捨て時がわからないのは、安全じゃないから。

新玉ねぎの時期はだいぶ過ぎましたが、やっと玉ねぎドレッシング作りに手が伸びて、ホッとしています。おはようございます。吉野実岐子です。

紫玉ねぎを使うと、苦手な方もそのみずみずしいおいしさにだけ触れられるみたいです。わたしは、ネギ類やニンニクが苦手なため、紫玉ねぎを手に入れやすい今の環境はちょっとすてきだなと感じてきました。

どうやら、こういう新陳代謝がうまくいっていないと、そこに苦しみが隠れているようなんです。例えば「大事だからいつまでも捨てられない」と思っている、捨て時のわからないものです。

実際、まじまじと見てみれば、それはもうどう生かしたらいいかわからなかったり、いい加減酷い状態だったりします。だけど、それと自分の関係を変えられません。捨て時がわからないのです。

かといって、誰かが「捨ててあげるよ」と言ったり、まして勝手に捨てられたら、仁王様でも乗り移ったかのように怒ります。だって、安全じゃなくて、新陳代謝が止まっていたものに触られると、とても痛むからです。

捨て時のわからないものや人間関係は、いつも安全じゃない記憶と結びついています。