清さとお守り。

このお正月は、けん玉にハマりました。子供の頃より、上手になっていました。

清さは、わたしたちを確かに守ってくれます。しかしそれは、外出着のまま布団に入るような「そのままの自分のままでいていいよ」では、ありません。北極星をみながら航路を正すように、清さを感じて道を修正できるという意味で、守ってくれるのです。

清さは概念ではなく、実際に身体で感じられるものです。例えば、何か清いものを身につけると、身体のズレが少なくて済みます。身体がズレていくのは、けがれた空間の中、究極的には心臓をまもるためですが、ズレた状態が長く続いて戻らなくなると、それはそれで身体に負担です。ですから、清さを感じることで身体のズレが小さくなることは、あなたが守られているといえます。

清さは必ず、みなさんを「生きる方」へ導きます。途中で苦しくなり立ち止まってしまう「死ぬ方」には、導かないのです。その意味でも、清さはわたしたちを守ってくれていると言えるでしょう。ただそれは、何かスーパーヒーローが身を呈してあなたを守ってくれるようなそれとは違い、もっと自律的で自発的な、責任のあるものです。「お守り」とは、本来そうしたものでした。

この点から「人事を尽くし天命を待つ」や、人事を尽くして神社へ祈願する意味をみると、今までとはちょっと違ったものがみえてくるでしょう。「青天の霹靂」に感じられたら、あなたはここに書かれたことを理解しています。その上で、清さを尊重する態度を形にした状態での、いい神社へのお参りはオススメできます。

本当に清さを感じたら、その対象に「守られたい」ではなく、その対象を「守ろう」という態度が、どうしても出てこざるを得なくなることも、添えておきます。

初出:2016年11月30日