できないところばかりに、目が向く。

失った手の感覚が残るように、わたしたちは失った何かに向かい続け、自分という存在を統合しようとします。潰された才能に意識を向かわせ、何とか復活させようとするから、できているところよりできないところに目が向きます。これは、自分を再生させるための、尊いいのちの動きです。

ただ、それが自分の良さに目を向けられない姿勢に転化されると、着地点が惨めさになります。気分を変えて、今あるものを伸ばそうとしても、自分の欠点や短所にばかり目が向くなら、失ったなにかを本当に復活させませんか?その第一歩を一緒に、ふみだしませんか?