「わからない」で、自分を広げてあげよう。

10年以上経って知れたことに、うれしくなつかしい気持ちになりました。

「不合格だった。人生終わった…」「練習してきたことは全部出せたから、成功です!コーチにも、今日は褒められました」こんな会話を耳にしたことはあるでしょう。みなさん自身の口から、同じ構造をはらむ言葉がでたこともあるでしょう。

上記すべて、主観です。例えば、大学不合格で浪人したら、浪人生活で生涯の伴侶に出会うこともあります。不合格になった大学で翌年不祥事が起きて、その大学名を出すと就職で不利になるようなこともあります。練習してきたことを全部だせても、お客さんに「なんか見ていてつらい試合で、もうあんまり応援したくないな」と印象付ることもあります。引退後に「点数は高かったけど、あの試合は杓子定規でつまらなかったよね」と言われ、自分の人としての器の小ささに気づくこともあるでしょう。

客観的だと、自分についても「わからない」にステイできます。「わかるようにならないと!」と主観で自分を制限せず、「わからない」という客観で自分をポーンと広げてあげることができるのです。

「わからない」から「それを叶えるやり方は、どこまでもある」と、自分に言ってあげられるようになっちゃうのです。そうすると、心疾患をはじめとする、怒りと縁の深い病とも、疎遠になっていくでしょう。

初出:2019年3月24日