ガードの固さというリソース

一時期、おしゃれなビニール傘が流行ったと思いますが、これくらいリーズナブルなら、手が伸びそうですね!

ガードが固いと「もっと心開いたら?」「気楽にやればいい」と、まるであなたが悪い状態にあるかのように、周りから言われるかもしれません。そういうことが続くと「自分は変わらないといけないんだ」と意識的になって、自分で自分をこじあけるようなセミナーなどに、無意識では望みもしないのに流れつくことも、あるかもしれません。

そうして「感情を発散できたら、確かにスッキリした」「心が開くと、確かに周りと関わるのが自分でも楽」といった経験が、意識への思い入れをより強めてしまい、そうとは意識できずに、みなさんの無意識はどこかへ追いやられていくのかもしれません。

そうして、自己否定から始まる「ありのまま」を目指していくとき、それは常に変化を目指すみなさんの無意識とは、違うところへ、そのまなざしを置き始めます。

やがて、精神病性障害や自殺や原因不明の症状という実を結んでしまうことも、その先にはよくあります。だから、みなさんの無意識は、確かにあの時、抵抗してくれただろうと思います。というのは、ガードの固さ自体も、またリソースだからです。その人が経験してきた範囲においては、それは最善の策でした。

そこに、意識的に何かする動きが加わると、ガードはますます固くならざるを得ません。ガードが固くなるほど、より強烈な外圧が加わっていく流れに、意識的に心身を置いているのです。そうしたら、自我が分裂したり、回復不能と呼べる領域まで及ぶ混乱がうまれてしまうのは、当然です。

変化に赴くことを避けようとする無意識は、また常に変化を目指しています。別のやり方を探しているだけです。いかなる外圧があろうと、無意識は疎外されるべき存在ではないでしょう。まずは無意識に、十分な配慮を手向けてみてはいかがでしょうか?

そして、それこそが統合への道です。そして、そのことに配慮できないセミナー開催者自身、自己分裂し、深い混乱にあるのは、言うまでもありません。

初出:2021年1月21日