意図をもたないから、より大きな助けが来る。

確かにこれ、めっちゃ疲れます。

人生において、初めは的に向かい真剣に何かをする練習は必要です。だから、目標や夢を持って、そこに向かいながら何かを得ようとする意図も持ってみることは有用です。物質なら、これでほとんど手に入るでしょう。

しかし、それが当たり前にできるようになった人生の次のステージにおいては、はじめのステージで学んだことと、「破」&「離」の関係になります。そして「何を得よう?そのために、何をすべきか知っている」というひとつ前のステージで身につけた態度は捨て、どんな意図も持たずに待てばより大きな助けが来ることを、経験していきます。

本当に何を得ることができるか、わたしたちは決して知ることはできません。この本当のところに、自分を解き放てることこそ、謙虚さだからです。そうすると、手のひらサイズをこえた、手を大きく広げてやっと受け止められるギリギリのサイズのものが、来るようになります。繰り返しますが「もっともらえるから」と、手を広げるのではありません。まして「あれがほしい」と狙うなら、初めのステージに逆戻りです。

狙って得られるものは、ごくわずかです。「本当に何を得られるかは、知ることができない」という場所に、自分を解き放つときに、大きな力強いものがやってきます。ここには、失敗や絶望が初めのステージと全く違って見える深い喜びと安堵が息づいています。

初出:2019年10月22日