顔色をうかがう生活は、勘を鋭くするのか?

おはようございます。吉野実岐子です。

小さい時から自分の居場所がなく、家庭内や学校で顔色をうかがう生活をしてきた人は「自分は勘が鋭い」と思っていることがあります。ちょっとした表情の変化を見るだけで「この人はわたし/僕を利用しようとしている」というアンテナが立つと、思っているからです。

しかし、実際には「自分が何かしたから、今、口角が動いたのかも」のように、ビクビクする方向に解釈していて「自分がこうしたから、相手は笑顔になった」という嬉しい方向の解釈はしていません。極端に表すなら、単に辛いものが苦手な人が、辛いものを口に入れてしまって「うっ」となっていても、「自分のお箸の持ち方がうつくしくないことに、うっとなっている」のように、とにかく「自分が悪いのだ」という発想が紐づけられていくようです。

この場合、実際には相手の表情は読み取れていません。たくさんの人の感情表現を読み取れないとなると、当然場の雰囲気を壊してしまいますが、そもそも「自分が相手を不快にした」と解釈した上で、その結果が生まれているので、自分の中では「やっぱり」と解釈が続いてしまいます。その結果「ほら、自分は相手の感情表現に敏感だ。表情をちゃんと読める。勘が鋭い」と、決定づけられてしまうようです。

相手の表情から、感情を読み取るには、眼窩前頭皮質が機能不全でない必要があります。眼窩前頭皮質は、価値の見積もりとその選択に関連します。だから、眼窩前頭皮質が機能不全だと、価値の低い方を選んでしまうのですが、本人の意識としては「価値を見極め、よりよい選択をした」という認識になってしまいます。

簡単に言いかえると、いい方を選んだつもりが悪い方を選んでしまうものの、いい方を選んだと信じ込み続けるのです。一方で、現実は悪い方を選んだなりに展開するので、いい方を選んだという認識との間に、ずれが生じます。そうしたら、当然、不安が湧いてきます。

つまり、眼窩前頭皮質が正常に働き、またこの体積が大きいほど、不安は減りますし、ストレス耐性が高い状態になります。そして、ここは回復が見込める箇所なんです。