察することが当たり前の人は「~なんだけど」のように、語尾をお化けにして、相手に察してもらおうとします。
もちろん、互いに察するタイプ(便宜的にタイプと書いただけです)なら、これでコミュニケーションは成立するでしょう。でも、話が通じない実績を持つ相手にこれを続けて、話が通じるようにはなりません。
日本では察しあうことが美徳とされる傾向があると思います。が、すべてには良し悪しがあります。察するタイプの「悪し」は、依存的欲求です。「察してくれるよね?」と寄りかかり、相手との境界がおぼろげになっているとも表せるのです。
さて、依存的欲求とアサーションは、非常に相性がいいことが分かっています。「どうも依存的になっちゃうな」という瞬間を、自らの中に捉えられている人は、アサーティブであろうという意識をもって、練習してみて下さい。
「~が嫌なんだけど」は卒業し「~が嫌です。具体的にはこれこれこうです。〇じゃなくて▽してください」と、リクエストまで言い切るのです。
話が通じていない相手に「嫌なんだけど」だけ伝えても「じゃあどうしろっていうの?」で終わるでしょう。そうではなく「こうしてほしい」まで伝えきるのが、アサーティブな態度です。「しっかりクロージングしましょう」という表現でも伝わるでしょうか?
アサーティブになっていくと「依存的な欲求を持つ自分が嫌だな」ではなく、そんな自分も統合し、より居心地のいい自分になっていけるでしょう。
そして、もう一点付け加えるなら「話が通じない」ストレスを、過小評価するから、語尾がお化けになります。実際には「話が通じない」ストレスは、相当なものです。