ドラマ『日本沈没』

おはようございます。吉野実岐子です。ドラマ「日本沈没」を見ていますが、賛否両論がありつつも、やっぱりCGで形の変わった日本を見せてもらえるのは、ありがたく感じます。

日本全体でなくとも、部分的であったとしても、沈没して、そこが自分の日常の一部であったなら、わたしたちは非常に深く考えます。311を東京で経験したわたしが、うっかり京都のヨガスタジオで泣きそうになったのは、阪神淡路大震災を経験した神戸出身の方が受付をされていた時のことでした。

当時、そうした経験のない物見遊山の(主に)海外の方からの、ああだこうだ言ってくるメールやらスカイプやらフェイスブックには、だいぶすり減らされる感じがありました。それは、程度の差こそあっても、国内での被災の度合いや方法の違いにより、多々存在していました。外から見て、似た状況に見えても、当人たちにとっては全く違う経験だから、みんな孤独みたいな感じが、墨のついた筆を水に浸したときのように、ふわーっと漂っていました。

色んな気持ちの行き違いが「些細」に見えるレベルで発生して、それがひどく深く積もってしまって、それらはほとんどがプレス加工されたようになってしまっていて、でもそこにちゃんとあるんです。

関東の一部が沈没していても、それを物理的に高いところから見た人たちが、色々言っている姿は、ドラマだからこそ見せてもらえるものでもあります。また、共感や実感はそもそもなかなか持てないものであるという人間の実態を消化する助けにもなるんじゃないかと思います。

そう、日本が沈没したりしたら、その面積如何に関わらず、さらにそれが日本かどうかに拠らず、海だって汚れるわけです。プラスチックを始めとする「消えない」もの達が、色んな苦しみの原因となっていきます。そう、苦しみの裏には「そこがその居場所ではない」のに「消えない」ものがあるようなんです。