違いを認めない集団ほど、恥が強い

恥が外から植え付けられる際は「あんたなんか生まなければよかった」「また女の子だ。男の子がよかったのに、女の子はもういらないのに」「男のくせに泣くのやめなさい!」「そんな大声を出して、みんなが見てるよ」「(事実ではないこととして)あなたは橋の下から拾ってきたの」「女のくせに、気も利かないんだから」といった、セリフが吐かれやすいでしょう。

それだけでなく、楽しそうに身体を動かしているときに「みっともない」と吐き捨てられたり、やっとできたときに「たった1回しかできてないじゃない」と水を差されたり、がんばった服装に「変~」と言われることでも、十分恥は植え付けられます。

ここまで読んで、ハッとした方も、多かったのではないでしょうか?

恥は、集団への帰属意識と深く関連します。違いを認めない集団ほど、恥という感覚は強くなるから、いわば「恥ずかしくて死んでしまいたい」と、切腹してしまうのが、過去の日本でした。恥が強くある文化ほど、辱めに報復するし「こうあらないと」「こうすべき」も強くなります。集団としてまとまりやすくはなっても、個人のありようも非常に深いところから強く縛ります。

そして、自分は恥だという感覚が強いほど、助けてといえなくなります。これは、意志の力の及ばない領域で、非常に強くかかるブレーキなので「苦しい時は苦しいというんだよ」「助けてというのがリーダーシップだよ」などと言われて、変わるものではありません。むしろ、そういわれると「はぁ?」という感じの領域です。