初出:2012年11月26
Day: 2020-11-10
深い愛
深い愛のある人ほど、ご自身を冷たいとご覧になるケースを、一定の割合で見かけます。ご自身が、ご家族など所属するところの通奏低音のようになっている場合、それをはっきりとは認識しないことで、まるでご自身を含む全員をまもっているようなんです。
ここでいう深い愛は「誰も排除しないことを徹底できる」と、言い換えられるかもしれません。さらには「自分だけが潔白だ」と主張したがる未熟さと無縁だとも、言い換えられるかもしれません。
「誰からもその居場所を奪おうとしない」それは一般に愛と呼ばれる何かの一部ではないかと、思います。そして、より大きな何かを知覚している中においては「それは愛じゃない」とも表せる何かなのでしょう。
もしかしたら、それは祈りと呼ぶ方がふさわしいのかもしれません。しかし、祈りが残虐さや冷酷さと同じ場所から生まれたりはせず、どちらかと言うと、愛と呼ばれるものと同じ場所から立ち上がることを思うと、愛と呼んでも構わない気がします。