れない絶叫があります。

ほんとうに自分の等身大のことをして、消化できていたら、繰り返し語られません。誇張も入りながら、自分を慰める裏には、文字通り命を削った日々があります。「今日会社で、社長直々に○○と言われたけど、こんなこと言ってもらったのは、社内で俺/わたしだけみたい」と、パートナーが話し始めたら、その道のりにその人が「自分のレベル以上のことを自分に強いた。そのときひとりぼっちだった。孤独だった」ゆえの、悲鳴があるという視点から、耳を傾けてみませんか?

初出:2019年3月18日