映画『朝が来る』

遅ればせながら、河瀬監督の『朝が来る』を観たんです。場面は次々と転換し、もちろんそれを視覚ではっきりと見て取れるのに、水をごくごく飲む時につなぎ目を感じたりしないように、シームレスに感じるんです。要所要所にある「ごめんなさい」の美しさが、観ているこちらのいのちを力づけるんです。

映画の説明を読んだりすると、一般には、いわゆる重い話にみえるでしょうが、透明なおいしい水をごくごく飲むような爽快感が、ひたすら広がるんです。どんな理由で何歳で子供を産んでも、安産を願われ出産をねぎらわれ、その子の誕生に祝福がある社会を求めます。それとこれとは別だからです。これの中身は、映画を観なくてもわかる方が多いと思うので、書きません。

本当の恥は「なかったことにする」ことの方です。映画の中で、なかったことにしなかった人達に来た朝が、「なかったことにしたい」ことを抱える人の日常を、朝の光で照らしてしまうような作品です。知っている女優さんがいたのに、部分的にドキュメンタリーなのかと思ってしまうような、ドクドク脈を打っている映画です。生まれたての赤ちゃんの鳴き声のように、なんと勇敢で、なんとあっけらかんとした作品だっただろうと、原作も読みたくなってきました。

「なかったことにしない」から、必然として画面から日常へとなだれ込む希望は、わたしたちみんなのものでしょう。それは、河瀬監督の生きざまと少し共鳴している気もして、全身で生きる尊さに、頭を垂れざるを得ません。