使命や天職を超えて

使命や天職という発想は、基本的にはキリスト教に代表される「神が人間をつくった」という視点が生んでいます。

あなたがまだ20代なら、こうした視点に立ってみて、進めるところまで進んでみるのも、得るものがあるでしょう。

しかし、30代後半以降なら、こうした個人的で高揚感のある視点に、行き詰まりを感じたいところです。個人的である窮屈さにまだ触れていないなら、現時点では人としての成熟度合いが低いかもしれません。

個人的な夢や欲望を現実化し、その虚しさから視野を広げ、自分個人を超えていくことが当たり前になるのが、30代後半以降なら謳歌したい人生の在り方です。

使命や天職を超えて、人間という大海の一滴として、同じ地球に住む動植物に否応なく与えてしまう影響として、人生の目的に置くべきは、やはり物質として清まること(概念としてではない)以外にないと思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

自分に蓋をしてしまわず、自分を決め付けて深く傷つず、「そうは言っても」と揺れも生じる自然を受け入れるだけの心身の統合を、まずは目標にされてはいかがでしょうか?

幸せへの近道

幸せへの近道は、欲望がいつの間にか減ってしまう時を過ごすことです。そう言われると、気合いが入っちゃう人がいて「がんばるぞ!」と、禁欲キャンペーンを掲げちゃうんです。意志の力で「明日からはあれもこれも止めます」と、ねじ伏せます。

向かう場所は同じですが、これだとプロセスが違うんです。というのは「欲望がするんと勝手に、減っちゃうー」は、「禁欲頑張る!」が生む抑圧と破壊を孕む同一を求める反復強迫とは相容れない、真逆のプロセスだからです。

真逆のプロセスの方では「そうする方が気持ちいいから、そういえば毎日続いていた」と振り返るような、努力が太刀打ちできないふにゃふにゃで根性の要らない瞬間を積み重ねます。だから自分が傷つかないし「努力しても変わらないんですけど!どうしたらいいの?」と混乱中の人には希望になるし、今を傷つけないから、未来も自然と守られていく展開が、生まれます。

このふにゃふにゃのプロセスを辿るのが、オンライン・ワークショップ息を吹き返すシリーズ」で、9月5日までの間アンコール開催します。お好きなものをお好きな時に、ご依頼下さい。


~アンコール開催 オンラインWS「息を吹き返すシリーズ」~

■ 開催期間:本日~2019年9月5日まで(お盆もOK)
■ WS詳細:

< 内容詳細 ※ひとつ90分です※ >
・息を吹き返す1 ~怒り編~:https://wp.me/p2ZjtS-dgk
・息を吹き返す2 ~お金編~:https://wp.me/p2ZjtS-dng
・息を吹き返す3 ~魅力編~:https://wp.me/p2ZjtS-dtl
・息を吹き返す4 ~アンチエイジング編~:https://wp.me/
p2ZjtS-dzH

< 参加者の声 >
・息を吹き返す1 ~怒り編~:https://wp.me/p2ZjtS-djO
・息を吹き返す2 ~お金編~:https://wp.me/p2ZjtS-dou
・息を吹き返す3 ~魅力編~:https://wp.me/p2ZjtS-dvZ
・息を吹き返す4 ~アンチエイジング編~:https://wp.me/
p2ZjtS-dC9

■ 参加方法:Skype(推奨)、Zoom、電話
■ お申込み〆切:2019年9月4日 夜21:30
■ お申込みURL:https://ws.formzu.net/fgen/S86985973/


他のワークショップに比べ、病的な状態の方でも受けて頂けるよう作ってあります。飲酒や喫煙の常習に共依存など、他のワ-クショップやコーチングではお断りせざるを得ない方も、このワークショップについては、お申込みいただけるケースがあります。詳細は、ご自身の状態を添えて、お問い合わせ下さい。

これから、外出不可能になるような高温期も増えます。そんな中でも、息を吹き返して、伸び伸びとスケールアップしていく選択をご自身に、贈ってみませんか?

現実の取り違え

大人と子供を同列にみなして扱うこと、即ち大人と子供の区別がついていないことが、無自覚なabuseを生む一因です。

「子供の方が働きかけやすいから」と子供に向かうこと自体が、その大人の脆さ(幼児性)を表しています。

子供をabuseする人は、それだけでなく、母子分離できていない自分と子供を、同一視してしまいます。粘土をくっつけるように、この三者が一緒くたになってしまっているのです。(父親にも起きます)

そうすると、その人の内面世界では、母親=自分の子供となってしまい、両方ともが依存先になり、なおかつ両方ともが自分を迫害する存在になります。なぜなら、母親はいつも「良い子」の自分しか受け入れてくれなかったからです。「良い子」ではない自分は、母親から隠していたわけですから、母親は「良い子」でない自分にとっては、迫害者だったからです。

依存しながら、なおかつその相手にいつも迫害されていく追いやられていく中で、過剰に世話をし過保護になる時がある一方、自分を迫害する存在に殺意が生じてもおかしくはありません。大人である母親よりも、実際に子供である我が子の方が弱者ですから、手をかける対象になっていくのは、動物としては自然かもしれません。そんな風に、現実の取り違えが起きてしまうのです。

健やかなバウンダリーを持たず、分別がない大人は、子供「生意気だ」と感じては、大人と同列に見る視点から嫉妬したり、同一視していきますが、これらは子供を虐待する親によく見られる特徴です。

嫉妬や同一視をしている、あまりに多くの皆さん。あなたが実際にしていることに無自覚ではないでしょうか?

子供を救わない現実

心理的虐待の場合、親にその自覚がないことが多く「虐待している」と言われても、不名誉な評価とだけ受け取り、そうなる自分の苦しみや傷みには、目が向きづらいようです。教えてくれた相手を攻撃するケースも、よくあります。

それでも、abuse(虐待)であることに変わりはなく、そこにたどり着いた親は、また自分に正直ではなく、自分への不正をたくさんしています。無自覚に、自分のことも不正利用(abuse)してきた軌跡が、あるのです。

不正とは「こんなことくらい平気」「多分大丈夫」「考えてもしょうがないから、飲み込もう」と思ったり、自分の中で「やりやすい方で!」と焦点をずらしてしまうこと等々です。

こうした状態の親を恐れて、よかれと思って塾考しているつもりで回避し、誰も子供を助けない状況が重なってきました。(周りも不正を働いているということです)

もし、みなさんが虐待を受けている子供を助けたいなら、少なくとも、そこに弁護士を巻きこんでも、費用の心配はしなくていいことを、まずは知ってください。民事法律扶助を利用できます。だから、安心して声を上げてください。実際、地域の有志でこの制度を使い、子供を救い出した事例があります。

そして、虐待している大人には傷があり、治療が必要だと、知ってください。明日に続きます。

輝きたい!

「輝きたい」は、曖昧な表現でありつつ、なんとなくみんなが持つ心の動きを、遠からず表してくれる表現です。

では、あなた自身が輝きたいとき、あなたの人生を輝かせたいとき、いのちが輝いている毎日を送りたいとき、どうすればいいのでしょうか?

みなさんは、ご自身やご自分の人生やいのちの輝きを鈍らせる存在を、自覚できているでしょうか?先を読む前に、すこし普段の考えを整理してみて下さい。これまで、あなたやあなたの人生やいのちの輝きを鈍らせてきたのは、何だと思ってきましたか?

実は、あなたやあなたの人生やいのちの輝きを鈍らせるものこそ、欲望です。現に欲望を減らし始めている人は、そうするほど自分が健やかさに向かえ、あやまった判断をその時点で認識できないことによる穢れにダイブするような刺激的な動きが自分の中で弱まり、そうすると心身が静かで気持ちよく茶室にいるようなスッキリ感が続くことを、既に当たり前としていると思います。

欲望を追い求め、肥大させていくと、追われる感と磨り減る感が半端なくなり、それらから逃げるためのうっとりを求めて疑似恋愛に走ったり(日本は擬似恋愛大国)、周りに迷惑をかけている事実を思いやりと認識し、大切にすべき人ほど、あなたから離れていってしまいます。

欲望に向かうほど、無自覚に穢れまみれになるようになり、互いに穢れをなすりつけ合う様を愛があると認識しては、人間性が低くなります。

うっとりしあいながら、確実に無自覚に堕ちてゆく人間関係から自由になっていくので、解決すべき問題にもきちんと対処し始めることができるようになります。

いのちを輝かせると思っていた人間関係が、どれほど自分を傷つけていただけだったか、あなたを輝かせると信じ込んでいたその手法が、いかにまやかしだったか、あなたの人生を輝かせるはずだったその選択が、いかにかけがえのなさを壊す地獄への道だったか。

満足はしても、高揚はしても、いつも苦しみだらけなのは、あなたがあなたの人生があなたの命が、くすみボロボロになっていっただけだったからこそ、いつもあなたの中に感じられていた、サインでした。

【開催報告】7/13,16 オンラインWS「スピンオフ 息を吹き返す4」

雨がざぶんざぶんと降っている日と、アブラゼミと蜩と鶯とカエルの鳴く日に、スピンオフとなる「息を吹き返す」を開催しました。

急に暑くなることを警戒して、うちの台所にはスイカ一玉を転がしておいてあります。そして、夜間急に冷えることもあるため、毛布も常備してありながら、地球温暖化の進む早さにオロオロするだけの状態から、やっと抜けたところです。

話を戻しますね。それでは頂いた感想をシェアします。シリーズすべて受けてくださって、ありがとうございました。受け取ってくださったことが、本当に嬉しいです。

「(今の身体は)身体の感覚を感じやすくなっています。WSを受けて、全般的にこわばっている感じや緊張している感じが緩んだこともあると思いますが、身体それぞれの部分と、そのつながりを感じる感度がWS前よりも高まりました。

(今の心は)自分を受け容れている感じがあります。WS中にも出た顔の表情に対する意識が変わったことで、自分のいまの状況(身体と心)をそのまま意識しやすくなったことで「あ、いまこういう感じなんだぁ」という形で自分の状態をそのまま受け取るような感覚があります。そして、この感覚をとても心地良く感じています。

(これからの人生にとって大事なことは)
自分の感情を表情で感じること。今日のWSを受けて、「表情を顔に出してはいけない」という思い込みが強いことに気がつきました。ネガティブな感情だけでなく、ポジティブな喜びとか驚きも「出してはいけない」という感覚が根強くあって、それが当たり前になってしまっていることに気がつきました。ここを少しずつ変えていき、表情と感情をつなげていくと、身体の感覚を意識しやすくなると思いますし、他の人とのコミュニケーションも、今よりもごまかしのないものになっていくのではないかと思いました。

これまでのWSをすべてをとおして振り返ると、自分の身体と心の感覚をそのまま受け取るということを学びました。自分の感覚をそのまま受け取るということをせず、抑えていたことで見落としていたこと、気づけていなかったことがたくさんありました。これからは、教えていただいたことを実践し続けて、今までよりも毎日をきめ細かく過ごしていけるようになっていきたいと思います。

(コンサルタント、42歳、男性)

「(今の身体は)
自分では自覚できなかった余分な力が抜けた。頚椎と胸椎、腰椎が余分な力が入らずほぐれている。

(今の心は)
とても静か。感情的に外にぴょーんと飛び出していかない感覚。

(これからの人生にとって大事なことは)
不得意な感情から逃げず、自分に許可を出して向き合う。

自分が不得意な部分をまざまざと見て、(不得意な部分を)どのように生かすか指針を見せていただきました。貴重で、きらきらした時間でした。

(営業、42歳、女性)

ビジネスにおいて、特に交渉など担当してしまうと、ポーカーフェイスであることを求められがちです。しかし、本質的に人はそんなに「浅い」ものでしょうか?「よし、相手の気持ちを読めた」と思い込める態度は、あなた自身の尊厳をまもってきたでしょうか?

必死に小手先の対応を重ね、いつの間にか厚顔無恥になっている大人のひとりに、自分が入ってしまったなら、その後の自分の人生は、どんな潜在的な機会や展開を失ってしまっているのでしょう?

そんなことも踏まえて作ったワークショップでした。たくさんの方が、息を吹き返し、自分を取り戻して、ほんとうにあの頃望んだ人生を歩んでくれたらと、願っています。

オンラインWS「スピンオフ 息を吹き返す4 〜アンチエイジング編〜」の開催概要はこちらです。

逆の動き、同時にしていませんか?

わたしたちは驚くと、口をポカンと開けたり、目を見開いたりします。ずっと悲しんでばかりいると、顔の筋肉は垂れ下がってきますし、怒れば顔を含め全身のいろんな筋肉に、力がぐっと入ります。

感情の筋肉の動きは、こんな風に連動していきます。口角を上げれば、確かに喜びを想起しやすくなります。

失感情症の状態に近い人は、感情に伴う筋肉や呼吸の動きを、うまくとらえられず、それこそポカンとしがちです。ただそこが、宝の山です。

例えば「喜びを思い切り表してはいけない」と思っていると「これからは喜びを思いっきり表すように注意しよう」なんて、発想するわけです。でも、注意すると言う動きは、微細さを必要とする動きで、ゆえにどちらかといえば縮こまるような動きです。一方で、喜びは筋肉が上に上がったり、開いたりするような動きです。口角を上げると、息は吐くより、自然と吸いやすくなります。

だけど、その感情に対する思い込みやその感情の表現に対する制限が自分の中にあると、真逆の動きすら同時にしてしまえます。もっと喜びたい!と、縮こまったり、喜びながら息を吐くような、ややこしいことが起きてきます。

真逆の動きという宝の山を見つけたら、どうぞコーチングに遊びにいらしてください。コーチングは、最低でも、大人のための知的なエンターテイメントだからです。

共依存は親子関係に重なる

比喩で書きます。

自律し自立した夫婦は、飲食店に入ると、自分が食べたいものを注文し、自分の口には自分のお箸からご飯が運ばれます。相手の頼んだものの中に、ひかれるものがあったとしても、自分のお箸でそれを取り、自分の口に運ぶのです。シェアはするけれど、境界はクリアにあります。

一方で、共依存の状態にある恋人や夫婦は、自分が食べたいものと相手が食べたいものを考えて、何を頼んだらいいか、迷いが生じます。そして、自分の口には相手のお箸からご飯が運ばれます。

お母さんやお父さんは、幼児のために「これにしておいたら?」とメニューを選んだりします。そして、幼児の口に、お母さんのお箸が運ばれることもあります。子供が小さい時の親子ならば、これは健全です。

共依存は親子関係と重なるところが多いこと、伝わりましたか?理想化した異性の親の代用に、パートナーを求める中に、尊重などひとかけらもないこと、認識していただけますか?

上半期を振り返る

下半期に入りました。今年の自分の猪突猛進ぶりをここで振り返ってみるのも、いいかもしれません。今年の干支は、イノシシでした。思い出しましたか?

上半期に多くの方のニーズを満たした記事は、こちらのようです。

1.知らなかった自分に出会いたい。
2.やっていないのに、やったと言われる?
3.自慢は悲鳴
4.羨む
5.自分の嫌なところばかり見えてしまう時に、ほんとうは起きていること。

行動の継続や売り上げなどの数値的な変化と、人生が前進することは違います。この半年、あなたの人生は前進したでしょうか?

DVと地位や学歴は、関係ない。

社会的地位があったり学歴が高い人は、DVをしないと思っている方がいるみたいですが、一切関係ありません。それどころか、とても人当たりがよく、誠実そうに見える人が家庭と言う密室では、DVを行っていることがよくあります。

ちなみにこれは、女性が行う場合もありますので、男性だけの話だとは思わないでください。

例えば、どこに行くにも家族でお出かけしていて、子供がなついているように見えるのは、単にパートナーや子供の自由な行動を奪い束縛しているだけだったりします。

暴力をふるう大人に擦り寄って、逃れようとする子もいますし、もう片方の親をかばって、暴力を受けてしまう子供もいます。

暴力を振るう親は、外から理知的に見えたとしても、妻には自分のしていることを否認しなおかつ過小評価し、誰かのせいだと責任転嫁し、そのプロセスにおいて、常に理屈を振りかざします。

家族が家を出たりすると、不安になって怒り、執拗に探し回りますが、これは愛情からではありません。狂ったようになっている様を見て、愛情深いと短絡的に判断するのはやめてください。

「本当は暴力なんてふるいたくないんだ」「あなたたちはお酒を飲んでいたから、つい手を挙げてしまっただけだ」「少し位みんなやってるでしょう」そうした自己正当化に、同情してしまうなら、あなたが幼いだけです。

どんなに素晴らしく見えたとしても、加害者に利用されないために、日頃から洞察力を養って起きたいですね!

リスボン宣言とヘルシンキ宣言

病院を極端に恐れて症状を悪化させ、自己負担額が増えてしまったり、医師に言われたことを判決のような重みと絶対さをもって受け止めらて、サードオピニオンを得られなくなっている方がいらしたので、参考としてみなさんにも、リスボン宣言とヘルシンキ宣言を、共有します。

リスボン宣言は患者の権利に関するもので、ヘルシンキ宣言は人間を対象とする医学研究の倫理的原則について、です。

リスボン宣言には、患者が「良質の医療を受ける権利/選択の自由の権利/自己決定の権利/情報に関する権利/守秘義務に対する権利/健康教育を受ける権利/尊厳に対する権利/宗教的支援に対する権利」などが含まれています。

例えば、選択の自由の権利には「a.患者は、民間、公的部門を問わず、担当の医師、病院、あるいは保険サービス期間を自由に選択し、また変更する権利を有する。 b.患者はいかなる治療段階においても、他の意志の意見を求める権利を有する」とあります。

ヘルシンキ宣言には「”私の患者の健康を私の第一の関心事とする”ことを医師に義務付け」と入っています。みなさん、医師を権威とみて、権威に対する不健全な態度でいることで、さらに不健全になってしまうのは、自分を尊重しない態度だと、認識して頂けたらと思います。

ちなみに、ヘルシンキ宣言には「すべての研究者、著者、スポンサー、編集者および発行者は、研究結果の刊行と普及に倫理的義務を負っている」ともあります。医師以外の方も、ぜひヘルシンキ宣言リスボン宣言、一読なさってみてください。そうすることで、健全な患者、あるいは健全に職業を全うする生き方をしましょうね。

勝手にやってくるし、自分を奪う。

トラウマによるフラッシュバックという状態は、そもそも「考えないでおこう」が不可能な、記憶が勝手にやってきて、どこまでも侵入してくるという状態です。妄想と違って「考えないでおこう」ができないから、対処するためにはもう紛らわすしかなくなります。トラウマを持つ人が増えた阪神淡路大震災ではアルコール乱用が、東日本大震災ではDVが増えました。

トラウマはそうやって、現在までずっとその人に侵入し続けて、まるで今起きているかのように恐怖を味わわせてくれるから、そこに対処するために、特に幼少期の深刻なトラウマを抱える場合などは、恐怖に伴う内臓感覚や脳の特定の領域(=内側前頭前皮質・前帯状皮質・後帯状皮質・島・眼窩前頭前皮質)の活動を減少させることを、学んでしまいます。そうしないと、日常になどとてもいられないということです。

ただ、これらの領域は「自分は内側で何を感じているのか」「自分は誰なのか」「今はいってきた外的情報と自分の間にどんな関係があるか」といった感覚をつくったり評価していく部分に当たります。内側前頭前皮質のみが活動を減少させるだけでも、目的意識や生きる方向性を失ってしまうのですから、いかにこれが深刻であるか、みなさんにとって想像にかたくないと思います。

こうして、内部感覚と現実のつながりが失われると、身体的感覚と気持ちのつながりを自分で見いだせなくなるので、周りの多数から「怒ってる」と見えても「怒ってない!」と主張したり、別れ際に泣きながら本気で「きっと寒いからだわ」と言うような状態にも入ります。こうした状態にあると、正しい認識が難しく、また必要なものに手を伸ばすという正しい判断もできないので、周りは優しくサポートしてあげて下さい。