顔色を伺う生活は、勘を鋭くした?

少し前に、水道水の水質基準が変わったんですよね。


小さい時から自分の居場所がなく、家庭内や学校で顔色をうかがう生活をしてくると「自分は勘が鋭い」と認識することがあります。ちょっとした表情の変化に「この人はわたし/僕を利用しようとしている」アンテナが立つと信じているからです。

しかし、実際は「自分が何かしたから、今、口角が動いたのかも」のように、ビクビクする方に解釈しています。「自分がこうしたから、相手は笑顔になった」という嬉しい方へは捉えません。

この場合、相手の表情は読み取れていません。みんなの感情表現を読み取れないから、場の雰囲気を壊します。が、そもそも「自分が相手を不快にした」と解釈した上で、その結果が生まれたため、自分の中では「ほら、やっぱり」と解釈が続きます。その結果「ほら、自分は相手の感情表現に敏感だ。表情をちゃんと読める。勘が鋭い」と、決定づけられるようです。

相手の表情から、感情を読み取るには、眼窩前頭皮質が機能不全でない必要があります。眼窩前頭皮質は、価値の見積もりとその選択に関連します。だから、眼窩前頭皮質が機能不全だと、価値の低い方を選んでしまうのですが、本人の意識としては「価値を見極め、よりよい選択をした」という認識になってしまいます。

簡単に言いかえると、いい方を選んだつもりが悪い方を選んでしまうものの、いい方を選んだと信じ込み続けます。一方で、現実は悪い方を選んだなりに展開するので、いい方を選んだという認識との間に、ずれが生じます。そうしたら、当然、不安が湧きます。

つまり、眼窩前頭皮質が正常に働き、またこの体積が大きいほど、不安は減りますし、ストレス耐性が高い状態になります。そして、ここは回復が見込める箇所なんです。

初出:2021年3月7日