「話を聞く」ことは、誰でもできると思われます。では「話を聞く」プロとアマの違いがどこにあるでしょう?それは、そこに含まれる情報量の差と精査方法やその速度の違いです。
自己愛が強すぎると、返された言葉という外見だけに囚われ、その中身の違いを受け取れず「話を聞く」プロの間を転々としてしまうかもしれません。何気なく返された言葉の中に詰め込まれた大事な物たちをどさっと見逃すだけでなく、それらがみずみずしく存在していることに、気づく気配すら持てないかもしれません。
自分たちの耳の中に閉じ込めたものを「話」だと思って、プロの前に行き、自己愛が強いから「あなたは自然の中に音楽を聴けなくなった音楽家のようだ」と言われても、それを否定しては自己愛を強めることを繰り返していると、厄介な人生が展開することになります。
別の視点から言うなら、そういうことを続ける限り、チャンスを見逃し続けて、不自由なままになります。そういうことを続けていると、全面降伏か全面対決となってしまい、解決を目指せないからです。