「できない」感覚が「できる」人に力を与えている。

「正しい/間違っている」というジャッジの往復で美しさを見逃すと、リソースをリソースとしない行動が続きます。そうすると「わたしにはできない」という感覚も生まれやすくなります。

同時に「できない」と思う時、それが「できる」人に力を与えていますよね?自分ができないことができる人は、実体よりすごく見えがちです。そんな風に、エールを送ることが「できている」わけですよね?

思い込みに支配されていると、美しさを見逃しつつ、周りにエールを送ることになりながら、「助けて!」と絶叫するような感覚が身体のどこかに宿るのは、こんな顛末でした。