ピチピチと、もがこう

おはようございます。吉野実岐子です。

気候変動が激しくなるにつれ「都会的な生活をせざるを得ない」方へ、自分の生活が徐々に押しやられてきた感覚を持っています。

例えば、引っ越してきた頃、どの窓からも見える山や畑や水田が本当に美しく、自分が美しさの一部として生きているような感覚を、当たり前に持てました。地球環境がきれいだと、こういうギフトをもらえるのです。何をしていても、身体は(それまでに住んでいたところより)楽だし、だから、気分も素晴らしくよかったのです。

しかし、気象変動が激しくなって、まずは空気が汚くなり、洗濯物や布団を干せる気持ちよさを失い、室内干しの時間が毎年伸びていきました。電気への依存度、すなわち経済への依存度が上がっていくのです。

空気の汚さで、外に見えている山や畑や水田も、本当に汚く映るようになって、自然と顔を上げて、遠くを見ていたのに「映画でも見ようかな」「本でも読もうかな」と、顔を下げ目線を下に置く日が増えました。

また、空気の汚れから、外に植物を置けなくなって、いつしか切り花を買う生活に、戻っていきました。引っ越してきた頃は、顔を上げれば美しさの一部になれるから、切り花は不要だと思えていました。切り花という不自然さを、自然とは呼べません。その植物にあった土地で、その植物が咲いている方が、圧倒的に美しいし、それが自然だからです。

かつて、都会で都会的な暮らしをしていた頃は、その不自然さを「おしゃれ」や「洗練」といった切り口で捻じ曲げて、一時的に自分の気持ちが良くなるところにいたから、自分の意に沿っていませんでした。そのため、すごく苦しくもあったのです。

そんなわけで、最近は獲れたての魚の如く、もがいています。しかし、このもがきが、何事においてもとても大事です。ぜひ、みなさん一緒に、それぞれの場所でもがいて生きて、地球への負担を減らしていきませんか?