ほんとうの友人か、見極めよう。

プラスチックは、油で割れることがあるそうです。


友達や仲間と呼ぶ人たちとの関係が、なれ合いや傷のなめあいで終わる、つまり、ある時点から互いに足をひっぱりあい、成長を止める関係になっていることが、よくあります。

友達や仲間がいるなら、あなたの中に揺るがぬ自信が生まれていくはずです。だから、今もし友達や仲間と呼ぶ人がいるのに、変わらずあなたに自信がないのなら、パッケージだけ友達や仲間で、中身は違うのです。

友達や仲間なら対等なので「自分より下のはずの人が、こんなにすごいのは、おかしい、ずるい」という嫉妬が、そもそも互いに生まれないのです。そうやって、足を引っ張りあいません。

なれ合いや傷のなめあいにはまってしまうのは、中身が子供のままである苦しさを抱えているからです。なんだか落ち着かないのです。「自分なんかが友達で仲間でいいのかなぁ」「本当にみんな自分を友達や仲間だと思っているのかなぁ」と、いつも揺らいでいるかもしれません。

だとすると、新しいところに出向き、新しい知り合いができても、同じ繰り返しです。居場所のなさ/さびしさなどが自分の中に漂うまま、なんだか関係もぐちゃぐちゃしていき、執着と好きの違いもあいまいなままです。

その人が友達や仲間であるならば、あなたの中の子供は必ず成長し、あなたの外見に追いつきます。そして「この途方もないさびしさをどうしよう?」「友達や仲間の維持に疲れてしまって、居場所があるのに居場所がない」という思いを持っていたことすら、不思議になるでしょう。精神的に成長し、こうした苦しみに時間を奪われず、自分の時間を自由に使えるから、同じことをしていても時間に追われる感覚が消えていく、それが友達や仲間がいるという状態です。

初出:2019年5月14日