「かわいそう」と信頼

「あの人だけないなんて、かわいそう」と思ったことはありませんか?例えば、お弁当の日、あの子だけお弁当がありません。例えば、会議中、Aさんだけがお茶を出されませんでした。

(明らかないじめや虐待はない前提です)

そんな時に「Aさんは尊重されていない」「あの子だけかわいそう」と思うなら、小さい時に一生懸命いい子であろうとしたでしょう。でもだからこそ、母親から嫉妬されて育ってきたでしょう。別のシーンでも、おそらく何かにつけて「軽んじられている」と、憤怒にかられてきたでしょう。

実はそういう方は「あの子にお弁当を持たせなかった親も、Aさんにお茶を出さなかったあの人も、自分と同じように人間だ」という認識を欠いています。つまり、人間に対する基本的信頼感が欠けており、何となく、人への苦手意識を隠し持っています。犬や猫を見るのと同じように、人を見てしまっているから「かわいそう」がでてきています。

基本的信頼感があると「あの家にはあの家のやり方があるだろう」と尊重できますし、「お茶が全員に行き渡っていません」と伝えて終了できます。

基本的信頼感が欠けていると、自分よりも下だと感じる人としか付き合えないし、人間関係も対等ではなく、ペットのように面倒を見たり、躾るような関係になります。だから、人がいない方が楽だと感じたり、恋愛がいつも苦しくて、終わると毎回「しばらくはいいや」となったりします。

「かわいそう」は思いやりではなく、あなたに基本的信頼感が欠けているという話でした。