掃除がもたらす喜びとは、清潔にできる喜びです。わたしたちは、不潔だと苦しみを感じるようにできています。清潔になることでその苦しみが消せる、そんな風に自分を救えることは、喜び以外の何物でもないのが、わたしたちのデフォルトです。
ところが、自分の尊厳をまもらず、汚いところにたたずむような、自分を汚すことが当たり前になると、不潔であることと同化しようとします。例えば「どこでも眠れる」が、目標になってしまうのです。
そして、不潔と清潔の境目を夕暮れのように曖昧にすることで、自分を傷つける人や出来事に、自分を近づけてしまうのです。そしてその痛みに支配され、回復する方向と、痛みだけを消す方向を取り違えるようになります。改めて、清潔にできることは喜びです。