調整という揺れ・乱れ

私が最近した調整の対象は、マスクです。2011年から愛用してきたマスクが、ついに生産中止になってしまって、手元の在庫が切れてしまったので、新しいものを試しているのです。メーカーにも電話して確認しました。本当に飛び抜けて素晴らしいマスクだったので、残念です。

お米も調整しています。品種だけでなく、久しぶりに七分米というわたしに合う削り方(?)に出会い、白米がもつスィーツ感から抜けられました。安堵が広がります。さらには、ブレンドすべきものをもち麦とはとむぎとキヌアかアマランサスまで、絞り終えました。さらに、自分に必要なブレンド比率を模索しているところです。

そんな風にして、調整が進んでいくことは、「揺れ」「乱れ」のように感じられることもあるかもしれません。高速道路をビュンと走り抜ける感じとは違って、田んぼを見ながら誰もいない道を走る感じに近いのかもしれません。

高速道路だと、ブレンドを選んだ時みたいに、あとは何も考えなくていい気楽さがあります。下道だと、自分で調整する時と同じ、周りをきちんと見渡して自分で調和をうんで生きる喜びがあります。

でも、そんなあなたのことを見て「しょっちゅう変えている」「物事が続かない」のように批判してくる人もいるかもしれません。何も考えなくていい気楽さが生産的で、下道の大冒険があなたを耕し知恵を育んでくれることに気づかない人がいるのは、この競争社会において、ある意味でラッキーなことかもしれません。

だからあなたは、睡眠の乱れと言う一見すると社会における弱者に入りそうな状態を生んで、本当の意味で虎視眈々と自分を大きくし「みんなの役に立ちたい」と言う小さな頃の夢を叶えようとしているのかもしれません。そして、そこに潜む小さなあなたの涙は、誰かの憧れになっていく、そんな気がしてくる夏の日の中で、わたしたちは息をしては、わずかに肩を揺らしています。