やみくもという怠慢

おはようございます。吉野実岐子です。

自分で自分に「とにかく一生懸命やればいい」「がむしゃらにやることができる」のように考えている時、まさにそこにこそ怠慢が隠れていることを、理解していただけるでしょうか?

がむしゃら一生懸命といった、中身の定義が個々によってかなり変わるものに頼るのは、分析してロジックを見つけ、それを重ねていくことを、そもそも放棄しているからです。耳の痛い方もいらっしゃるでしょうか?

でも、がむしゃらとか一生懸命とか死ぬ気ほど、レッドオーシャンなものはありません。皮肉なことに、そこにすがる人が求めるマジックが、1番うまれないゾーンです。

同様に「実感がない」という逃げ道もあります。(中枢神経の機能障害や離人症などで、そうなる場合はもちろん除きます)「実感がない」の裏側にこそ、「やみくもにがんばる」や「全部投げ出してしまいたい」が潜んでいます。

どこかでマジックを期待しているうちは、起きていることや自分と理想との距離を測る物差しが、とても粗いのです。85センチも123センチも1メートルとしてカウントする物差しで、体を美しく見せる洋服や嵐の日も壊れない家を作れると思いますか?

目指す目標や理想は、あなたの未来の洋服や家でもあるのです。失敗して裏表をくっつけて縫ってしまうようなことがあったとしても、ただ解いてやり直せばいいだけです。「どうやってもこうなってしまう」と粗い物差しで自分や自分のいる状況を見ていると、いつまでもその怠慢さに足をすくわれてしまうでしょう。