おはようございます。吉野実岐子です。
「信念を貫き、やり遂げた」や「信念を持って進め」のように、信念は何かいいもののように伝えられることが多いようです。
さて、あなたは信念が本当にいいものなのか、考えたことは、ありますか?あるいは「いい」の中身を考えたことがありますか?おしゃれなカバンのように「いい」のでしょうか?それとも生存に必要な水のように「いい」のでしょうか?
信念は、いわば自分の中のルールで、執着でもあるでしょう。例えば、超苦手なTOEICの点数を上げたいのに「何事も基礎が大切だ」と言う信念に基づいて、中学から教科書を全て独学でやり直し、TOEICの過去問は何回か解いて「やっぱりできない」と落ち込むだけだったとしたら、どうでしょうか?
信念はこんなふうに、皆さんの戦略を誤らせ、それに気づかないよう、皆さんの目を曇らせる役目もします。そう、信念は単なる期待のパターンでもあります。
数年前からでしょうか?信念を何かいいもののように捉え、それを貫こうとしコミニケーション中の相手の顔は見ないことを「粛々とやっていく」と表現する大人が、永田町界隈に増え、今それは地方にも飛び火しているようです。
期待することを止められず、期待の中身を変えられない幼稚さと頑固さを、正当化して進様は、果たして何か良いものなど含んでいるのでしょうか?この数年のこの国を振り返り、本当にそう思えますか?