煩悩が過去を引きずらせる

室内の蚊にもききました!おはようございます。吉野実岐子です。

京都や奈良はかつて、日本の中心だった時代を持つわけですが、それは今でも引きずられていて、自分たちが中心だった時代に起きた事件やそこに関連して発掘されたものは、他のエリアにおいてより、高く評価されているように見えます。人の意識もそうで、京都は住んだことがありますが、その時代錯誤感は、ねずみのテーマパークに住んでいるかのような感覚を、私にもたらしていました。

フランスも、ヨーロッパで中心だった時期を長く持ちます。英語教育は、小学校から始まっても、あまり熱心でないことで知られてきました。外交上、今の英語の位置にフランス語が来ていた時代もあります。だからやはり、京都や奈良と同じように、かつて中心だった感覚を引きずっているようです。

伊勢(三重)なども、一生に一度はお伊勢参りと多くが思っていた時代があるわけで、その特殊さは人の感覚として今も引きずられている印象があります。簡易化してしまうと、中心という意識です。多くの方にとって、神社に行くことは参道のお店で買い物をすることでもあり、祭りやテーマパークにつながる感覚が得られることでもあるでしょう。

そして、こうしたテーマパーク感のある場所は、必ず観光で儲けていて(フランスは観光の国)、しかもプライドが高いのです。さて、そこでみなさん自身の内部を、今度は旅して頂きたいのですが、みなさんが高いプライドを持つ分野・年代・記憶はなんでしょう?そこには、あなたが中心だったという感覚が潜んでいて、だからこそ今まで引きずってきていませんか?