お客様という仮面

先日、オンデマンドで「マスカレード・ホテル」を観ました。(以下、ネタバレします)

高級ホテルと警察が、同時に登場します。高級ホテルでは、ホテル滞在を仮面舞踏会のようにとらえ、お客様の素顔が見えながらも、その仮面に沿って動くことが良いサービスとされます。警察は、お客様(人)の素顔を同じように見抜いたら、その素顔をどんどん暴く方向で動くことが、職を全うすることになります。

どちらも「素顔を見抜いている」共通点がありつつ、その後の対応が真逆であることが、この物語を支えていました。それで、上記の職種に限らず、「お客様」になること自体が「仮面」になるのは、本質をついていると思ったんです。

「お客様(患者も含む)」になった途端、横暴になるなど、態度が変わる人は多いです。新幹線のグリーン車に飛行機のビジネスクラスやファーストクラス、どちらも自由席やエコノミーより、ずっと使い方が汚くて、通るとスラム街のように感じます。「心がすさんでいる人が座っていたんだな」と、思わざるを得ません。「お金を払えば、横暴になったり粗雑になっていいんだよ。そうやってお金で自由を買うんだ」と、お家でもお子さんに教育中でしょうか?

一方「お客様」を「仮面」にしない人もいます。「相手も仕事だからいいんじゃない?」ではなく「相手も自分と同じ人間だ」という姿勢が、人生を通じて貫かれているのです。そういう人がする仕事には、その人の生き方が現れるから、その仕事内容が何であれ、きれいだったり気持ちよいものになります。

日々、うつくしくありたいと「お客様」であることを堪能しているなら、この記事は何度でも読み返していただきたいです。

Uber Eatsが自分をダメにする?

「おいしい」って何か、わかっていますか?その説明ができるかという意味でも、心がウキウキするかという意味でもなく、その感覚を確かに揺るがぬものとして、知っていますか?

「おいしい」という言葉の意味がわかっていないと、コンビニもスーパーも冷凍食品も出来合いの物もお祭りの屋台も、ぜんぶがおいしく感じられてしまいます。それは、多様性を受け入れているとか、違いに寛容であるのではなく、真逆なんです。そもそも違いが分かっていないから、ぜんぶ同じだから、ぜんぶおいしく感じられているだけなのです。とっても画一的なんです。

「Uber Eatsが自分をダメにする」「あちこちで外食できて、なんて優しい社会なんだ」なんて言っている方は、残念だけど「おいしい」の意味はわかっていません。

自分の心と身体が何を求めているか、ちゃんと感じられなくなっていると、うまくみせられる服を選んで自分らしさが殺されていることに気づけなかったり、とんちんかんな恋人を選んで、別れられなくなったりします。

時間のかかるものをつくるのでも、珍しい食材を手に入れるのでも、すべてオーガニックと拘って頑なになるのでもなく、ちゃんと食べられるおいしいものをささっと作っていただきましょう。

自分の心と身体が何を求めているかが、感じられるようになると、よくある大型スーパーにはおいしいものなんて売っていないどころか、食べられるものがほぼ売っていないことがわかります。つまり「スーパーに行かなきゃ」自体が、消えていくんです。

自分の恥を相手になすりつけない。

「自分という存在が恥だ」と深く思っていると、そんな自分が少しでも大切な存在になるために、価値ある存在になるためにと、誰かにその恥の克服を押し付けることがよく起きます、

例えば、早くに結婚してむなしさを感じているお母さんが「男なんてあてにならないわ。女は仕事よ。一生できる仕事を見つけなさい」と、娘を教育していたり、医者になれなかった医者の息子が、子供を自分が入れなかった一流の医大にいれて、そこにだけお金は惜しまなかったりします。これらは、親の恥を子供に克服させているのです。(親が子供を利用しているのです)無論、周りから見ると、こうした態度の方が「恥知らず」に見えるでしょう。子供の尊厳を守るどころか、奪っているからです。

セクシャルなシーンでも、こうしたことがよく見られます。セクシャルなシーンというのは、危く脆いものを本質的に孕みます。だからこそ、健全な大人だけが入っていける場面であるべきです。しかしながら、実際には、不健康で未熟な人がどっとなだれ込む受け皿のようになっています。その人がそれまでに感じた恥を、自分のパートナーになすりつけて、相手を「自分が自分の恥を克服する」道具にしてしまうのです。ここにも、尊厳はありません。

世界全体から尊厳が奪われて行っているので、まずはあなたからこの世界に尊厳を戻していって頂けたらと祈っています。

どうでもいい私

「自分という存在が恥だ」と外から入れられていると「自分に生きている意味なんてないんじゃないか」「自分の正体を人に知られてはいけない」「こんな自分を見せたら嫌われる」といった感覚が生まれます。だから、とにかく隠れよう隠そうという動きが強くでてきます。恥ずかしがる子供が、ぱっと隠れたりしますが、それと同じです。

一つ皆さんが覚えておくといいだろうことは、外から植え付けられたものは、必ずあなたの中で「断定系」で再生されるということです。「自分はダメだ」なんて、その典型例です。そして、外から入ったもの、つまり誰かの忘れ物ですから「なぜ、ここにあるのか?」と考えても、わかるわけがありません。

例えるなら、みなさんの部屋に本が落ちていて「え?きのこ図鑑?こんな本買った?いつ?」と当惑するわけです。「なぜ、きのこ嫌いのわたしが、きのこ図鑑なんて買っちゃったのか」と考えても、そもそもみなさんは買っていないから、答えは出ないんです。

この場合することは、ただ一つ、持ち主を探して返すことです。まずは「このきのこ図鑑はわたしの本ではない」と、きのこ図鑑を前に言ってみることです。つまり、自分が恥を感じていると少しでも認識できたら「この恥、わたしのじゃありません」と、逐一言ってみることは役立ちます。(あ、きのこ図鑑はおもしろいですよ~!きのこもすばらしい存在です)

もう一つは、支えてくれる人を得ていくことです。そうすると、どうでもいい私はやがて、大切な自分へと変わっていきます。

どうせ、安物だったし。

わたしたちが恥を感じないために良くするのは、人とのかかわりを避けること/名誉欲を育てること/各種アディクション(ワーカホリックももちろん含む)/批評家ぶること/自分自身に対し監視していく感覚が常にある状態に入ることです。

物を壊して「これ、安物だったしね。どうせ国産じゃないし、人件費の安い工場で作られたんでしょ」というような批評家ぶっている方、多くありませんか?

あるいは、一度遅刻したら、寝る前から緊張が高まるようになり、目覚まし時計を何度も確認するといった、疑心暗鬼モードで自分を監視していくのです。

そうじゃないと「(自分は恥ずかしい存在だから)居場所がない」といった、拭い去れない恥の感覚が襲ってくるから、プライドもどんどん高くなって「馬鹿にするな!」と怒ることも、増えていくんです。年をとるとプライドが高くなるのではなくて、年を取るとその恥の拭えなさに呆然とすると表す方が、適切かもしれませんね。

違いを認めない集団ほど、恥が強い

恥が外から植え付けられる際は「あんたなんか生まなければよかった」「また女の子だ。男の子がよかったのに、女の子はもういらないのに」「男のくせに泣くのやめなさい!」「そんな大声を出して、みんなが見てるよ」「(事実ではないこととして)あなたは橋の下から拾ってきたの」「女のくせに、気も利かないんだから」といった、セリフが吐かれやすいでしょう。

それだけでなく、楽しそうに身体を動かしているときに「みっともない」と吐き捨てられたり、やっとできたときに「たった1回しかできてないじゃない」と水を差されたり、がんばった服装に「変~」と言われることでも、十分恥は植え付けられます。

ここまで読んで、ハッとした方も、多かったのではないでしょうか?

恥は、集団への帰属意識と深く関連します。違いを認めない集団ほど、恥という感覚は強くなるから、いわば「恥ずかしくて死んでしまいたい」と、切腹してしまうのが、過去の日本でした。恥が強くある文化ほど、辱めに報復するし「こうあらないと」「こうすべき」も強くなります。集団としてまとまりやすくはなっても、個人のありようも非常に深いところから強く縛ります。

そして、自分は恥だという感覚が強いほど、助けてといえなくなります。これは、意志の力の及ばない領域で、非常に強くかかるブレーキなので「苦しい時は苦しいというんだよ」「助けてというのがリーダーシップだよ」などと言われて、変わるものではありません。むしろ、そういわれると「はぁ?」という感じの領域です。

怒りは後向きなの?

忌み嫌われがちな怒りは、後ろ向きなのでしょうか?みなさんは、怒りがうんと役立つ瞬間をこれまでに経験したことがあると思います。ちょっと、振り返ってみて下さい。何でしょう?(答えを見つけたら、読み進めましょう)

それは、断捨離です。なんだか怒りをいっぱい抱えているかもしれないと思うなら、断ったり捨てたり離すべきものが、確かにあるというサインでしょう。怒りは、自他の境界を知らせてくれて、新たに気持ちのいい境界を作るための話し合いの力をくれます。怒りもやっぱり、前に踏み出していく感情なんです。

明日に続きます。

「悲しんでないで、前を向いて」

悲しみはきずなを結びなおしてくれるものです。311の後の動きを見ても、それはクリアでしょう。

遺されたわたしたちは、きずなを結びなおそうとしましたし、悲しみ続けているのは自分との絆を結びなおし続けているからに、他なりません。

「悲しんでないで、前を向いて」なんて言いますが、悲しみは前に踏み出していく感情の一つで、決してわたしたちを後ろに引っ張ったりはしないのです。

【募集スタート】秋のオンラインWS「スケールアップ」

この夏「すさまじい暑さの中、自分はよくがんばったな」と思いませんか?そんな風に、わたしたちは振り返って祝福しては統合し、自分を形成します。秋の気配が濃くなると「そろそろ秋だし!」と、新しいことを知りたくなったりもします。そうやって、わたしたちは生存の可能性を増やします。

湧き上がる思いや蠢く感覚、すべてに意味があります。ただ、だからこそ自分の中が渋滞することもあります。文化的なものなら対処しやすいのですが、生理的なものは根底にあり、意識すらされないことも多くそうもいきません。

一番根底にある思いや感覚とは、恥です。これはほぼ生理的な思いであり、生理的な感覚である点が、他の思いや感覚と異なります。

初めてできた逆上がりで言われた「一回しかできてないじゃない」や、虫の居所が悪かった親があなたに放つ「あんたなんかうちの子じゃない」に、楽しく踊っているときに言われた「みっともない」など、すべてあなたに恥を植え付けた言葉です。

もちろん、恥は悪者ではありません。「こんな行動は恥ずかしかった」と正せば、そこに所属しやすくなります。つまり、みなさんが所属したい集団によって「何が恥か」は変わります。ただひどい恥を与えられて、あなたの尊厳を壊そうとした相手が、あなたに植え付けた「自分が恥なんだ」「恥ずかしいから、消えてしまいたい」という想いと感覚は、百害あって一利なしです。あなたを深く蝕むだけでなく、周りにも「負うべきでない責任を、負わなければ」という感覚を蔓延させる、悪影響を生んでいきます。

その先に、各種アディクション(「カフェイン断ちに失敗」程度も含む)/悪い男・女につかまる/子育て後うまく社会復帰できない/「結婚しない」ではなく「結婚できない」と思う/どう努力すればいいか分からない/燃え尽きるまでがんばる/ハラスメント/凶悪な犯罪など、多種多様な状態が展開します。

つまり、本当にわたしたちがスケールアップして、伸び伸び生きていこうとするなら、現時点でみなさんの中でほぼ意識されていない「自分が恥だ」という思いや感覚から解かれていくことが、必須なんです。日々のコーチングから漏れる部分を扱いますので、クライアントさんもぜひ奮ってご参加ください。今回は、ワークショップ中に何度か、ビデオカメラも使う予定です。


~秋のオンライン・ワークショップ「スケールアップ」~

〇 場 所:スカイプ上(有線LAN接続 推奨)

〇 日 時:
– 8月29日(木)13:00~14:30
– 8月30日(金)13:30~15:00
– 8月31日(土)16:30~18:00
– 新しい日程(~9/30)を提案する

○ 対 象:~以下の状態がほしい方~
□ 自分を責めないでいられる喜び
□ 自分を傷つける人から、ついに離れられた
□ もう声が大きい年上に、ビクビクしない
□ 恥を怒りにすりかえない
□ 本当の自分を知られても、だいじょうぶ
□ ささいな間違いに、もう圧倒されない
□ 「わたしなんて」と自分を侮蔑しない
□ 子供の成長に合わせ、子育てが楽になる
□ 経験を重ねるにつれ、仕事に余裕が出る
□ 失敗しても、自分の居場所は消えない
□ 居場所がないと、過剰にがんばる
□ 自分だけ助かっても、恥ずかしくない
□ 尊厳が守られる状態を、認識し始める
□ まちがえても、自分という存在は尊い
□ いたたまれない時も、そこから立て直せる
□ 気が大きくなる瞬間の必要性が、消える
□ 自分にみっともなく感じるパーツはない
□ 自分が負け組かわからないままでいられる
□ いい気になっても、しっぺ返しは来ない
□ 男/女として劣っているなんて思えない

〇 参加費:12,960円(税込)
〇 〆 切:8月27日(火)21:30
◎ お申込み ⇒ https://ws.formzu.net/dist/S26700108/

~ ご協力お願い申し上げます ~

治療が必要な方・ 喫煙常習者・飲酒常習者は、ご利用頂けません。ご自身の状態からお申込みを迷う方は、電話番号と共に詳しい症状を添え、気軽にご連絡ください。ギフト利用の際は、守秘義務に同意したものとみなします。お子様やペットのいる方は、家族に協力をお願いしましょう。静かな環境づくりにご配慮下さい。お申込み後のキャンセルは一切承りません(日程変更はOK)。参加費が発生します。


詳細はお申込み頂いた方にお伝えしますが、今回は ①コップ②水③紙④色鉛筆 or クレヨンor 色ペン をご用意いただいて、途中で何回かビデオカメラをONにして、互いに顔を見ながら話すことがあります。それだけでスケールアップが始まる人も出るよう、デザインしました。ぜひ楽しみにしていて下さい!

選ぶべき男性

男性が自身の身体をどう扱うかは、そのまま、男性が女性をどう扱うかを、表します。さらに、男性が地球をどう扱うかも、知らせてくれます。

つまるところ、女性のあなたが大事にされたいなら、自分自身の身体を大事に扱っている男性を選ぶ必要が生じます。女性のあなたが大切に扱われたいなら、地球を大切に扱っている男性を選ぶしかありません。

例えば、ネイルサロンに行き、爪を磨き上げてもらう男性は、原則として、自分自身の身体を表面的にみて、ご本人の中で何かの辻褄を合わせるているのでしょう。女性のあなたのことも表面的にみて、あなたは何かの辻褄合わせに使われているでしょう。

自分の生活習慣は変えぬまま、マッサージに頻繁に行く男性なら、自分の身体のことは外注すべきで、自分が変わる必要はないと思っているでしょう。同じように、あなたへの態度は変えずに、外注可能になるよう、お金だけ渡したりするのでしょう。

オーガニック信者が地球に優しいわけでもなく、エスコートが身についているから、女性に優しいわけでもありません。選ぶべき男性を見つける足がかりを紹介しましたので、あとはご自分でお考えください。

One Preconception Can Disturb You

When you were a child, maybe you just loved to flip pages of books. Even if you could not read the text, you did not care about it and you just loved smell the paper and see illustrations. You didn’t understood it but you knew how to enjoy books well. You were already equipped with the attitude to jump in an unknown new world. You were an excellent adventurer.

But as time goes by, you learnt that you needed to read the books to enjoy them more. You started to understand books. Then, to understand school textbooks, you started to read the same page again and again. Cute illustrations were skipped and the thickness of books made you lose your excitement for books. The thickness of books started to mean how much you needed to understand, so you started to pass by books written in an unknown language. The pressure to understand deprived you of your inner adventure. And you started to be smaller in front of new unknown worlds.

Then you started to feel that reading books was very difficult for you. You could think deeper than before, but you stopped often so it took a long time to finish reading. But if you throw away your preconception of “Books should be understood,” what would happen to you? You can sometimes skip some texts which you couldn’t understand and you can take back your curiosity and start to love unknown new worlds.

I think that you are enough to understand books. So please start to integrate the inner deep thinker and adventurer in you. If so, unknown thick books will smile at you.

常にGoogle Mapより、はやく歩ける

先日、ついに36℃下でも、自然とGoogle Mapが提示するより速く歩けていることを認識して、感嘆しました。高温下は、わたしにとって鬼門だったんです。

こちらに越して来た頃は、Google Mapが提示するスピードよりも遅く歩いていましたし、まして午後1時過ぎに、街路樹がない36℃下では、歩けませんでした。本当に体力がついたと思います。

もちろん36℃下で30分歩き続けることを、推奨はしません。ただ、人の肉体はここまで変えられるんだなと、その可能性の広がりに驚いたんです。

言うまでもなく、滝のような汗どころか、自分が滝になった感じになりますので、くれぐれも熱中症にはご注意ください。また、そうした高温下では、アルコールはもちろん、あらゆるカフェイン飲料を避けましょう。

「冷たい感じがする」と言われ、凹む?

あの日、あなたは「冷たい感じがする」と言われて、落ち込んでしまいました。でも、もしかしたらその続きがあったかもしれません。

その言葉を言った人は「その冷たい感じが、熱が出たときに額に当てられた冷たい手のようで気持ちがいい」と言いたかったのに、あなたに話しかけてきた他の誰かに遠慮して、そこまで言えなかったのかもしれません。

みんながはっとするような冷たさがあるからこそ、それがあなたに神聖さのようなものをもたらし、あなたはそれにより、知らず知らず守られていたのかもしれません。

「冷たい感じがする」を断罪しないで、その豊かさを受け取ってみてはどうでしょう?

わからない・できないの美しさ

わたしは「わからない、なんで?」「できない、どうしたらいいの?」のように、もがいたことがあります。

もがいたからこそ、新しい発想を思いついたり、行動が生まれることがあって、わたしは確かにそこから現実を変えていくことができました。

でも、あなたは、ふともがくのをやめて、そのままそのことを忘れてしまったこともあるんです。そして、後になって振り返ると、なんだかうまくいってたんです。

心細くて、取り残されたような気がして、画用紙の上ににじんでいく薄めすぎた水彩絵の具みたいな茫洋とした気持ちから、深追いしてほじくり返すようなことは、そういえばしなかったなと、あなたは思い出すんです。

それは諦めて捨てた感覚とは全然違って、何か厚みがあるような大いなるものにしっかりと任せたような感覚だったと、あなたは知ってるんです。

その美しさを知ってしまった日から、わたしは「わからない。ふふ」「できない、ニヤリ」としてしまいます。だってまた、あの美しさに出会えるんだろうって、ワクワクしてきちゃうんです。

失敗を馬鹿にしない

自立に向かう人は、失敗を馬鹿にしないんです。「あのとき、ああしちゃったから」と自分を現在に至るまでずっと責めちゃうとか、「こんな失敗作!」とゴミ箱にポイッと捨てるようなことはしません。そうやって排除したつもりになっても、実際には自分の不自由が増えるだけだからです。

水滴を初めて見る子供みたいに、花がポンと音を立てて咲く瞬間に立ち会ったあの人みたいに、失敗をじっと見て、ハッとするんです。それは「ここでミスしたのか」「このプロセスがまちがっていたのか!」という、ハッとはかけ離れた感覚です。

失敗をじっと見ると、そこにあるうつくしさにふっと誘われる瞬間があります。小さくて大きな神秘の世界が、そこに広がって、その中に入るとふわっと自由になることを、体験しているんです。

失敗を成功の元にしていく人はもちろん、いつも自立に向かい続ける人は、そんな風に失敗の秘めた美しさに、手を引かれ続けています。

八月の匂い

稲が実っていく今の時期は、水田の横を歩くと、なんとも香ばしいです、そら豆を口の中に含んだときに鼻の中に抜ける香りに、少し近いかもしれません。

夕方5時を過ぎても33℃あると、川べりもあまり涼しくなく、水の匂いが際立つばかりです。

みなさんはこの8月、どんな匂いと出会いながら、過ごしているでしょうか? そこに、自然の営みがもたらす香りは、含まれていますか?

かわいいより、うつくしいを。

小さな子が一生懸命描いてくれた、あなたの似顔絵ですが、どこに目があるかすらわからなくて、それを渡してくれる満面の笑みに、あなたはちょっと困ったのです。

でも、その満面の笑みに嘘偽りがなくて、ハッとします。「これがこれで」と一生懸命おしゃべりしてくれるのですが、それも何を言っているのか、よくわかりません。でも、その一生懸命だから、抑揚がついちゃう感じに「大人の自分は、ふだんこんなに一生懸命しゃべってたかな?」と、やっぱりハッとするんです。

そうしてみていると、なぜか涙が流れてきます。線がところどころ太かったり細かったりして、○すらうまく書けていなくて、クレヨンと一生懸命仲良くなろうとした様子が、痛いほど伝わってきます。「なんて誠実なんだろう、うつくしい」と、あなたは思ってしまうんです。

そう、「小さくてかわいい」と、密やかにマウンィングするのではなく、小さなこの子の大きさにうつくしくて、ちょっとひれ伏したいくらいの気持ちになってしまったんです。こうして、あなた自身の自立が、進みます。

美しさに手をひかれて

精神的にも経済的にも「自立したい」と思うなら、美しさに手を引かれて、素直にその後ろを歩いていきましょう。それは「これは醜い」「あれはダメ」と排除して、残った美しさに「うん、これは美しい」と烙印を押し、その烙印についていくのとはまるで違うんです。

目の前に今見えている風景の中に、ちらりと見えた美しさに、すぅーっと引き寄せられて、歩み寄ってしまう感覚なんです「うるせぇ、ババア」という子供に、そのいのちの苛烈な勢いに、一瞬うつくしくて、ハッとしてしまうんです。加齢臭のだんなさんが、背中を丸めて座るその姿に、何かを必死に守ろうとしている美しさを、まるで新聞紙に包まれたダイヤをみるように見てしまって、心打たれるんです。

8月に入りました。自立したいと思うほど、美しさに手を引かれて、素直にその後ろを歩きましょう。