会話からなんとなく締め出されること

おはようございます。吉野実岐子です。

少し前から月経について、メディアが話題にするようになりました。これまでは、どちらかと言うと月経そのものを隠す動きが強かったですよね?例えばドラッグストアに行くと、月経用品に関してだけ、必ず紙袋に入れてくれます。恋人にあるいはパートナーに「月経用品を買ってきて」と頼んで、躊躇された経験がある方もいらっしゃったでしょう。

そんな風にして、月経が一般的な会話からなんとなくでも締め出されてきたことは、月経に関するどこか気後れするような後ろめたいような、一般にネガティブと呼ばれるフォーマルあるいはインフォーマル態度を、生かしたままにしてしまったでしょう。(ここでは月経の話を書いているようで、実は性差に関する全てについて書いています。そのように読んでくださいね)

そして、こうしたことの影響自体が、軽んじられてきたと思いませんか?こうしたことが「女子の人生にネガティブな影響与える可能性があり、自分自身のからだについての生涯にわたる不快感を引き起こし、問題が起きたときに助けを求めることを控えることにつながる」(『国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】――科学的根拠に基づいたアプローチ』ユネスコ、2020年、明石書店 p34)とは、全く認識されていないだろうと思います。

「質が高く、年齢と発達に応じたセクシュアリティーと人間関係に関する教育が欠如していると、子どもや若者が有害な性的行動や性的搾取に対して脆弱なままに置かれる可能性がある。包括的なセクシュアリティー教育から複雑な論点を排除することは、若者を脆弱にし、彼ら自身の性的行為と人間関係における彼らの行為主体性を制限する」(同上、p35)は、まさに今すでに大人の私たちがそうだったと伝えてくれています。

大切なのは、性的表現が隠されるべきものでなく、相手を尊重しコミニケーションを重ねた上で、さまざまに表現されることを、心の奥底でも許していけることでしょう。いつでも性的関係を止めていいし、いつでも性的関係を遅らせていいし、また性的関係を持つ権利があると言う視点も含まれてくるでしょう。そして、それらは「一般的にはこう」という何を示すかわからない基準と照らし合わせる必要もなければ、そこで生まれる利得もないのです。

幅広い選択肢がそこにあり、自由に選び直し続けられるという柔軟さは、恥や罪悪感にまみれた大人の方にこそ、必要なものではないでしょうか?