現状維持への悲鳴

おはようございます。吉野実岐子です。この記事の続きです。

それでもまだ鬱々とするなら、今度は「自分」と呼ばれる領域に注目して見ませんか?「中学までクラスでトップの成績だったのだから、高校でもトップに入らないと」や「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた。新卒でこの会社に入っても、注目されていかないと自分らしくない」のように、過去を引きずる癖はありませんか?

おそらく、楽しく学んでいたら、たまたま「中学までクラスでトップの成績だった」だけなら「高校でも」と意気込まないのです。「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた」ことで、ますます自分にできることの限界と人と協力していける喜びが経験されていたなら、初めから重荷を背負う上記のような発想は生まれないでしょう。

実は、「中学までクラスでトップの成績だった」中に、そして「大学時代にこんな活動をして、多方面からインタビューを受けたり、テレビにも少し出て、あんな人とも知り合えた」中に、実際には嫌なのに我慢した未解決のことがあって、だから上述したようなこだわりが出てきます。嫌な思いをしていなければ、上述したような不自然さで、現状維持に勤しんだりしないのです。

そう、だから勤続○年や結婚して◯十年は、とても危ないのです。そうやって、工夫を重ねて現状維持に勤しみつつ、鬱々とする時があるなら、それは現状維持に対する悲鳴だからです。