まもられたい、なら。

わたしたちには、遠ざけたいのに近づいてしまうことがあります。亡くなった人を弔うのは遠ざける動きですが、亡くなった人にすがり近づいては、亡くなった人が平安であれないようにしてしまうケースは、代表例でしょうか?

「絶対にああはなりたくない」も同じで、これは遠ざけたいものの実際には近づく動きのため「あんなになりたくないと望んだ姿になる」ことが起こり得ます。親を嫌うほど親のようになったり、あんなに気をつけていた病気になってしまうのも、よくある例の一つでしょう。

加害者と被害者間も同じです。「絶対に許さない」と思うほど近づいてしまい、いつまでも被害者は尊重を得られなくなりますし、嫌な記憶がリフレインします。

和解してはじめて、自分と相手の間に適切な距離が生まれ、互いを尊重できます。尊重はすべての人に必要なことで、あらゆることを解決する鍵です。それはハートを通じて行われていきます。

ゆるしたり、相手を尊重することで、何よりわたしたち自身がまもられていくのです。「まもられたい」なら、すすんで和解し、相手から尊重を得られるようにするのが、最短ルートです。