神様と子供

先月、柿6個で実験的に作った柿酢が、飴色になってきました。今年初めての試みだから、来年の火入れが楽しみです。

精神的に脆弱な(fragile)人は、いつも自分中心で自己主張から入ります。

例えば、「こぼさないようにお皿を手前に置くのよ」と言えばいいだけの場面で、精神的に脆弱な人は「お母さんがいつも言ってるでしょう?なんでそんな風にこぼすの」と「私はちゃんとやっている」という正当化から入るのです。

例えば、「ウェストゆるくない?」と確認すればいいだけの状況で、精神的に脆弱な人は「お母さん昨日の夜、ウェスト詰めておいたから。履きやすくなったでしょう?」と、承認欲求丸出しです。さらにそれをわざわざ、大きめの声で言ったりして「私はちゃんとやっている」と主張します。

精神的に脆弱だと、自分がまもるべき相手から「褒められたい」「認められたい」と願い、それが叶うと広げた風呂敷のようにベターッとなり、思考が止まります。

私たち人間がまもるべき存在は、大きくいって、1) 神様と名付けられたずば抜けて清い存在 2) 成長途中であるため未熟さを当たり前とする子供、です。神様と子供は、まもられるべき存在なのです。

まもるべき存在に、大人のあなたが「癒された」と感じたり「あれもこれも叶えてください」と伝えるのが、いかにお門違いか、ご理解いただけましたか?

初出:2018年9月7日