イヌワシの減少要因に、以下も含まれるそうです。
- 生息環境の悪化
- ダムや高圧送電線の鉄塔、大規模林道などの奥山開発
- スキー場を始めとする大型リゾート開発
- 無作為な拡大造林の推進
- 生息地近くのスキー場の騒音
- 資源調査や観光目的、それに山岳救助ヘリによる騒音
- 狩場環境の減少
- 落葉しない単一樹種による人工林の増加
- 薪炭林や茅葺き用の茅場の減少
- 登山など主稜線部での人間活動の増加
少し前から、自分の根をたどるようなこととして、その流れで『武士の娘』や『風雲児たち』を読んだりしていました。昔の人の暮らしには、今よりずっと仏教や神道が根づいており、明治期の日本人ですら、外国人に思えるほど、発想や感じ方に違いがあることを、興味深く思っていました。
今年に入り、人生初、祝詞を目にする機会があったのです。 今、おうちで祝詞を唱える人は、少ないでしょう。まじまじとみてみたら、火を鎮める祝詞、家内安全の祝詞、雨乞いの祝詞など、生活に身近に感じられる祝詞が、半分以上も含まれていました。(中にはおどろおどろしく感じられた祝詞も、ありました)
わたしは、神様とは、南緯60度、東経135度のような、あるエネルギーポイントをさす位置名だと、思っています。実際、少し祝詞を唱えてみると、自分の周りの空間と自分の身体という空間の関係性をあらわす数式が、変わる感じがしました。神様が凧だとするなら、祝詞を唱えると、凧揚げしているような感覚にもなります。
日本語の一字一句もおもしろく、地球を「おほつち」と読んだり、善を「うるは(しく)」と読んだり、忠を「まめ」と読むのです。平安時代の日本人が、現代の日本人をみたら、身体の大きさや寿命の違いもあいまって、異星人にみえるでしょう。わたしたちの進んできた方向が、退化ではなく進化であるといいと思います。
数百年という短期間でみれば、奴隷制の廃止など、改善されたこともあります。ただ、平安時代くらいまで、スパンを伸ばして見てみると、どうでしょう?平安時代の人が、今の地球に忽然と現れたら、空気や水の汚れに驚くだろうと思います。神様というエネルギーポイントから見たら、平安時代の人より、現代の人の方が、神様という位置から遠のいているのではないかと、思うんです。
初出:2014年3月16日