前提を問題にしていませんか?

おはようございます。吉野実岐子です。

完全であることと、何かを全うすることは違います。前者は非現実的な目標で、後者は現実的な目標でもありますね。前者を求める人が、よく見受けられるのは、ネィティブスピーカーの発音や教科書の文法と自分を比較する形ですが、なぜ日本語の発音や日本語の文法には同じことを思わないのか不思議です。つまり、そこが非現実的な目標ゆえのおかしさの表れです。

つまり、完全であろうとすることは、「これでよし」と言えない未熟さの表れです。ガウディの建築物であるサグラダ・ファミリアなどは、明らかに未完ですが、今も作り続けられているだけでなく、現在の主任彫刻家が日本人であったりと、むしろ周りを巻き込んで、面白いことになっています。

完全を目指す前者の視点からすると「未完だからダメ」でしょうが、全うしようとする後者の視点からすると「これでよし」に向けて、色んな人がエネルギーを注いだり国境を越えた動きが出たりする、愛と呼べそうな何かのふくまれた動きは、食卓の話題に上りそうな、そんな人の心への届き方を見せてくれます。

完全を目指すのでもなく、あきらめでもなく「これでよし」とできる動きは、関わった人みんなに対する、そして作り続けたものに対する、大きなYESです。そういう大きなYESをいうのは、ダメだしよりずっと、勇気が要ることです。でもその勇気を引き受けた時、思い通りにいかないことや失敗は問題から前提へと、位置づけを変えるのではないでしょうか?

思い通りにいかないことはふつうだし、失敗するのも当たり前です。実際、冒頭で用いた外国語学習の例でいうと「間違えることこそ、近道」です。非現実的な態度で生きていると、こうした前提が問題になってしまうという、変なことも起こしていけるというだけです。