自分が不快に酔う脳を持つと気付いたとき「そうやって、自分をまもってきたんですよね?」と、自己憐憫をセットで欲する方もいます。実際をそのまま受け取らないのは、なぜでしょう?
それは、無自覚に自分を責めているからです。「不快に酔っていたなんて、ダメじゃないか!」という罵倒が、内で始まるから、その声を鎮火する必要が生まれます。
自分を責めるのは、常にジャッジをやめられないからです。いいか悪いか、どちらかに分類しないと気が済まず、そのままにはしておけなくて、即座にどちらかのレッテルを貼ります。そうして、内をざわざわさせます。つまり、雑念を大量生産します。
ジャッジの裏には理想があり、自分をいつも理想に当てはめようとしています。つまり、自己否定が昼夜問わず続いています。
この状態で、レジリエンスが高まるわけはなく、脆弱さが増し、怒りと恐怖も大きくなります。いつも否定されて、責められていたら、当たり前ですよね?自分の尊厳をまもる動きの、真逆です。だから、自分の尊厳をまもりたい方は、上記の真逆をやればいいでしょう。そして何よりも、尊厳を奪われる、あるいは自ら放棄すると、わたしたちは前には進めなくなります。
初出:2019年4月9日